9、独りよがりは

 …ただ不思議だった。自分にも、相手にも。繰り返し再生される変わらない世界に、永遠に閉じ込められる運命。籠の中の、羽がもげた鳥。それが私だった。私の存在意義だった。
 ここが出来たころから自分が造られたモノだという自覚を持った。まわりも私と同じようなモノだった。ただ一つ違うのは、彼らは自覚なしに時を繰り返す存在だということ。行動はおろか、記憶すらリセットされているようだった。だから私と彼らは構造的には同じで、含んでいるものは少しだけ違うものだったのかもしれない。私は名前というNPCで、これから訪れるであろうNPCではない人間を招き入れる役を担うことになっていた。インプットされた歓迎の言葉を連ねて、彼らはいつ来るのだろうかとずっと待っていた。代り映えしない世界の中で異色の存在が招かれることに少しだけ興味があった。
 だけどその日は永遠に訪れることはなかった。オーナーはこの世界に何か気に入らないものを感じたらしい。壊すことなくそのまま放置して新しい世界を作り、そこに彼らを招き入れていた。ここの世界はもはや仮の場所に成り下がっていた。もしかしたら何かに使う予定が他にあったのかもしれないけど、なんせそちらの世界で実際に彼女は『永遠じゃなくなって』しまったのだから詳しいことは何もわからない。管理人のいなくなった中、ここの権利はすべて私の手に収められた。構造自体は変えられないくせに、おかしなことに人を招く権利だけは委託されたのだった。
 画面越しに彼らの世界の最期を眺めていた。一緒にこの世界も終わるんだろうなと微かな期待も込めて見守っていた。本当にそれだけのつもりだった。あろうことか向こうの黒幕がこの世界の存在を知り、記憶を植え付けるライトに情報を載せて精神をこちらに強制移動させるものを作り上げて、状況が変わってしまう。その時ちょうど私は彼らに手を伸ばしていた。自分の命をなげうってコロシアイを終わらせた彼らの後ろ姿を捕まえようとした。今思えば、それが最大の過ちだった。

「…どうしてあの時、あんなこと言ったの」
 殺してくれてよかったのに延命なんてさせてくるから、仕返しとばかりに質問してやる。不思議そうな彼にとぼけないでほしいと首を振る。

「『生きてくれ』なんて、どうして言ったの。私は元々息をしていないのに。…あの時、死にかけていたのは君の方だった」
 不完全な世界に徐々に入り込む、彼の味方の攻撃。しかし外からよりも内から異常を起こしたほうが話は早かった。だから、生き物が、ましてや人が死ぬことが断じて許されないこの世界に、彼の首を絞め殺しかけることで無理やりエラーを引き起こさせた。プログラムの準管理人である私が絶対のルールを内側から破ったことによりこの世界は暴走して、…じきに崩壊する。
 だから、これで良かったのだ。彼が取り込まれる前に、彼女たちが彼を救えなくなる前に行動を起こすことが出来て全てはハッピーエンドのはずだったのに。どうして君は、そんなに悲しそうな顔をする。…どうして私は、心から笑うというアクションが出来ない。

「…自分の命を投げうって行動を起こす。…もしかしたら僕は、君に赤松さんを重ねてみていたのかもしれない」
「……」
「…でも、付き合っていくうちに君は彼女とはまた違う人なんだって思った。自分の気持ちに嘘をついて、人に感情を出せなくて、…それに、いつも諦めているように見えた」
「……」
「…これは僕の思い違い、なのかもしれない。…いつも君は泣いているように見えた。だから、笑ってほしいって思った。こう思うのって、自分勝手なのかな」

 …ああ、何て彼はわがままなんだろう。ダメだと、変えられないというルールを知っていてもそれを断ち切ろうとして。それ以上に、彼に縋りたいと思っている私は、最早異常ではないか。ずっと言えなかった言葉が、感情が体を突き上げる感覚にめまいがした。全部全部、彼のせいだ。

「…君が、勝手なことをしなければよかったんだ」
「…うん」
「私は、感情なんてもってはいけない存在だったのに…入間ちゃんも、余計な情報を書き込んだから…だから必死に消そうとした。隠そうとした。…それなのに」
「…ごめん」
「はぐれ君が、私と一緒にここから出たいなんて、言うから…私も出たいなんて思っちゃったんだ…『生きたい』なんて、思っちゃったんだよ…!」

 どうして私は彼らとは違う存在なのか。いつも周りを見て運命というものを呪っていた。私も一定期間でリセットされるような、そんな都合の良い存在だったらどんなに良かったことか。感情を伴わない完全な機械になれればどんなにうれしかったことか。一度も彼女に会うことなく先立たれた。独りになってしまった。 毎日が辛かった。外の情報をインプットされていたから、一層。これはきっとシステムの異常なんだと私は感情を排斥しようとした。ややこしい対象だったが、彼が現れたときにはようやく一段落ついていた…はずだったのに。
 声が震える。声色が安定しない。…彼との距離が、近くなる。

「名前さん。今度こそ本当の想いを教えてほしいんだ。」
「…だから、私は」
「前提は関係ない。名前さんはどう思っているの?理屈を抜きにした気持ちを聞きたい。…お願い、だから」
「…私は、わたし、は」
 …探偵にはかなわないのかな。何もかもを見透かされているような、そんな気がした。そのまま温かい体が布越しに包んで、伝わった時にはもう何もかもが遅い。
「…外へ、出たい!最原君が知る世界へ連れて行ってほしい!…もう、寂しい思いは嫌なんだよ!私だけが動いている世界は嫌だ!だ、だから……置いていかないで」

 ダムが決壊するように言葉があふれ出る。…この世界の拒絶。外の世界へのあこがれ。遂に言ってしまった。私は、ここを裏切った。ただ一緒に隣にいてくれる存在が欲しかった。孤独な心を満たしてくれるものが欲しかった。…トモダチとはどんなものなのか知りたかった。それを全部ぜんぶ、彼にぶつける。歪んだ気持ちを吐き出せと言ってくれた彼に。彼の腕が柔らかに背中を包み込む。静かな鼓動が全身に伝わってくる。

「…一緒にここから出よう。名前さんならきっとできる」
 確かな確信をもった声が耳に響く。最早本音を吐ききった体は救いの言葉を拒絶することはできなかった。…でも、どうやって。ちょっと距離を離して彼を見ると、意を決したような瞳が私を覗き込む。そして少し頬を緩めさせて、彼は後ろを振り返った。あの子が大きくため息をつく。

「方法はあるんだよね?」
「…可能性は低い。私たちが脱出したあと、データからそいつの情報だけ抜き取ることが出来るかもしれない。…でも元々この世界のキャラクターだから無理に抜き出すと復元できなくなるかもね。元の状態から変わっていることもある」
「…お願いするよ。もう後戻りは出来ないから」
「あんた…名前だっけ。ここを維持することはできる?」
「皆が出て行ってからでしょう?…きっと、大丈夫」
「…いいけど、あんまり無茶しないでよね」

 最原が面倒だから、と言って彼女は歩き出す。泉の中心の小島までいくつもりだろう。さしてこの場所は水深が深くはなかった。…そして、そこが最も外の世界に近い場所だった。軽快に泳いで陸に上がり、最原あんたも早く、と声をかけ頷いた彼にもう何も言うことはないと彼女は背を向けた。そのまま一歩足を進めて、…彼女はもう見えなくなった。

「…悪いことをしたな。きっと一緒に行ったほうが良かった」
「気を遣ってくれたのかな。僕も早くいかないと」
「うん。気を付けてね」
「…名前さん。きっと後から来てくれるよね」
「…きっと、この想いはフィクションなんかじゃないはず」

 少し驚いたように目を瞬かせて、またふっと笑う彼。ゆっくりと体温が離れて冷たい風が体を突き抜けるときには、彼はあの場所に立っていた。 くるりと背を向けて私の方を見る。不安そうな瞳に頷くと、ちょっと安堵したように彼は笑った。そして、口を動かして___

「………」

 誰もいなくなった場所を見渡す。壊れた世界は永遠の生というルールも消し去っているようだった。周りの木々や建物、生き物と徐々にその命を消されて行って最終的に中枢である私すら消えていくのだろう。
感覚がマヒしていく。音という音を私は認識することが出来なくなっていた。ふらつく体を押さえつけて私は空を仰ぐ。…真っ黒な空に丸い光が照らしてくる、ような気がした。
 小さな黒が見えてそちらを見ると、小さな子猫がケガをした足を引きずって駆け寄ってきた。咄嗟に抱え上げると安心したように小さな息遣いをもらして、…動かなくなった。

「…これが、死ぬってことなんだね」
 彼らの足音が聞こえてくる。ここから出たいと思ってしまった私をどうか許してほしい。…壊れた世界は何も言うことはないだろうけど。ぼろぼろと崩れていく世界で、しまいには私自身もぼろぼろに_なっていって、かれ_の手助けを__て、私_、にげ___この__を_ み__る_____

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