▼ ▲ ▼
あの人と再会してから二ヶ月。あの人とは話に聞くだけで顔を合わせていないけれど、何故だかあの人の周りに集まっている人たちと沢山知り合いになった。バラバラに出会ったはずなのに、繋がる先はいつもあの人だった。
そうして今日は仲良くなったお妙ちゃんにお願いされて久しぶりにすまいるに出勤する。部屋着から着物に着替えて腰まで伸びた髪はハーフアップにしていつも使っている簪で纏める。すまいるで働いていた時は簪など必要のない長さだったのにあの日から伸ばしている髪は今では腰まである。
5年も経てば、誰だって変わる。見た目も中身も。だけど、私は髪が伸びた以外どこも変われていないように思う。拒絶されることが怖くて、自らその手を離してしまったあの頃と何も変わっていない。何も変わっていないから、私はあの人に会いに行けそうにない。あの人は、会いに来てくれたのに。モヤモヤと騒ぐ心を落ち着かせるために深く息を吐き切ってから家を出た。
不思議なもので5年経っていても足が覚えているようにかぶき町内を進んで、すまいるへ向かっていく。入り口に辿り着くと、でかでかと"5年ぶりに天使なあの子、帰ってきます"と書かれた看板が置かれていた。あの店長のやりそうなことだ。こんなもの置いて、人なんか集まるのかなぁ。そういえば昔、私の誕生日にも同じようなことをしてあの人にどやされていたな。そんなことを思い出しながらすまいるの扉を開けた。
「いやァ、5年ぶりと聞いて飛んで来ちまったよ。まさか本当に穂花ちゃんだったなんてなァ!」
「ふふ、ありがとうございます齋藤さん。でも今日限りですよ」
「戻ってきてくれよォ穂花ちゃーん!やっぱり穂花ちゃんじゃないと俺ァダメなんだよー」
「こりゃー驚いた!5年の間にさらに別嬪さんになりやがって!俺も歳とるわけだわ!」
「今でも十分若いじゃありませんか。男は30からですよ」
「そう言ってくれるのは穂花ちゃんだけだよォォォ…!」
「穂花さん、あちらのテーブルもお願いします」
「あ、はい。田中さんまた後でお邪魔しますね。今日も楽しんでいってください」
店長が用意した看板の効果なのか昔私を指名して下さっていた常連の人たちが沢山来てくれた。そのおかげで私はてんてこ舞いだ。15分もテーブルにつかずに次のテーブルに移動する。有難いことだけど、もう少ししっかり話がしたいなぁ。
また新しく昔の常連客が来店して別のテーブルに移動する時、お妙ちゃんのテーブルに目をやるとそこにいたのはあの人だった。なにやらお妙ちゃんと言い争いをしているみたい。仲が良さそうだなぁ。私、あの人と言い合いなんてしたことあったかな。記憶を巡らせてみてもそんな思い出はどこにも見当たらない。こんな風に思うのはおかしいのかもしれないけれど少しだけお妙ちゃんが羨ましく思った。やっぱり、あの人の隣に他の女の子が座っているのを見るのは昔も今もあまり好きにはなれなくて、嫌な感情で埋め尽くされそうな胸を押し殺して目線を外らせて仕事に戻った。
「じゃあ穂花ちゃん、今日の給料な。本当にありがとうなァ。このまままた働いたらどうだい」
「今のお仕事も楽しいですし、もうキャバ嬢の年齢じゃ…でも、今日はすごく楽しかったです。ありがとうございました」
あの後も途切れることなく常連客が訪れて沢山の人と話をして今日の仕事は終わった。私は明日も仕事がある為この時間で終わりだけど、店はまだまだ掻き入れ時だ。お妙ちゃん達の邪魔にならないようにそっと店を出た。家を出た時はまだ夕暮れだった空も真っ暗になっていた。
夜のかぶき町を歩くのは、5年ぶりだ。街の様子は全く変わっていない。此処に戻ってきてから夜は出歩かないようにしているから、久しぶりに見るかぶき町のネオンに目を奪われる。人工的な光なのにどうしてこんなに綺麗だと感じるんだろう。あの頃はあまり綺麗だとは感じていなかったのは何故なんだろう。何度も歩いていた道なのに、その景色にあまり見覚えがないのは何故なんだろう。考え事をしながら歩いていると人にぶつかってしまった。
「あっ、す、すみません!大丈夫でしたか?」
「おいおい〜何ぶつかっちゃってくれてんの?」
「これはもう折れたわ。ポキっていっちゃったわ」
ああ、またやらかしてしまった。だから夜は出歩かないようにしていたのに。昔からこうやってよく絡まれてはその度にあの人に助けてもらっていた。もう助けてもらうわけにはいかないから自分でなんとかしないと。もう一度きちんと顔を見て謝罪すると二人の男性は顔を少し赤らめてから息荒く詰め寄ってきた。
「ちょ、お姉さんめっちゃ別嬪じゃんやべぇ。一杯引っ掛けにいかねー?」
「いこーぜいこーぜ!どーせ暇だろォ?」
「えっ、ちょ、私今から帰るんですが…っ」
いいじゃんいいじゃん、と言いながらガッチリ腕を掴まれる。私は選択肢を間違えてしまったんだろうか。逃げてしまう方がよかったんだろうか。どんなに自分の方に引っ張っても腕を振り解くことはできない。すれ違う人達は関わりたくないのか目を逸らしながら歩き去ってしまう。なんとか手を離してもらおうとお願いしても勿論離してくれない。それどころかもう一人に肩までホールドされてしまって余計に動けなくなった。どうしよう。どうしたらいいの。
「お願いします、離してください…っ」
「一発!一発だけでいいから!な!な!」
「もういいじゃねーかこのまま連れて行っちまおうぜ」
「…っ、ぎ、」
「お兄さん達なーにしてんのォ?」
不穏な言葉が恐怖を煽り、思わずあの人の名前を呼びそうになった時、安心する低い声が後ろから聞こえて肩に乗せられていた腕の重みが消えた。それと同時に男性のもがき苦しむような声が聞こえてはっと後ろを振り向くと、眉間にシワを寄せたあの人の姿があった。
「あ…、ぎん、」
「そいつ、俺のツレなんだわ。そいつになんか用?」
「てめぇ何してくれてんだ!邪魔しやがって!」
「はぁ?スマートにナンパもできねー奴らが粋がってんじゃねーよ。俺ならもう今頃メロメロにさせて女からホテル行こうって言ってきてるからね。俺の方が連れて行かれてるからね。…つーかその手、早く離してくんない。汚ったねーその手離してくんない」
彼の威圧にやられてかまだ掴まれていた手は簡単に離されて男性二人は捨て台詞を吐いて走り去っていった。一人ではどうしようもできなかったのに彼が来てからあっという間に解決して自分の不甲斐なさが恥ずかしくて視線がどんどん足元に落ちていき、言いたい言葉も出てこなくて彼のブーツを見つめることしかできないでいると、頭の上から大きなため息が聞こえた。
「お前さー、なんで歩くだけでそんな厄介事集められんだよ。昔より酷くなってねェ?俺がたまたま来なかったらあのまま連れていかれてたぞ。もっとてめーのことてめーで守れるようにしろや」
「ごめん、なさい」
関わらないどころか迷惑を掛けてしまったことに胸が苦しくなって、さっきまで耐えられていたはずなのに涙が溢れてくる。こんな所で泣いたらすごく面倒くさい女になってしまう。涙をこぼさないように爪が食い込むほど拳に力を入れて堪えていると頭に掌がぽんと乗せられた。
「あー、いや。怒ってるわけじゃねーんだ。大丈夫だから泣くな。穂花」
「…うん、」
送ってく。と私の顔を見ずにそう告げて私の少し先を歩き始めた。置いていかれないように小走りで追いかける。あんなに零れ落ちそうだった涙はこの人の行動一つで簡単に消え去っていた。私はなんて単純なんだろう。目の前を歩くこの人の言動に一喜一憂するのは昔も今も変わらない。その背中はいつだって、頼りたくなるような安心感がある。家までの道のりを案内しながら大きな背中を見つめた時、私はやっと気がついた。
夜のかぶき町をあまり覚えていなかったのは、
この人の背中だけを見て歩いていたから。
かぶき町のネオンを綺麗だと思わなかったのは、
いつも目の前にネオンよりも輝く銀色があったから。
ああ、やっぱり綺麗だな。
ネオンで煌めくかぶき町を抜けると辺りは暗くなっていた。月明かりの僅かな光だけが私たちを照らし道を示してくれる。その暖かい光が臆病な私に少しだけ勇気をくれた。
「ぎ、…坂田さん」
春が近づいているからか風が颯々と響きを立てて耳元を通り過ぎる。光に勇気を貰ったはずなのに風の音に紛れて聞こえなければいいのにと思った私の思いとは裏腹に、彼は着流しに腕を預けて気怠げな顔をしながらこちらを振り返った。
「あの、…この前真選組の人に聞いたの。私がひったくりにあった時、屯所まで来てくれたって…」
「……それはアレだよ?あのー、お前屯所なんて行ったことねェからゴツい奴らばっかで驚いてねーかなって思っただけだからね。お前は知らないかもしれないけどあそこはむさ苦しい男の巣窟だからね」
どうして。なんで。そんなことを考えていたけれど本当は理由なんてなんでもよかった。だってきっと、この人は行動に理由をつけられる人ではないから。だからその事実だけで胸が暖かくなって、私まで陽だまりの下に連れていってもらえたような気分になって、嬉しくて仕方がなかった。きっとお互いの為にもこれ以上関わらない方がいいに決まってる。だけど、昔この人に教えてもらったことだけはきちんと守りたいからもう少しだけ勇気が欲しい。
「穂花ちゃん?え、なに?なんで何も言わねーの?もしかして怒ってる?ストーカーかよお前とか思ってる?」
体を完全に私の方に向けて、少しだけ頭を下げ私の顔を覗き込んできた。深い紅色の瞳が焦りを含めて私を見つめる。その双眸に映る私は酷く情けない顔をしていた。ダメだな、こんな顔してちゃ。この人の周りにいる人達ならどんな顔して言うのかな。最近知り合った彼らの誰を当てはめても同じだった。
ーーーきっと、
「怒ってないけど、本当にびっくりした。真選組の人にいろいろ詮索されてなんて答えたらいいか困ったのよ。でも、」
憎まれ口を叩いてその後、
「…この前も、今日も、ありがとう」
陽だまりのように明るく笑うんだろう。