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彼は私の言葉に目を見開いた後、すぐにやる気のないような、何を考えているのか分からせないようなそんな瞳を私に向けてきた。頭部をボリボリと掻き毟るのは困った時にするこの人の癖。

今、困っているんだ。

「あー…その、なんだ。もうお妙に言われてもすまいるで働くなよ」
「初めから今日だけっていう条件だったよ。歳も歳だし…」
「あ、そう。なら、いいけど。…あんま夜に出歩くんじゃねーぞ。お前すぐ面倒事バキュームすんだから。なんかあったらどっかの店にでも逃げ込めよ」
「…うん」

何に困っているの?私がしたことは間違いだったのだろうか。いや、間違ったのは行動じゃない。私も光の下に行くことができたなら、この人の近くにいてもいいんじゃないかと思った。闇の中だとこの人のことを飲み込んでしまうかもしれないけれど、闇を消し去ることができたならまた側にいれるんじゃないかと勘違いした。それが間違いだったんだ。きっと今、この人は遠回しに私のことを拒絶しているんだ。

どんなに太陽達に闇を照らしてもらっても、自らが輝かなければ意味がない。やっぱり私はこの人の側で笑うことなんて出来ないんだ。



「もう、ここでいいから…ありがとう。おやすみなさい」






そうやってあの人の顔も見ずに逃げ帰ったのは一昨日の話。やっぱり人は簡単には変われない。お妙ちゃんのように凛としていて心は強く気高く、芯のある女性にはなれないし、神楽ちゃんのようにはっきり物を言ったり一緒に闘ったり、明るく振る舞うことも私にはできない。どうしたらそうなれるのかさえもわからない。二人なら、逃げ帰るなんてことせずにあの人に何を思っているのか聞くんだろうな。

「…ちゃん。…穂花ちゃん!」
「…っはい!」
「なんかあったんかィ?昨日からずっとぼーっとして。あ、もしかして銀さんだろォ?」
「え…?」

何を考えていたか言い当てられて、驚きから身体が固まる。そんな私を見て、親父さんはニヤニヤしながら教えてくれた。昨日私が仕事を終えて帰った後あの人が来たらしい。昔から変な奴に絡まれやすいからあまり遅くまで働かせないでやって欲しいと親父さんに言ったそうだ。愛されてんだなァ。いいな若いっつーのは。と私の肩を数度軽く叩くと親父さんは暖簾の奥に消えていった。



ーーなんで?どうして?

変わることができたあの人と、変わることができない私の道が交わることはきっとない。あの人は、いろんな人達の先頭を走っていく人。私はずっと立ち止まって、少し進めたかと思えばまた戻って。そんなことをずっと繰り返している。

だから、私はあの人と同じ道を歩けない。歩くつもりもなかった。それなのに、あの人は走る足を止めてたまに私を見てくれようとする。たまに手を伸ばそうとしてくれる。そんな風に道を照らされたらその手を取りたくなってしまう。けれど私はあの人のためにもその手を取るわけにはいかない。それが、苦しくてたまらない。



親父さんが変な気を使ったのか今日は早く上がりなと言ってくれていつもより2時間も早く仕事が終わった。仕事でもして何も考えたくなかったけれど、親父さんは何も知らないから仕方がない。

まだ青空が見えるかぶき町を歩く。そういえば、あの日もこんな綺麗な青空が広がっていた。瞼を閉じて思い返してみても浮かぶのはあの人の悲しそうな顔だけ。もう5年も前のことなのに昨日のことのように胸が苦しくなって震える瞳を必死に止めようと空を仰ぎ見た。



「あ、あの…!」
「…?」

ふと誰かに呼ばれた気がして振り返ると少し緊張した面持ちの青年が一人立っていた。やっぱり私のことだったみたいだ。けれどその青年は私と一度目を合わせたきり下を向いて話し出そうともしない。

「あの…私に何か…?」
「…っあの!もしよかったら僕とお茶してくれませんか…!」

意を決したようにその青年は一歩私に近づきそう告げた。言われたことをすぐ理解できなくて目を瞬かせていると少し焦りながら両手を激しく動かして痰を切ったように話し出した。

「あっ、いえ、あのっ僕よくあなたのお店に行ってるんですけど、あの、ずっと気になっていて…!」

そう言われて私はやっと目の前にいる青年のことを思い出した。よくお店に来てくれる常連さんだ。


「あぁ!いつもいちごパフェを頼む方」
「…!!覚えて下さってたんですか?!」
「えぇ。いつもありがとうございます」

キラキラと目を輝かせているその様になんだか私まで笑みが溢れた。見た感じ総悟くんと同じ歳くらいだろうか。総悟くんが余りにも大人びているからわかりにくいけれど、本来このくらいの年齢の男の子はきっとこういう反応が普通なんだろうな。

「それで、あの、あなたのお店でもいいので…!」

頭を下げて必死に私に訴えてくる彼に、断りの言葉を投げかけることはできそうになかった。お店なら親父さんもいるし、何かされるということもないだろうと肩をポンと叩いて顔を上げるように告げた。

「少しだけなら、いいですよ」
「ホントですか?!じゃあ、いきま…」

飛び跳ねる勢いで顔を上げ、気持ちが舞い上がっているのか私の腕を掴んできた。最近あんなことがあったから驚いて咄嗟に腕を引こうとしたらその前にゆっくりと手を離された。彼の視線は私には向けられておらず、私の後ろを恐怖に怯えた顔をして見ている。誰か知り合いでもいたのかな。

「?…どうかしました?」
「あ…いや…すみません。きゅ、急用を思い出しまして…!またにしますうううううう!!」


ガタガタと震えながら、私の顔を見ることなく走り去ってしまった。私の後ろに何があったんだろう。あんなに恐怖に満ちた顔を見たのに、私の心は不思議と安堵で満たされていて、その理由が知りたくて後ろを振り返ると見たことのある服で目の前がいっぱいになった。



「…坂田さん、」
「穂花ちゃんなにやってんの。なにナンパ成功させてやってんの。ありゃ下心アリアリだよ。あわよくば一発ヤッてやろうって魂胆だよ」
「あの人、そんな風に見えなかったけど…」
「そりゃアイツが童貞だからだろ。新八と同じ系統だよアレ。そんな野郎がおめーに声かけたのは褒めるべきことだが男なんてみんな下心の塊だからね。男っつーのは上半身と下半身は別な生き物だからね。ホント「銀時!」…いってェ」

私に子供に説教するような口調で話すこの人の言葉を遮って手に持つキセルで彼の頭を軽く小突いた。


綺麗で、とても強そうな、
この人の隣がよく似合う女性だった。


「どうした急に走り出したりして!…なんじゃ、知り合いか?」
「あ、あぁ…」

私をなんて紹介したらいいのか困っているんだろうな。私も彼との関係を言葉にすることができないのだからおあいこだけれど、何故だか今日はその事実に心に風が吹いたように冷え切って震えが止まらない。下がりそうな眉毛を必死に堪え、心にもない笑みを浮かべた。


「…坂田さん、私の所に来て説教垂れてる暇なんてないんじゃないですか?…私、帰りますね。お邪魔してしまってごめんなさい」
「あっ、オイ!穂花!!」

今まで口にしたことのない言葉を彼に投げつけて、女性に一礼をし、彼の制止を無視してそのままひたすら家まで歩き続けた。

家に辿り着くまでの事をあまりよく覚えていない。玄関の扉を開けて乱暴に靴を脱ぎ捨てて、そのまま布団に倒れ込み枕を抱き締めた。


彼が何を考えているのかわからない。どうして?どうして私に構ったりするの?結局拒絶するのに優しくされたら、私の心はどこに行けばいいのか行き先がわからなくなる。この道を歩いたままでいいのかそれとも彼が走る道に行くべきなのか、わからなくなる。


綺麗な人だったな。誰なんだろう。
あの人とどんな関係なんだろう。
ああ、嫌だな。こんな感情抱きたくないのに。


きっとあの人のことだから私を街中で見かけて、いつもみたいに絡まれてると思って来てくれたんだろう。でも今日は今までのように嬉しさで心が満たされたりしなかった。来て欲しくなかった。他の女の人といるところを見たくなかった。こんなこと、私が思うなんて烏滸がましいのはわかっている。けれど思わずにはいられなかった。



どうして、私はあの日、

あの人に声をかけてしまったんだろう。

声をかけなければ私が江戸に戻って来たことを気付かれる事もなく、再会する事もなく、こんな矛盾ばかりの自分を見る事さえなかったのに。




数日後、あの人を街で見かけた。怪我をしているのか頭に包帯が巻かれていた。何かあったのかと心底心配した。あんな怪我で出歩いて大丈夫なのかと不安になった。


けれど、私の足は彼の元へは向かってくれない。