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あの瞳に心を掴まれたような錯覚に陥ってから一週間ほど経った。坂田さんはあまり店には来ないらしくあの日以来一度も会っていない。私自身そのことを気にするほど余裕もなく、早くこの仕事に慣れることに必死だった。慣れればきっと、少しはこの寂しさから逃れられる気がする。
「穂花、仕事慣れてきた?」
「あ、はい。咲さんたちのおかげです」
「もーー!そんな可愛いこと言わないでよ!困ったことがあったらなんでも言うのよ!アンタ危機管理能力低そうだから、心配なのよね」
ホラ、今日は一緒に帰ろうと言ってくれる咲さんにはすごく感謝してる。明るくて真っ直ぐで、いつも私を一人にさせまいと話しかけてくれる。いつも心配してくれる。
だから余計に迷惑になりたくなくて、暗闇が似合わない咲さんに知られたくなくて、心に蓋をしてしまう。独りでいたくないのに、私だって太陽の下にいたいのに、結局選ぶのはいつも真っ暗な何もない場所なんだ。
昨日からずっと頭の中でいろんな思いを巡らせていた。でも、どんなに考えても周りの人に頼るなんてこと、私には簡単に出来そうになかった。なんだか今日は仕事に行きたくない。でもそれ以上に独りでいるのは嫌で、のそのそと準備をして家を出た。自宅からすまいるに向かっている途中、別のお店の前で看板を持った男性に声を掛けられた。
「お!お姉さんどう?!よかったらうちの店で働いてみない?!お姉さんならきっとすぐナンバーワンになれるよ!」
キャッチかな…。嫌だなあ、断るの苦手なんだけどな。
「あ、いや…私もう働いているので…」
軽く一礼してから立ち去ろうとしたら目の前に看板を出されて踏み出そうとした足を止められてしまった。どうしよう。どうしたら諦めてくれるんだろう。
「掛け持ちでもいいよ!週一から始めてみよ!とりあえず一回事務所来てみない?ね?ね?」
「いや、あの…大丈夫です…」
「え?大丈夫?よしじゃあ行こうか!」
「そ、そういう意味じゃなくて…!」
まくし立てるように話す男性に押し負けそうになりながらなんとかもう一度断ったつもりだったけれど違う意味で捉えられて肩をがっちり掴まれてしまった。
ああどうしよう。早く行かないとお店にも間に合わない。やっぱりもっと気をつけるべきだった。そもそもなんのお店かもわからないし、何をさせられるのかもわからない。今更恐怖心が湧いてきて、涙で視界がボヤけてきた時やる気のなさそうな低い声が耳に響いた。
「ちょっとォうちの店の子取らないでよ」
「あ…坂田さん、」
振り返ったそこにいたのは、やっぱり坂田さんだった。会うのは二度目なのに酷く落ち着かせるのはどうしてなんだろう。
「えっ働いてるって…もしかして万事屋なの?!」
「そうそううちの従業員。変なこと教えないでねピュア子ちゃんだから」
「なんだよなら始めからそう言えよォ」
あんなに強引だった男性は万事屋だと知った途端引いてくれた。銀さんまた来てくれよなーと言いながら去っていくその背中を息を吐き出して見つめる坂田さんを見上げた。ほんのりと赤い頬から察するにもうすでにどこかで一杯ひっかけてきたんだろう。坂田さんがいなかったらあのまま連れて行かれてたのかな。すまいるに向かう途中だったらしい坂田さんと並んで歩く。咲さんと同じことを坂田さんにも言われて本当にその通りだと恥ずかしくてたまらない。
「穂花ちゃんさァもっと危機感?つーか警戒心持った方がいーよ。ここの町の奴らは人の良さそうな奴もそうじゃねェ奴も腹ん中では何考えてるかなんてわかんねーのばっかだからよ」
私はまだかぶき町がどんなものかを知らない。それがきっとこの町の人たちにはわかるんだろう。だからそこに付け込まれたりするんだ。
「…そうですね。私、ずっと田舎で暮らしていたからこういうことに疎くて」
「ま、かぶき町はこういう町だってわかったろ。これからはもっと気をつけるんだな」
「坂田さんはずっとかぶき町に住んでいるんですか?」
「んー?いや、来たのは何年か前」
「…私も何年かしたら坂田さんみたいに馴染めるのかな…」
馴染むべきなんだろうか。馴染んでしまったらもう本当に帰れない気がして、怖くてたまらない。私はこれから先ずっとここで生きていかなければいけないのかな。まだ大学に通い始めて二年目。アルバイトだってほとんどしたことのない甘ちゃんな私がこんなところに放り出されて、どう馴染めと言うんだろう。自分で発した言葉なのに疑問が湧いては消えていく。
私の世界では、私はどうなっているんだろう。行方不明になっているのだとしたら家族も友人もきっと心配しているだろうな。…会いたいな。
帰りたい。早く帰りたい。
「別に無理して馴染む必要はねーだろこんな町。まァ、悪い奴らばっかじゃねえから徐々に見極めていけばいいんじゃね?ほら俺みたいな超カッコイイ男もいるしィ」
突然黙り込んだ私に気づいて、慰めようとしてくれているのかな。でもこういうことするのは苦手なようで鼻に指を突っ込みながら私をチラ見したきり顔を見てくれようともしない。なんだかその顔がすごくおかしくて笑ってしまった。ああ、ちょっとだけ寂しさを忘れられた気がする。
「ふふ、坂田さんそういうのって自分で言っちゃダメなんですよ」
「え?そうなの?じゃあ誰が言ってくれんの?俺のこと誰が褒めてくれんの?穂花ちゃん言ってくれますかァ?」
「坂田さんはすごくカッコイイですよ。こんな私のことも、助けてくれた」
そう笑って言ったら紅い瞳を見開いた後銀色の髪をボリボリ掻きながら息を零した。
「…お前よくもまあ、ンなこと恥ずかしげもなく言えるなコノヤロー。銀さんちょっとドキッとしちゃったじゃん。騙されないからね銀さんお金持ってないからね」
「騙せるほど、まだキャバ嬢として一人前になれてないですよ」
「ま、そうかもな。お前がキャバ嬢っぽいのって顔面だけだしな」
一人前になれなくても、帰るまではここにいたい。暗闇で一人いたくない。かぶき町は怖いけれど、夜でもとても明るくて少しだけ暗闇にいることを忘れさせてくれる。
「坂田さんに…一人前になったなって言ってもらえるように頑張ります」
涙が出ないように拳を強く握りしめて出来る限りの笑顔で坂田さんにそう告げたら気怠そうな瞳私に向けてきた。その紅い瞳の奥に薄っすらと見え隠れする寂しさが、暗闇にいるのは私だけじゃないと教えてくれているように思えて少しだけ安心する。
「まァなんだ、あんま無理すんな。何かあったら万事屋銀ちゃんまでどーぞ。金さえ貰えりゃどんな仕事でもするぜ」
ポンと私の頭に手を置いてからしわくちゃな名刺を私に差し出した。渡された名刺をまじまじと見つめていたら坂田さんはそのまま来た道を戻ろうとし始めた。
「あっ、あの、すまいるに行くんじゃ…」
「やっぱ今日は金ねーから、また今度にするわ。そろそろツケのこと言われそうだしなァ」
ぱっと顔を上げたその先にあったのはオレンジ色に輝く太陽に反射した髪だった。キラキラと眩く光るその髪は、私の心を掴んで握りつぶそうとする。
ーーああ、だめ。
あれだよ、苦しい時に優しくしてくれた人を好きになるって言うじゃない。きっと、今この人に抱いている感情はそれなんだよ。独りで怖くて寂しかったところに欲しい言葉をくれたのがこの人だっただけだよ。寂しそうに見えたなんて、きっと私の勘違い。
今日は本当にお金がなかったんだよ。私をわざわざすまいるまで送ってくれたんじゃない。
だから、勘違いなんてしちゃいけない。
こんなに太陽の光が似合う人が、私と同じ暗闇にいるはずないのだから。