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久しぶりに深い眠りにつけた今日は、いつも見るあの夢じゃなくてとてもリアルな夢だった。

それは、大学の入学式。一人暮らしを始めたばかりでいつも寝坊したら起こしてくれていた母がいないことを忘れていて、起きたらもう家を出ないといけない時間だった。ベッドから飛び起きて顔を洗って髪を整え化粧をする。真新しいスーツを着て急いで家を出た。勿論入学式には間に合うはずもなく、そーっと会場に入った。学長の話にみんなが注目しているすきに屈んで自分の席に向かっていたら、高校の同級生に見つかって何やってんのって笑われた。


ああ、あったなぁこんなこと。


そんなに昔のことでもないのに、酷く懐かしい。皆どうしているんだろう。会いたいなぁ。そんなことを夢の中で思い描いていたら、激しい物音で意識が覚醒していく。

せっかく夢の中だとしても会えたのに。

このまま、夢の世界にいられたらいいのに。





「テメーコラ銀時!!家賃も払わないくせに女連れ込むたァどういう了見だい!」
「ちょっ、えっ、やめっ」
「私が知らないとでも思ってんのかィ!」
「ちっ、ちげーよコイツはだなァ、とりあえず物投げんのやめろクソババア!!!」

夢の中にまで響く物音は、坂田さんに向かってテレビのリモコンやら机やら椅子を投げつけている音だった。その様子を寝ぼけ眼で見つけてどんどん頭が覚醒していく。急いで布団から出て寝室を出た。いろんなものが散乱した部屋を唖然として見ていると女性が勢いよく此方に体を向けた。

「アンタ何もされてないかい?!どうやって連れてこられたのか知らないけどね、こんなダメ男について行くもんじゃないよ!」
「あっ、えっと、その、」
「怯えてるじゃないかい!銀時アンタ何やらかしたのさ!!」
「何もしてねェェェ!!!!テメーに怯えてんだろーが鬼ババア!」

口を挟む間も無く飛び交う言葉の応戦に思わず苦笑いがこぼれた。こんなに賑やかなの久しぶりだなぁ。

「とにかくさっさと家賃払いに来ないとその腐れ天パ引っこ抜くよ」
「抜いてみやがれババア。そしてストレートパーマにして下さい!」

一通りの暴言を吐き切ったのかタバコをふかしながら颯爽と去って行った女性は下のスナックを経営するお登勢さんらしい。悪態をつきながら坂田さんが教えてくれた。

「ったく、もう一眠りしようと思ってたのによォ。目ェ覚めちまったじゃねーか」
「ふふっ」
「…なに」

ソファに腰掛け、バサッと大きな音を立てながら新聞を広げてぶつぶつ文句を言う坂田さんが、なんだかお母さんに怒られた子供みたいで笑ってしまった。

「とっても仲良いんですね」
「そう見えたか?今の何を見てそう見えたァ?!」
「ふふ、はい」
「あそう…」

どうして坂田さんがここに住むようになったのかはわからないけれど、お登勢さんとの関係を見てなんだか私が嬉しい気持ちでいっぱいになった。まだ嫌そうに眉間に皺を寄せる坂田さんを見上げると、浅く息を吐いて私の目の下に触れた。

「クマ全然消えてねーな。どんだけ寝てねェんだよお前は」
「…それ、は」

ゆっくりと撫でるその手は、やっぱり暖かくて離れがたくなる。図星を突かれて何も答えられない私をじっと見つめるその瞳は昨日感じた寂しさなんて微塵もない。

「ま、話したくねェなら別に構わねーが、ちゃんと寝ろ。そんなマッチ棒みてーなほっせェ体で睡眠足りてなかったらいつか倒れるだろうが。あと抱き心地がよくねーな。もうちっと柔らかい方が銀さんは好みだな」
「…うん、…え?」
「寝れねー時は昨日みたいに一緒に寝てやるけど?身の安全は保証しませんけどね」
「ふふ、そうします」

そんな冗談ばかり言う坂田さんが面白くて、そう笑って答えると坂田さんは私をじっと見つめた後私が口を開く前に体を背けた。大きく背伸びをして、何かご飯でも食べようと台所に向かう坂田さんは何を言おうとしたんだろう。さっきの坂田さんの表情の意味を汲み取れなくてその場から動けずにいたら台所から顔を出した坂田さんに話しかけられた。

「穂花ちゃーん。卵かけご飯でいい?」
「あ…私何か作りましょうか?」

思考の渦に飲み込まれそうになっていたのをなんとか踏み止まって、無理矢理笑顔を貼り付けて台所に向かう。

「マジでか。じゃあなんか適当に頼むわ」
「はい。ちょっと待ってて下さい」


坂田さんが部屋に戻るのを見届けてから冷蔵庫を開けるとご飯と卵とケチャップがあった。他に食材なさそうだし、オムライスにしよう。それにしてもいちご牛乳がいっぱい並んでたけど、坂田さん好きなのかなぁ。先程の出来事を忘れるように別の事に思考を巡らせながらオムライスを作っていく。


そういえば、昔お母さんにオムライスよく作ってもらったなぁ。幼い頃から母が作るオムライスが大好きで、初めての一人暮らしで寂しくなった時真似て自分で作っていたっけ。けれど、いくら作ってもあの味には近づけることができなかった。

お母さん、元気にしてるかな。

暗い海に沈みそうになったのをなんとか浮上させて母に教えてもらったオムライスを作ってお皿に盛り付けた。坂田さんは勘が良さそうだから気付かれないようにしないと。

「おまたせしました」
「お!オムライスじゃん」

社長椅子に座ってジャンプを読んでいた坂田さんに声をかけると余程お腹が空いていたのか飛ぶようにソファの方へ来て食べ始めた。

「オムライス、昔母がよく作ってくれたんです」
「へぇー。そういえばお前なんで江戸に来たんだっけ」
「えっ…と、」

理由なんてない。とは言えるわけもなく、口を噤んでしまった。なんだかこういうことばかりだな。感謝の気持ちでいっぱいだとかいい人たちだとかそんなこと思っていたっていつもこうして距離を置いてしまう。そんな自分が嫌でたまらないけれど、私が何者なのか、何処から来たのか知られるわけにはいかない。

「父と喧嘩して…家出してきたんです」
「ふーん」

店長に言ったことと同じような話をしたけれど、あまり納得してもらえてないように思う。話をすり替えようと何かすることはないかと質問したら掃除と洗濯と短く言葉を吐き出した。

その後は特に会話もなく、言われた通り掃除と洗濯をこなしていく。坂田さんはまた社長椅子でジャンプをひたすら読み漁っているみたいだ。何を考えているのかわからないけれど、それを聞く勇気もなくて黙々と作業をした。




全て終わった頃には外は薄暗くなり始めていた。そろそろ帰らないと。あまり長居しても迷惑になるだけだ。いつの間にかソファに寝そべっていた坂田さんに声をかけた。

「あの、坂田さん…そろそろ帰りますね」
「ん…あーもうこんな時間?」

のそのそを体を起こして玄関に向かって歩き出した坂田さんに急いでついて行く。玄関まで見送りをしてくれるのかと思ったら坂田さんはブーツを履き始めて素っ頓狂な声が出てしまった。

「えっ、あの、一人で帰れます…よ?」
「はぁ?ちげーよ。いちご牛乳が切れてたからコンビニまで行くの。お前を送るのはそのついで」

ホラ、早く出ろと有無を言わさない口調で言われたらもう断ることもできそうになかった。自宅の場所を大まかに伝えたらわかってくれたみたいで私の少し前を歩き始めた。さっきよりも暗くなった街中にネオンが灯り始める。

この輝きも、高く聳え立つターミナルも、嫌いだ。私がこの世界の人間じゃないことを伝えてくるように感じるから。でも、風情ある街並みの中でこの光とターミナルだけが元いた世界を思い出させてくれる。その矛盾が苦しい。

何も話さず私の前を歩く坂田さんを見つめてみると、ネオンの光に反射して銀色の髪がキラキラと輝いて見えた。


ーーああ、綺麗だな。


その輝きをいつまでも見ていたくて家に着かなければいいのにと思っても、勿論そんなはずもなくあっという間に家に着いてしまった。

「じゃあなー。早く寝ろよ」
「あ、あの、送って下さってありがとうございました」
「はいはい。ホラ、さっさと中入れ。俺ァこれからいちご牛乳買いに行くんだから」

そう私に告げて、背中を向けて歩き出そうとした坂田さんはくるりと振り返ってきた。なんだろう?

「穂花」
「あ…はい、」

突然名前を呼び捨てられて思わず心臓が跳ね上がりそうになるのを必死に堪えながら見上げた。呼び止めたのは坂田さんの方なのに何も言わずにただじっと私を見るだけだった。何かあったのかと口を開こうとした時、まるで私に喋らせないように頭をぐしゃぐしゃと撫で回してきた。

「さ、坂田さん…?」
「なんでもねぇよ。またな」

何が何やらわからない私を見て、ふっと微笑したあと今度こそ本当に帰って行った。あの人、あんな笑い方もするんだ…

ねぇ坂田さん。
そっちにコンビニないですよ。
それに、いちご牛乳たくさん冷蔵庫に入っていましたよ。全部全部、私に気を使わせない為に着いた優しい嘘なんだろう。


どうしてこんなに優しくしてくれるんだろう。店長や咲さんや、スマイルの人たちもそう。いつだって私に優しさをくれる。暖かい陽だまりのような手を私に伸ばしてくれる。だけどその優しさは私には眩しすぎて、目を開けることもままならない。

でも、背中を丸めて歩くあの人の優しさは、他の人とは違って見えて何故だか私から手を伸ばしそうになる。助けて欲しくなる。


あの人の優しい嘘にも、暖かいその手にも、


溺れるわけにはいかないのに。