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坂田さんに身分証を作って欲しいと依頼してから一週間ほど経ったある日、咲さんとお客さんを見送っている所に坂田さんはやってきた。

「あら、銀さんじゃない。今日はお金あるの?」
「人を貧乏人みたいに言うんじゃねーよ」
「貧乏人でしょ?ツケも溜まってるくせに」

咲さんはいつものように銀さんを揶揄いながら席に案内して、私に宜しくねと笑いかけると別のテーブルに行ってしまった。

「どうだァ?」
「え…?」

知り合ってもう何ヶ月も経つのに何故だか緊張してしまってお酒を作ることで会話から逃げていると坂田さんは私にそう話しかけてきた。どうって、何がどうなんだろう。

「ここでの生活。前、馴染めるかなーってビービー言ってたろ」
「び、ビービー言ってないですよ…」
「今にも泣きそうな顔してけどなァ?」
「もう…意地悪言わないでください」

恥ずかしさを隠すように急いで坂田さんがいつも飲む水割りを作って目の前に置いた。お酒が大好きな坂田さんならすぐに口にすると思ったのに右手は着流しに突っ込んだまま動かない。坂田さんの視線はくるくると回る水割りの中に入った氷に向けられていて、その瞳の奥の感情は読むことができない。何かあったのかな。私が聞いていいことなのかな。きっと、私が聞いたところで坂田さんは何も教えてくれないだろうけど。

「あの、坂田さん…?」
「ん?あー悪ィ悪ィ。なんだっけ穂花が泣いてた話だっけ」
「泣いてないですよー…」
「まぁ、少しは様になったんじゃねーの?」

お酒の入ったグラスに手を伸ばしながらそう私に言った坂田さんの瞳は、やっぱり何を考えているのかわからない。けれど、それを聞くほどの関係性でもなければ、勇気もない。

咲さんなら上手に聞き出すのかなぁ。

「まだまだです…。指名だって、一度も取れてないし…」
「ンなもんそのうち取れるようになんだろ。心配したってしょーがねぇよ」

そう言ってお酒を煽る坂田さんは、きっと咲さんでも本音を言わないんだろう。坂田さんのことをほとんど知らないけれど、それだけはわかる。何故そう思うのかはわからないのだけれど。

「あー忘れてたわ。穂花、コレ」
「え…?」

特に話すこともなくなってお酒を作っては坂田さんが飲んでまたお酒を作るをひたすら繰り返していると、茶色い封筒を手渡された。

なんだろう、これ。

「この前依頼してきたやつ。書類とかなんかよくわかんねーけど色々入ってるってよ」
「あ…身分証…」
「これでさっさと携帯買って営業メールでも打って指名取りなさい。じゃあ俺用事あるからけーるわ」

坂田さんは私のポンと頭を軽く撫でると作ったばかりのお酒を一気に飲んで立ち上がって歩き出した。急いで後を追いかけて、出口に向かう坂田さんを呼び止めた。

「あ、あの、坂田さん依頼料を…っ」
「あ。忘れてたわ。じゃあこれまでのツケ代わりに払っといてくれや」
「そんなのでいいんですか?きちんとお代支払います…っ」
「そんなのってお前、結構な額ですけど」
「えっ」

結構な額っていくらくらいなんだろう。貰った給料は特に使い道がなくてずっと貯めているけど、支払えるかな。そう考えているのが顔に出ていたのか坂田さんは嘘だと意地悪そうに笑いながら私に言うと扉を開けて外に出てしまった。用事があると言っていたからきっと急いでいるのだろう。けれど、この前出来なかったお詫びをきちんとしておきたくてもう一度引き止めてしまった。

「んだよ。大丈夫だよそんなにツケ溜まってないはずだから。…多分」
「あ、いや、それはあの、構わないんですけど」
「じゃあなんだよ」
「あ、あの…こんな面倒なことお願いしてしまって、すみませんでした」

今度会ったら、きちんと謝ろうと決めていた。私が普通にこの世界の人間だったらお願いするはずもないような手間のかかることを坂田さんにお願いしてしまったことをずっと後悔していた。ただの自己満足かもしれない。坂田さんにとって沢山ある依頼のひとつかもしれない。でも、どうしても謝っておきたかった。頭を深く下げて地面に向かって謝罪の言葉を落としたけれど、坂田さんは何も言ってくれなかった。どうしたのか気になって顔を上げようとしたら強く頭を押さえつけられてぐしゃぐしゃと撫でられた。

「さ、坂田さん痛い…」
「お前さァ……」

ふっと手の力が弱まって頭を上げて坂田さんを見上げた。なんだか、一瞬だけ悲しそうに見えた気がした。言葉の続きは出てこないまま坂田さんは気怠そうな顔を私に向けてきた。

「いや、やっぱいいや。んなこと気にしなくていいんだよ、依頼なんだから」
「あ…はい、」

なんだか無理矢理まとめられた気もしたけれど、きっと坂田さんはこれ以上何も言ってくれないだろうと納得することにした。私に仕事頑張れよと言ってそのまま振り向くことなくネオンの中に消えていく坂田さんを目で追っているとカメラのシャッター音のような音が聞こえた気がした。辺りを見渡してみてもカメラを持った人なんていなくて、楽しげに歩く人々しか見当たらない。

「…?気のせい、かな」


きっと私の勘違いだろう。それよりも、坂田さんから貰った身分証を見たくて急いで店内に入りトイレに駆け込んだ。さっき坂田さんから受け取った茶封筒から身分証を取り出してじっくりと見ていると、なんだか酷く安心した。偽物の身分証なのに、そんなはずないのに、まるでこの世界に私の存在を認めてもらえたような気分になる。ここにだって私の居場所はあると言われている気がしてしまう。



もう少し。

もう少しだけ、頑張ってみよう。


そう心に決めて出たお店のフロアはさっきとは少しだけ違って見えた。