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あれから坂田さんは、私が出勤している日は毎日迎えに来てくれている。流石に行きも帰りも、というのは申し訳なさすぎて、行きは一人で行くと咲さんと店長を説得した。そのかわり、少しでも日が高い時間帯に出勤できるように、ボーイさんたちと店内清掃をして夜は12時までしか働かないこと。という条件を咲さんから言われた。店長は少し苦い顔をしていたけれど、まあその方が安全だしと許してくれた。あと、他のスタッフにはストーカーのことも坂田さんがボディーガードとしてすまいるに迎えに来ていることも極力言わないでおこうという話でなんとかまとまった。


坂田さんはあの日以来私には一切触れない。夜には必ず来てくれるし、家まで送ってくれるけど、仕事のこととか聞いてくれるけど、でもストーカーのことは何も聞いてこなくなった。心配してくれた坂田さんに嘘をついて、本音を隠して、拒絶したのは私なのに、寂しいだなんて私はなんて我儘なんだろう。

坂田さんが一緒に帰ってくれるようになってから、舐めるようなあの視線はほとんど感じなくなった。家でも扉を叩かれることはない。けれど、殺気に似た視線を感じるようになった。ずっと見張られているような感覚。少しでも寝たら、寝ている間に殺されてしまうんじゃないかと考えてしまうほどの視線。やっと、坂田さんのおかげで眠れるようになったのに、またほとんど眠れない日々が続いていた。




「穂花ちゃん、ちゃんと寝てるかい?」

いつも和田さんが飲むお酒を作っている時に突然そんな言葉が降ってきた。もしかして、隈隠せきれてなかったのかな。

「えっ?ど、どうしてですか?」
「すごく疲れているように見えるからさ、眠れていないのかと思って」
「そんなことないですよ!最近季節の変わり目で寒暖差が激しいから体調管理が難しくて…」
「あぁ〜。朝晩は寒いのに昼間は暑いから服装に困るんだよなぁ…」
「そうなんです!困りますよね」

なんとか誤魔化せたけれど、和田さんもよく気がつく人だから、気をつけないといけないなぁ。これ以上和田さんに心配かけないようにいつもよりも明るく努めた。和田さんが帰った後も、新規客や指名客の人が何組か来てくれて、気がつけば坂田さんと待ち合わせから1時間も経っていた。


急いで帰り支度をしていると、店長に坂田さんが事務所で待ってることを教えてもらって駆け足で向かう。勢いよく扉を開けて遅くなりましたと声を張りながら入ると、坂田さんはグースカといびきをたてて眠っていた。結構煩かったと思うのに、坂田さんはまったく起きる気配がない。顔の方に近寄って、肩をトントンと叩いてみても顔をこちらに向けた拍子に涎が手に垂れただけでまったく起きない。



ーーいいなぁ。

私も、これくらいぐっすり眠りたい。もうどれくらい、ゆっくり眠れていないんだろう。最近はほとんど寝てないから、よく覚えていない。体力の限界で意識を失うように寝たとしても、あの強い視線が夢にまで出てきて目が覚める。

坂田さんや咲さん、いろんな人たちに勇気や元気をもらって、頑張ろうと思えるようになって。自分なりに頑張ってきたつもりだけれど、なんかもう、疲れてきたなぁ。

この世界に来る前は、眠れないなんてことなかったし、毎日が楽しくて、充実していて、恐怖に震えることだってなくて。他人と関わることが怖いと思うこともなくて。


どうして、こうなってしまったんだろう。


なんで、私がこんな目に遭わなくちゃいけないの?


なんで?どうして?もういやだ。


そんな言葉がグルグルと頭の中を駆け巡る。けれど、もちろん答えなんか見つからないし目の前の坂田さんは変わらずスヤスヤ気持ち良さそうに眠っている。

そろそろ帰らないと。そう思い、もう少し大きい声で起こそうと息を吸った瞬間、私が入ってきた扉が勢いよく開いた。


「あれ!穂花ちゃんまだ居たの!!!もしかして銀さんまだ起きないの?!」
「そ、そうなんです…」
「どうせ優しく肩トントンとかしたんだろォそんなんじゃこの呑んだくれは起きねェよ!そういう時はなァ!!!!こ、」
「うるさすぎてもう起きたわ!!!!!!」
「あ、はは…」


店長のおかげで無事起床してくれた坂田さんは気持ちよく寝ているところを起こされたからか少し不機嫌そうに私に「行くぞ」と言うと大きな欠伸をしながら歩き始めた。ソファーに座り込んでいた私は、急いで立ち上がって店長に挨拶もそこそこについていく。少し足元がおぼつかない坂田さんは、私を待ってくれている間どこかで飲んできていたみたいだった。


「あ、えっと、どこで飲んでたんですか?」
「ババアんとこ」
「お登勢さん、お元気ですか?」
「やかましいくらい元気なんじゃね?毎日毎日金よこせ金よこせってうるせェしな」
「お登勢さんらしいですね。えっと…この後も飲みに戻るんですか?」
「…どうすっかな〜さっき追い出されたしなァ」


坂田さんが寝ている間、嫌な自分がいっぱい出てきて、心の中で坂田さんに当たるようなことばかり考えてしまったからか、取り繕うように坂田さんに話しかけていた。別に、坂田さんは私の心の中を覗けるわけじゃないのだから、気づかれることでもないのに。なんだか罪悪感でいっぱいになって、自己嫌悪に襲われてそんな自分がさらに嫌いになる。それでも口は止まらない。

「あっあの、じゃあ、今日の代金私がお支払いしましょうか?いつも、迎えに来てもらってるのに何もお返し、…」


そこで言葉は止まってしまった。少し前を歩いていた坂田さんが立ち止まって、振り返ったから。見たことのないような冷たい目を、していたから。

「やっと黙ったな。穂花ちゃんは今日よく喋りますねェ〜。なに?」
「……」
「かと思ったらお得意のだんまりか」


深いため息を吐くと、坂田さんは再び歩き出してしまった。あぁ。また嫌われた。この前からどんどん嫌われていっている気がする。いつもそう。少し近づいたと思ったら、離れて、近づけたと思ったら、離れられて、私と坂田さんはずっとそんな関係だ。隣を歩くなんてこと、きっと一生できないんだろうな。




そのまま、一言も話さず私を家に送り届けた坂田さんは再び夜の街に消えて行った。