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「はいじゃあカンパーーーイ!!」
「カンパーーイ!」
今日は上客である江戸一番の会社の飲み会の接客に当たっていた。他にも先輩たちがいる中での接客はあまりしたことがなかった為、少し緊張しながらできるだけこの空気に馴染めるように笑顔を意識してグラスを掲げた。社長と思われる人には先輩である飛鳥さんがついて、あとは適当に間に座りながらの接客だ。私は、一番端でドリンクを作ったりボーイさんに注文をしたりする役目だった。いつもは大体一人か二人を相手に接客することが多いから、こんなに大人数のドリンクを作ることはあまりない。もたついているとコの字形のソファーの真ん中で社長の相手をしている飛鳥さんに早くするよう注意を受けた。
飛鳥さんは仕事に対してとても厳しい人だけれど、最近今まで以上に厳しく注意されることが増えたように感じる。
一人前になっただなんて、調子に乗ってちゃいけないな。もっと手際よく、要領よくこなしたいのになかなか難しい。
「穂花ちゃん飲んでる〜?さっきからお酒作ってばっかじゃねェかー!ホラ、飲め飲めー!」
「あっ、えっと、はい!いただきますね」
そうしていつもよりもたくさんお酒を飲んで自分でもわかるくらい酔っ払っていた。頭はふわふわするし足は所謂千鳥足。やばいな、飲み過ぎたな…。
少し休憩したくて、お手洗いに行くと言って席を外し、もつれる足を踏み間違えないようにゆっくりとメイクルームに向かっていると、飛鳥さんに呼び止められた。
「穂花、あんた飲む量調節することもできないの?お客が酔っ払うならまだしも、私らキャバ嬢がそんなフラフラになるまで飲むなんてどういう神経してるわけ?!」
「す、すみませ、ん…」
「あの上客は私の大事なお客なの!!適当な仕事するなら辞めてよ!」
「……っ」
飛鳥さんの言うことは尤もだと思った。本当、その通りだ。お酒を準備するのも話を上手に聞くのも話すのも、私はまだまだだ。全然上手に出来ない。上手くいっているのは、たまたま私を指名してくれる人たちが優しい人たちばかりだからだ。だから、私をきつく叱責する飛鳥さんに何も言い返せなかった。何も言わない私に苛立ったのか、飛鳥さんはそのまま力任せに扉を閉めてフロアに戻ってしまった。ああ、これじゃあまた迷惑をかけたままになってしまう。ふらつく足のまま飛鳥さんを追いかけるようにフロアに出た。なんとか挽回しようと思って席に戻ると、先ほどよりもテンションの上がったお客様の空気に、尻込みしそうになる。
「おおー穂花ちゃん戻ってきた!ホラホラもっと飲もうやァ」
「あっえっと、その、」
「新人は飲むのが仕事だろがァ飲め飲め〜」
飛鳥さんの視線が痛い。私はどうすればいいの。考えようとするのにどんどん酔いが回ってきて思考を停止させる。お酒の入ったグラスを強引に持たされ、一気に飲めとそこにいる全員で煽られる。グラスに落としていた視線を飛鳥さんにそっと向けた。
「せっかくなんだから頂きなよ、穂花」
口元は笑っているのに目は全く笑っていない。粗相をすることは許さないけど、飲まないことも許さない。飛鳥さんの目が私にそう告げる。先程から頭はぐわんぐわんと揺れている感じがしているし、身体も顔も火照っているし、限界だと、思考が働かなくなった私の頭でもわかる。でも、きっと今私がすべきことは手の中にあるグラスを煽ることなんだろう。飛鳥さんは何も言わないけれど、瞳がそう言っている。
意を決してグラスを口につけ、グッと煽り飲み干した。周りの人からおぉ〜という歓声が聞こえ、「さっもう一杯もう一杯」とお酒を注がれた。もうこれ以上は飲めない。きっと少しでもお酒を体内に取り込めば吐いてしまう気がした。
「あっ、あの、もう、」
「穂花さん指名入りましたァ」
「え?」
粗相をする前に、思考が完全に停止してしまう前に断る方がいいと思って声を発するのと同時に聞いたことのある声が頭の上で聞こえた。私が振り向くより前に持っていたなみなみにお酒が入ったグラスはさっと取り上げられた。
「銀さん何してるのよぉ!それ穂花のお酒なのに!ていうかその格好、なぁに?バイトでも始めたのぉ?」
飛鳥さんの甘い声が坂田さんの名前を呼んだ。ああ、やっぱり、坂田さんなんだ。最近はずっと気まずいことが多いのに、それでもこの人の声を聞くだけで安心する。緊張で張っていた身体から力が抜けていくのがわかる。そんな私の腕を掴むと、どうやら飲み干してしまったらしい私のグラスをテーブルに置き、掴む手に力が入り強制的に立たされた。
「うっせ、飲まずにやってられっか。コイツは連れてくからなー」
「えっちょっと銀さん!」
坂田さんはそう言うと、飛鳥さんの制止も無視して私の腕を引き、フロアをどんどん進んでいく。突然歩き出したせいか先ほどよりもお酒が回り、体がふわふわと浮いているような錯覚に陥る。ああ、このまま眠ってしまいたい。そっか、お酒をいっぱい飲めば、あの恐怖を気にすることなく眠れるんじゃないかな。腕を引かれながらそんなことを考えていると、いつのまにかフロアを越え、メイクルームの前まで連れて来られていた。
「お前は何ベロベロに酔っ払ってんの。あの中の誰よりも酔っ払ってんじゃねーか」
「ご、ごめんなひゃ、」
「呂律も回らねーくらい飲んでんじゃねェよそれぐらい調節すんのが仕事だろーが」
飛鳥さんと同じことを言われてしまった。その通りだと思うし、おそらく助けてくれた坂田さんに感謝しなければいけないのもわかっているけれど、何故だかすごく腹が立った。普段の自分ならきっと何も気にならず坂田さんの言葉を受け止められていたはず。お酒で気が大きくなっているからか、なんだかとても腹が立って、自分だっていつもベロベロに酔っ払っているくせになんて、そんなことを思ってしまう。
「……っ、今日は、ひとりで、かえり、ます」
「はぁ?ンなふらっふらな足でどうやって帰んだよ」
なんて可愛くない女なんだろう。坂田さんが心配してくれてることは、酔った頭でもちゃんとわかっているはずなのに、口をついたのはそんな言葉だった。よろめきながらメイクルームに入り、鞄を手に取り、引き止める坂田さんを無視して裏口から外に出た。
外は湿度が高いのか蒸し暑く酔いをひどくさせる。楽しそうに街を歩く人たちをふらつく足でなんとか避けながら歩いていると、二人組の男性に声を掛けられた。
「おねーさんひとりィ?良かったら俺たちと飲みに行かねェ〜?」
「おねーさん可愛いし奢ってやるよ?どう?どう?」
なんだか、その言葉が酷く心地よく感じてしまった。いつもなら、怖いと感じているだろうし、断ろうとしているだろう。けれど、今日はもう少し飲みたくて、酔っていたくて、酔って全てを忘れたくて。その言葉を受け入れようと口を開こうとした。
「はいはい俺が先約でーす。今からホテル行って激しく抱きまくって足腰立たなくさせる予定なんで邪魔しないでくださーい」
開こうとしたのに、坂田さんのひんやりとした手が口を覆って何も言葉を吐けずにそのまま人通りの少ない道まで連れていかれた。
「お前、自分の状況わかってんのか?なぁ。ストーカーされてンだろうが。酒飲んで、酔っ払って、ホイホイ男についていこうとするとか馬鹿なの?頭わりーの?」
坂田さんの言いたいことはわかる。本当にその通りだって思う。でも、今日はどうしても飲みたかった。もっともっと、何も考えられなくなるまで飲んでしまいたかった。けれど、そんな言葉を口にすることはできなくて、自分の着物をぎゅっと掴んだ。眉が下がって、瞼が震える。ああ、泣きそう。何も言わない私に、坂田さんが首を少し下げて視線を合わせてきた。その瞳は、出会った頃の瞳によく似ている気がして、逸らしたいのに魅入ってしまう。
「なぁ穂花。飲んで忘れてェのかもしれねーが、ンなことしてもなんの解決にもならねェってお前が一番よくわかってんだろ。俺だって暇じゃねーの。暇だけど。何されてんのか全部教えてもらえねーと何もしようがねェだろ」
「…っ、わかっ、てます」
「ならちゃんと言え」
でも、いつもよりも真剣で。眉毛が瞳にぐっと寄っていて、怒っているようにも見えた。いやだな。怒らせたくないのに、迷惑かけたくないのに、いつもその逆のことばかりしてしまう。そんな顔、してほしくないのに。
「さかたさん、おこってる…」
「はあ?」
「さかた、さんめんどくさいって、思ってるんでしょう…?」
そう言って坂田さんを見ると、頭をボリボリ掻きながら深く息を吐いて私の頬をするりと撫でた。この人の手はいつだって心地がいい。でも、微かに照らすネオンの光が坂田さんの優艶さを際立たせてさらに酔いが回った気さえした。
「…そうだなァ酔っ払い。どんどん呂律回らなくなってきてんな。どんだけ飲んだんだよおめー」
「さかたさんに、きらわ、れたく、ないのに」
「俺に嫌われたくねぇの?」
「うん…」
「なんで」
「わかん、ない…でも、きらわれ、たくない」
この人には嫌われたくない。そばにいてほしくないけど、いてほしい。ずっと私を見ていてほしい。坂田さんに触れて安心したい。でも、触れないでほしい。坂田さんは、私の心が壊れそうな時、まるで図ったように私に触れる。今だって、気がつけば坂田さんに背負われていて、その背中の温もりにそのまま眠りに落ちそうになっている。心まで、坂田さんという深い海に落ちてしまいそう。落ちたいのに、落ちたくない。本当に私は矛盾だらけだ。
「ホラ、帰るぞ」
「ん…いえ、こっちじゃない、です」
「そんなベロンベロンで一人で帰らせられるか。咲に殺されるわ」
そうやってゆっくりと歩き出した坂田さんの表情はもう見えない。でも、確かに感じる温もりが、昨日の出来事は夢だったんじゃないかと思わせてくる。昨日はあんなに冷たくされたのに、どうして今日は優しいのかな。坂田さんは、何を考えているのかな。私のこと、どう思っているのかな。
「お前、また寝れてねェんだろ」
「すこし、だけ、です…」
「どこが少しだよ。ンな隈作って。まぁ今日は?特別に?坂田さんが一緒に寝てやるからいっぱい寝てその隈消せや」
「う、ん…」
ふわふわ、ふわふわ。
歩くたびに頬に触れる髪が優しく私を包んでくれるように感じて、それが心地良くて、でも辛くて、ほんの少しだけ涙が零れた。