(診断メーカー「君と過ごす夏」)
「何やってるの?もう外は暗いけど」
懐中電灯を持って、外に出ようとしたところで、徳田先生と目が合った。咎めるような口調に肩をすくめる。
「図書館の庭に幽霊が出ると利用者の間で噂になっているようで、見回りをしようと思いまして……」
声をひそめたのは、ここにそういう話に食いつきそうな人がいるからだ。大騒ぎになっては近隣から苦情が入る。幽霊が出るとは思えないが、噂の原因になっているようなものがあるのなら、早めに対処しておきたい。
「はぁ……事情はわかったけど、この時間に1人で出歩くのはどうかと思うよ」
呆れたように言った先生は私の手から懐中電灯を取った。驚いていると、さっさとドアを開けてしまう。
「ほら、行くよ」
「あ、はい。すみません、ありがとうございます」
なんだかんだで世話を焼いてくれる徳田先生には助けられっぱなしだ。私は慌てて先生を追いかけた。
◆ ◆ ◆
そこら中から虫の声がする。懐中電灯の光に寄ってくるのか、小さな虫が近くを飛び回る。蚊に刺されたら嫌だなぁと顔を顰めつつ、庭を歩いて行く。
「噂だとどのへんなの?」
「そこまではわかりません」
「やれやれ……奥の方にも行ってみる?」
「そうですね、念のため」
普段はあまり人が立ち入らないであろう場所だが、もしかしたら何かあるかもしれない。不意にがさりと音がして、思わず声を上げてしまう。先を歩いていた徳田先生が振り向いた。
「まったく、そんな調子でよく1人で見回りをしようと思ったね」
「仕事ですから」
徳田先生はやっぱり呆れた顔をして、それから私の手を引いた。何事もなく庭を進んで行く。普段から広いとは思っていたが、こうやって歩いてみると思った以上に広い。
「ひっ……!」
何か白いものが見えた気がして、私は立ち止まった。幽霊なんて出ない、出るはずがない。この図書館で誰かが亡くなったとか、この図書館に怨みを持った人がいるとか……そんな話は聞いたことがない。そう自分に言い聞かせる。
「今度は何?」
「そ、そこに白い……白い何かが」
私が指差した方に徳田先生が懐中電灯を向ける。ないとは思うが、血だらけの女とか、首から上がない男とかがいたらと考えると直視できず、ぎゅっと目をつぶった。
横にいる徳田先生が息を呑むのがわかった。怖くなって先生の手を握る。
「一瞬ぎょっとしたけど、悪戯だよ」
「悪戯?」
恐る恐る目を開けてみると、懐中電灯に照らされていたのは白い布で作られた人形だった。それが木から吊るされている。
人形自体は落書きのような顔をしていて、それほど怖いものではないが、暗い中にぼんやり白いものが見えて、風で揺れていたりすれば、まあ怖いだろう。
「誰がやったかは予想できそうなものだけど」
「……そうですね」
悪戯好きの面々だろう。考えなくてもわかる。夏と言えば怪談だと騒いでいたのは記憶に新しい。人形を回収しながら、後で注意をしておかないとと考えていると、目の前を何かが通過した。
「ひっ、人魂!?」
思わず声を上げると、徳田先生は苦笑した。
「蛍だよ」
「……え?」
ふわふわと漂う淡い光は確かに蛍だった。徳田先生が懐中電灯を消すと、蛍の光だけが微かに辺りを照らした。
「綺麗ですね……」
不思議な光に目を奪われていると、さっきは怯えていたのにねと言われた。だって、人魂だと思ったのだ。
――もの思へば沢の蛍もわが身よりあくがれ出づる魂かとぞ見る
和泉式部は蛍の光を自分の身体から抜け出した魂に見立てたし、人魂に見えたのも完全な間違いではないと思う。蛍を死んだ人の魂だとする言い伝えもあったはずだ。
蛍をじっと見つめていると、不意に徳田先生が私の手を握った。不思議に思ってそちらを見たが、彼は何も言わなかった。
「川端先生だって、蛍の火は幽霊じみて見える……みたいなことを書いてましたよ」
「わかったよ」
「もう!嘘じゃないですよ!」
「……夕されば蛍よりけにもゆれども光見ねばや人のつれなき」
突然、和歌を口にするものだから、私はさっきの和泉式部の和歌を口に出していただろうかと首を傾げる。
「片想いでもされているんですか?」
身を焦がしているのに、光が見えないからか、あの人は素っ気ない……という恋の歌だ。文豪が利用者や街の人に恋をした場合、どうなるのだろう。多分許されないのだろうな。
「はぁ……幽霊の正体はわかったし、帰るよ」
徳田先生は懐中電灯を点けて歩き出す。相変わらず繋いだままの手が、何だかやけに熱かった。
170909