迎えに行くね100年後
「大丈夫?」

上から降ってきた声に薄っすらと目を開けると、芥川さんがのぞきこむようにしてこちらを見ていた。熱のせいか頭がぼんやりしているし、口を開くのも億劫でとりあえず頷く。
芥川さんは私の額に触れた。ひんやりとした温度が気持ち良い。元々彼は体温が低いらしく、触れた手は冷たく感じることが多いが、普段以上に冷たい。私の方が普段より熱を持っているせいだろう。

「きっと働きすぎだよ」

働きすぎ……そうなのだろうか。確かにここでの生活は休みなんてあってないようなものかもしれない。図書館は休館でもやることはたくさんあるし、文豪達がいつ何をしでかすかわからないのだから。森先生にも疲れが出たんだろうと言われ、これ以上悪化する前に休むよう注意された。

「少し休んだ方がいいよ。仕事は逃げないんだから」
「逃げないかもしれないけど、締切はあります」
「締切かぁ……」

芥川さんは嫌そうに呟いた。作家というのは大体締切に追われるものなのだろう。その言葉に良い思い出はないのかもしれない。

「心配かけないでくれたら、少しは休めます」
「僕が心配かけてるってこと?」

自覚がないのなら驚きだ。昼を過ぎても起きて来なくて、菊池先生が部屋まで行ったら、睡眠薬を大量に飲んだ形跡があって、医務室に運び込まれて大騒ぎになった日からまだ1ヶ月ちょっとだというのに。太宰先生まで「芥川先生が死ぬなら俺も死ぬ」などと騒ぎ出してどうなるかと思った。
丸1日眠り続けた芥川さんはケロッとした顔で目覚めて、何事もなかったかのようにおはようと言ったのだ。全然効かなかったから、規定量より多く飲んだだけだよと何でもないことのように言ったのだ。本気で怒鳴りたくなった。
図書館で問題が起こった場合、特務司書の責任になるのが普通だ。文豪はまずお咎めなし。ただ、それが理由で怒鳴りたくなったわけではない。

「危なっかしいから、芥川さん」

ゆっくりと瞬きをして芥川さんは首を傾げた。何も言わずにどこか遠くに行ってしまうような、ふっと消えてしまいそうな気がする。
特務司書と文豪、もうそれだけの関係ではないのに、距離感はあまり変わっていなかった。確かに前より躊躇なく触れてくるけれど、彼の方ではなかなか踏み込ませてくれない。いや、私が怖がっているだけかもしれない。

「多分、何かあったら、私は置いていかれるんだろうなと思って」
「僕はどこにも行かないよ。行くあてもないし」

そういう意味じゃない。私は静かに首を横に振る。瞼が重い。

「先生の『夢十夜』は読んだ?」

夏目先生の『夢十夜』。読書量が多いとは言わないが、それくらいは読んだことがある。

「百年待っていて下さい……きっと逢いに来ますから」

穏やかな口調で芥川さんが言った。第一夜だとすぐに思い当たる。死にそうな女が、確かそう言ったのだ。何を言おうとしているのか掴めないまま、重い瞼をどうにか開けて芥川さんを見つめる。

「もし、会えなくなるようなことがあっても、僕は逢いに行くよ。何処にいたとしても、司書さんを迎えに行く」

別れが来ることを彼は知っているのだろうか。文学書の侵蝕が収まれば、彼らはここにいられなくなるはずだ。いつまで経っても侵蝕者に翻弄されているようでは大問題だし、いずれは解決策が見つかるのだと思う。おそらく数年のうちには。

「百年後だと、私は生きていないと思いますよ」

芥川さんは少し考えた後で、いいことを思い付いたというような満足そうな顔になった。

「もしかしたら、百年よりずっと前に僕らはそういう約束をしたのかもしれない。それで今、その時とは全然違う形で一緒にいるのかもしれない」

◆ ◆ ◆


背中を向けて歩き出そうとした男性に縋るようにして女性が声を上げる。いかないで、置いていかないでと。知らない顔なのに、男性は芥川さんで、女性は私なのだとわかった。男性はゆっくりと振り向いた。

「もし帰って来なくても泣かないで欲しいんだ。必ずいつか迎えに行くから。何年後になるかわからないし、今とは違う姿かもしれないけれど、迎えに行く」

どこか悲しげだけど、強い意志を持った目で男性は言い切った。女性は頷く。わかりました、待っていますと。次の瞬間には男性と女性は芥川さんと私になっていた。何かを言い合っては笑っている。そしてまた次の瞬間には、2人は違う姿になっていた。やっぱり知らない顔だった。

「君とは初めて会った気がしないよ」
「私もです」

心のほんの片隅に、自分でも気付かないまま、その約束は残っているのだ。迎えに行く。待っている。それを忘れない限りは、多分何度でも巡り会うのだろう。瞬く間に2人の姿は変わっていく。

171121

企画サイトいくじなしさまに提出しました。


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