あなたがいない日
※絶筆に関わる描写を含みます




別れはいつだって辛いものだが、予期しなかった別れはより辛い。そして、もう絶対に会えない別れも辛い。
でも、目の前にいるのに、本当の意味では絶対に会えないのが一番辛いように思う。だって、目の前にいるのだ。声も仕草も同じなのだ。

▲ ▼ ▲

「……で、記憶は全くないのか?」
「これまでの報告書を見ても、記憶が戻ったケースはありません。そもそも報告が少ないのですが……」
「少なくとも今は何も覚えてないだろうね。潜書の時の反応からして、演技だとは思えないよ」
「そうですよね」

多喜二は司書室の前で立ち止まった。どうにもお腹が空いて食堂に向かう途中だったが、司書室から声が聞こえてきたのだ。もう深夜といってもいい時間帯だった。声からして志賀と名前、徳田だろうとすぐにわかったが、こんな時間に何をしているのだろうか。
これでは盗み聞きをしているようだが、内容が気になった。多喜二は周りの人間が何か隠し事をしていることを感じ取っていた。まさか自分を陥れようとしているわけではないだろうが、隠されれば不安になる。
司書室の扉を叩くと名前の返事があった。扉を開けた瞬間、名前達の顔に一瞬焦りのような色が見えたのを多喜二は見逃さなかった。やはり、何か隠している。さっきまで話していたことは自分に関係することだったのではないか。

「どうした?腹でも減ったか?」

最初に口を開いたのは志賀だった。空腹を感じているのは確かだったので頷くと、何か作ってやるよと返された。

「なんの話をしていたんですか?」
「……ああ、仕事の話だ。今週は俺が助手だからな」
「もう話は終わりましたから、大丈夫ですよ」

名前が小さく付け足した。多喜二の前で名前は伏し目がちだった。しっかり目を見て話したことはあるだろうか。誰に対してもそうなのかと思えば違うようだった。まだ転生して1週間もたっていないから慣れていないだけ、とはどうしても思えなかった。避けられている、距離を置かれている、という言葉の方がしっくりくる。

「直哉サン」

食堂に向かう背中に声をかける。

「俺、悪いことしましたか?」
「話なら終わってたぜ?」
「……いえ、あの人に避けられてる気がして」

突然足を止めた志賀の背中にぶつかりそうになったが、何とか踏み止まる。くるりと振り向いた志賀はそれはないなと言い切った。

「あの人だけじゃなくて、直哉サンも……何か隠してる気がして」
「多喜二はまだ転生したばかりで記憶も曖昧なんだ。もう少し落ち着いてから話そうと思ってることもある。……ただ、ここにはお前に危害を加えようとか、騙そうとか思ってる奴はいない。それだけは信じてくれ」

真っ直ぐにそう告げた志賀が嘘をついているようには見えなかったし、そう言われてしまっては頷くほかなかった。

▲ ▼ ▲

多喜二は司書室に足を踏み入れた。物音はしない。誰もいないことを入念に確認し、静かに扉を閉める。
納得しようとしても無理だった。名前はいつまでたっても目を合わせようとしない。何か理由があるに決まっている。それを突き止めなくては気が済まなかった。
引き出しの中を確認し始めると、すぐに報告書をまとめたファイルが出てきた。忍び込んだ人間が言うことではないかもしれないが、こんなに簡単に取り出せる場所に置いてあっていいのだろうかと思いつつページをめくる。
潜書した会派と本が記されている。備考欄はほぼ空欄だった。新たに転生した文豪も空欄が続く。小林多喜二の名前を見つけ、多喜二は手を止めた。日付を見ると確かに多喜二が転生した日だった。更にページをめくる。

「……え」

思わず声を出してしまった。多喜二が転生した日付より1ヶ月も前に多喜二の名前が記されていた。これまでどのページでも整然と並んでいた字が明らかに乱れていた。

「会派……一?」

会派一は潜書に慣れた文豪で構成されていたはずだ。そこに自分の名前がある。備考欄には他の字よりも乱れた字で「小林多喜二絶筆」「絶筆報告書(別紙)」と書かれていた。
「絶筆」とは自分の意思で執筆を止めること、もしくは死などの理由で続きを書けなくなることだ。ここでは後者の意味に近いのだろうと簡単に推測できた。小林多喜二が絶筆し、その約1ヶ月後に小林多喜二が転生した。つまり、この図書館にいた小林多喜二は一度死んだのだ。
絶筆報告書は見当たらなかったため、他の引き出しの中を探る。ふと目を引いたのは封筒だった。何の変哲も無い真っ白な封筒には「苗字名前様へ」と書いてあった。多喜二は引き寄せられるように封筒を手に取る。それは確かに多喜二の字だった。裏返せば名前も書いてある。しかし、名前に手紙を書いたことなどなかった。

「……小林先生」

軽い音がして部屋が明るくなった。手紙の内容に驚くあまり、周りに注意を向けていなかった。

「やっぱり納得できませんよね。……でも、私も他の先生方もどう説明していいのかわからなくて」

多喜二は小さく頷いた。それは理解できた。自分が転生する前にもこの図書館には小林多喜二がいたと説明されても信じられなかっただろう。

「絶筆すると存在がなくなるってこと?」
「はい……そうですね」
「あと、アンタと俺じゃない小林多喜二って……」
「恐らく小林先生の思っている通りかと。皆さんもそれをご存知だから、尚更ぎこちなくなっていたのかもしれません」

名前は多喜二が手にしている手紙をちらっと見て言った。これを読まれてしまうことは予想していなかった。

「恋文……」

多喜二がぽつりと呟くと名前は困ったように笑った。名前に避けられている気がすると言った時、志賀がすぐに否定したのを思い出した。彼は以前いた多喜二と名前の関係をよく知っているのかもしれない。

「ごめん」
「どうして謝るんですか?」
「俺はアンタが会いたい小林多喜二にはなれないから」
「そんなの……小林先生のせいじゃありませんよ」

▲ ▼ ▲

志賀先生と小林先生が話している。不意にこちらを見た小林先生がいる?とおはぎが並んだ皿を示した。ありがとうございます。いただきますと答えて笑う。まだ傷は痛むけれどもう笑える。

人は人生の中で何度別れを経験するのだろうか。長生きした志賀先生や武者先生は親しい人を何人見送ったのだろうか。傷を抱えながら、思い出を忘れられないまま、それでも人は生きて行く。

180204
title by 失青
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