私はここに座っています


※「死に損ないの青」に登場した司書の話
※「死に損ないの青」の夢主がデフォ名(汐音)でちらっと出てくる



「彼女、随分明るい顔をするようになったね」

名前はペンを置いて顔を上げた。外からは子供がはしゃぐ声が聞こえている。つい先ほど宮沢と新美が汐音と遊んでもいいかと訊きに来た。それが一度目ではなく、最近はよくあることだ。
最初は彼女が嫌がるのではないかと思ったが、様子を見た限り子供は嫌いでも苦手でもなかったらしい。宮沢たちと一緒にいると他の文豪も近寄りやすく思うのか、気軽に話せる相手も増えたようだ。名前としても、遊んで遊んでとまとわりつかれるよりは汐音に任せられる方がありがたかった。多少仕事に遅れが出ても、彼女ならすぐにそれを取り戻せるのはわかっている。

「そうですね」

眩しいものでも見るように目を細め、3人が遊んでいる様子をさらさらと描いている高村に名前はそっけなく言った。

「君も気にしていると思っていたんだけど」
「別に……ある程度は馴染んでくれた方が仕事もしやすくなると思っていただけです」

いつまでたっても太宰とだけしか関わらないなんて無理なのだから。変わり者だらけの図書館で全員と仲良くしろなどと無理難題を押し付けるつもりはないが、比較的常識があって付き合いやすい人とは普通に話せた方が彼女にとっても楽だろうと思うのだ。

「家族と上手くいっていない彼女に、多少なりとも共感したのかと思っていたよ」
「……高村先生の洞察力には、たまに腹が立ちます」

家族との問題なんて高村に一言も打ち明けたことがなかった。否、問題と呼べるようなものなのかもわからない。
調べたわけではないが、汐音が家庭で厄介者扱いだったのは電話だけで何となくわかった。名前の家の場合、躾はかなり厳しかったが、可愛がられた記憶もある。

「形は違えど、家族からとやかく言われるというか、家に縛られるのは楽しいことではないでしょうから」

アルケミストになることは決められていたようなものだった。幼い頃にその才能を見出されてから、家の名に恥じないようにと教育を受けてきた。名前自身の興味関心なんて、関係なかった。

「高村先生だって、お父様の名前を出されるのが嫌だった時期もあったのではないですか?私は何かと言っては祖父や父の名前を出されて、さすが彼の孫だ、娘だと言われてきましたから。どうしても家から出て、距離を置きたかったんです」
「そうだね。僕の時代だと、当然親の職を継ぐものだと思っていて、迷うことはなかったけれど、父は古いタイプの芸術家だったから、反発したこともあったよ」

スケッチブックを閉じた高村はどこか遠くを見ながらそう口にした。

「古いタイプ……」
「今の時代を生きる君からしたら、僕も充分『古いタイプの芸術家』かもしれないけどね」


「作家の境遇を知って、こういう経験をしたから、これを書いたんだ……なんてのはつまらない読み方だよ」

ふと教授と目が合って、名前は逸らさずに見つめ返した。

「先入観なんてない方がいい。心を無にして読むんだ。君達はこの作品はこのように評価されていると知ったら、その通りに捉えようとするんじゃないか?言葉にするとわかった気になるかもしれないが、それで失われる要素の方が多いと僕は思うね」

黒板はほとんど使わず、出席も取らず、学期末に自由度の高いレポートを提出するだけの講義だ。出席率も低ければ、真面目に話を聴いている学生も少ない。教授はそんなことはお構いなしで話し続けていた。

「君は随分物好きだね」

講義が終わって名前がノートと筆記用具を鞄にしまいかけた時、教授はそう声をかけてきた。

「理学部なんだから、こんな講義より必要な講義が山ほどあるだろうに」
「必要な講義は取っています。他に興味がある講義に出ているだけです」

教授はにやりと笑った。君のレポートを楽しみにしてるよと言い残して、返事も待たずに去って行った。
名前はその教授が案外好きだった。最近は文学に関わっているからか、ふとした瞬間に彼の言葉を思い出すことも珍しくない。

「先入観なんてない方がいい」

小さく呟いてみる。作品と向き合うのと転生した文豪と向き合うのは全く違う。それはわかっているが、名前は新たに転生した文豪と話す時に、その文豪の著作や人生、後世の評価、その他諸々の知っていることをなるべく頭から追い出すようにしていた。
もちろん、太宰が川に飛び込めば過去の出来事が頭をよぎるし、用心するに越したことはないから、全てを頭から追い出すわけにはいかないが、過去にとらわれすぎないことは意識している。

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