重荷を抱いたままの蛹


映画が終わって席を立つ。名前は思い出したように高村の顔を見た。

「今更ですけど、売れない詩人の話……興味ありました?」
「僕は楽しめたよ。時折ハッとするくらい美しい景色があったからね」

外国の売れない詩人の半生を描いた映画だった。名前はその詩人を知っているが、日本での知名度は決して高くない。

「それより、司書さんが映画に誘ってきたことに驚いたよ」
「私だって息抜きくらいします」
「それはわかるけど……君は転生した僕らとは、ある程度の距離を置きたいんだと思っていたから」

名前は文豪にあまり干渉しないが、最初の頃からいるメンバーには気軽に声をかけるし、高村もその1人ではある。ただ、あくまでも仕事上の関わりだけだと思っていた。休日の息抜きに誘われるなんて考えてもいなかったのだ。

「まあ、気まぐれです」
「最初の頃はもう少し距離が近かったんじゃない?まあ、変人が多いから大変だとは思うけど」
「別に大変だとは思ってません。私が入らない方が上手くいくだろうと思ってのことです。皆さん知り合いだったり、作品を読んでいたりするのなら、私は部外者でしょう?それなら、仕事に専念した方が効率がいいので」

実際、それで上手くいっていた。問題が起きれば対処するし、問題行動が多い文豪は外出を制限するとか、なるべく1人にさせないとか対策を立てる。太宰が一般人を巻き込んで川に飛び込んだ他は、管理責任を問われる事態になったことはない。とは言え、その太宰の件が本部に呼び出されるほどの大問題になったのだが。

「気が向いたら、また声をかけてよ。息抜きに付き合うから」
「ありがとうございます」

名前は足を止めて高村を真っ直ぐに見つめた。

「売れない詩人の気持ち、高村先生にはわかりますか?あの人は何故あんなにも強くいられるのか」

誰かの心には届いているはずだと、多くの人に良い詩だと評価されるより、たった1人の心を大きく揺さぶる詩が書きたいと、詩人はずっと思い続けていた。その考えを曲げなかった。

「わかるとは言わないけど、たった1人の心を大きく揺さぶる詩が書きたいというのは同感かな」

穏やかな声でそう言われ、名前は少し考えた後に口を開いた。

「……私は多分」
「苗字君?」

名前は弾かれたように振り向いた。

「先生……」
「ああ、やっぱり苗字君だ」

あの教授が立っていた。君も映画を観に来たんだねとにやりと笑う。一瞬で大学生の頃に戻ったような、そんな気がした。名前がその詩人を知ったのは、彼の講義でだった。

「隣の方は?」
「友人です。職場が同じで……」

友人と言ってしまっていいのだろうかと思ったが、職場が同じでも映画を一緒に観るほど親しいのなら、友人か恋人かの二択だから仕方ない。

「大学生の時にお世話になった教授なんです」

高村は軽く頭を下げ、教授もそれに応える。

「時間があるなら、お茶でもどうだい?話したいことがある。彼も一緒にどうかな」

名前は少し悩んだが、高村の方を見れば僕は大丈夫だよと頷かれたので、誘いを受けることにした。高村ならボロを出すことなく上手くやってくれるはずだ。


静かな喫茶店だった。客がいないわけではないが、テーブルとテーブルの感覚が広いせいか、客の年齢層が高いせいか、話し声が気にならない。高村とは店の前で別れた。買いたい物があるからと言っていたし、後で合流するつもりのようだが、積もる話があると思って気を遣ってくれたのだろうと名前は思った。

「図書館に勤めているんだって?」

予想していなかった言葉に名前は少し驚く。大学に提出した書類には研究職と書いたし、実際卒業した後は研究所にいた。特務司書という職を紹介されたのは、卒業して数年経ってからのことだ。

「よくご存知ですね。大学にも報告していないと思うのですが」
「そう警戒するものじゃない。大学時代の友人が苗字君も関係してるであろう侵蝕者の件に携わっているんだ」
「……どういうことですか?」
「史実と記憶の相違の研究だよ。君も理学部だったように、そのへんの人間は概して理系で、文学には疎いんだろう。特定の文学者の研究で有名な研究者には、協力依頼が来ているようだね」

政府は政府で色々やっているらしい。転生した人物が実在した文学者を名乗り、不完全ではあるが、その人物の記憶を持っているとなれば、文学に詳しい研究者に協力を依頼するのは自然といえば自然だ。

「まあそれよりも、君が文学に携わる仕事に就いたのが嬉しくてね。僕の講義が役に立つとは思わないが、苗字君は熱心だったから」
「私はただ、流されただけです。自分で選び取ったものなんてほとんどありません。この仕事だって……」

かたりと音がして、名前はそちらに目を向ける。紙袋を持った高村がこちらに向かって来るところだった。

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