明日の世界は何色だろう


佐藤は頭を抱えていた。名前がいないのだ。どこを探してもいない。他の文豪にも声を掛けたし、図書館の中を探し回った。ずっと助手をしているが、こんなことは初めてだった。思い出してみても、昨日の夜は普段と変わらない様子だった。タイミングの悪いことに、館長がやってきて、佐藤は更に困ることになった。どう説明しようかと考えているところに、名前が戻って来た。

「すみません、館長」

目が赤かった。寝不足のようにも見えたが、佐藤は名前が泣いていたように思えてならなかった。それは、つい先日、泣く姿を目の当たりにしたばかりだからだろうか。

「祖母が亡くなったので、少し休みをください。やらなければいけないことが多くて」

佐藤は目を見開いた。病室で見た彼女の祖母の顔を思い出す。

「佐藤先生、連絡もせずにすみません。気が動転していて。探し回ってくれたと聞きました」
「いや……」

掛ける言葉が見つからなかった。館長がわかったと頷く。

「図書館のことは気にせず、しばらく休むといい。もう出るのか?」
「いえ、深夜に病院から連絡があって寝ていないので、少し休んでから。然るべきところには連絡したので」
「そうか。無理はするんじゃないぞ」


休んだのは4日ほどで、名前は図書館に戻って来た。傍目には元気そうだが、佐藤には空元気に思えて痛々しく見えた。

「佐藤先生、お葬式にも来ていただいてすみません」
「一度会ってるからな。館長に頼み込んだ」
「有り難かったです」

仕事の手を止めて名前は微笑む。

「館長は知ってたのか?事情とか」
「はい。大学の先生の紹介で特務司書になることになったんですが、色々融通を利かせてもらえるように話しました。祖母にも直接会って、危険なことはないと説明してくれて。近くにアルケミストなんていなかったし、私自身も大学に入って先生に言われるまでは、能力に気付かなかったくらいで。まだまだアルケミストとしては半人前です」

若いとは思っていたが、大学を出たばかりだとすれば20代前半だ。それで慣れないアルケミストの仕事に精を出し、変わり者も多いこの図書館を取り仕切り、祖母のことも考えなければいけなかったのだ。想像以上の苦労があっただろう。

「住み込みだからアパートを借りなくて済んだし、助かりました。本当はおばあちゃんの側にいたかったけど、お金のこととか、色々あって無理そうだったので。これで良かったんだと思います」
「ああ、後悔がないなら良かった」

はいと頷いてまた仕事に戻った名前だが、落ち着かないのかそわそわとしている。佐藤も仕事を始めていたが、視線を感じて名前の方を見た。すると、サッと目を逸らされる。

「どうした?」
「あの、ですね、佐藤先生に相談することじゃないとは思うんですが……」

他に話す相手が見つからなくてと言い訳のように小さく呟く名前。いいぜ、言ってみろと即答されたが、名前の方が戸惑ってしまった。まだ心の準備ができていない。

「父親が会いたがっていると、言われて」

佐藤は沈黙の後に首をひねった。父親はいない、顔も名前も知らないという話だったはずだ。

「大学の先生も館長も、私を見た時に同じ人の名前を出して、その人の娘かって訊いたんです。よほど似てるんでしょうね。それで、館長がその人と会う機会があって、私のことを話したみたいで」
「父親だって認めたのか?」
「心当たりがあると」

館長も言うのを迷っていたようだった。このタイミングで言ったのは、祖母を亡くした名前に頼れる親族がいなくなったからなのだろう。会ったところで、どんなに似ていてもその人を父親だと思える気はしないし、ずっといないと思っていた人に会うのは、幽霊に会うようなものだ。
でも、考えている時に、ふと友達に名前は男に父性を求めてるよねと言われたのを思い出した。年上で頼りになりそうで、包容力があって……そういう人ばかり好きになるよねと。その友達は名前に父親がいないのを知らなかった。そこで、ああ、そうかと思ったのだ。自分は無意識のうちにそういうものを求めていたのか。
父がいない子供を産むのを反対され、名前の母は家を飛び出した。そのまま、死ぬまで一度も顔を出さなかったのだと祖母に聞かされた。名前が祖母に引き取られた時には、祖父は亡くなっていた。父親的存在が名前にはいなかった。
佐藤を助手にしているのだって、彼が頼りになって、包容力があるからのような気もするのだ。認めて欲しい、受け入れて欲しいと思ってしまう。

「あんたは会いたいのか?」
「会ってみたい気もするけど、怖いです。いないと思っていた人ですから」
「会いたい気持ちがあるなら、会っておいた方がいい。いつ会えなくなるかわからないからな」

名前はこくりと頷いた。

「……ついてきてくれますか?」
「いいぜ」

ポンと頭の上に手を乗せられて、名前は微笑んだ。父性を求めているだけかもしれないし、それだけではないかもしれない。ただ、もうしばらくは佐藤に頼っていたかった。

母は家を飛び出した自分とあの映画の主人公を重ねたことがあっただろうかと名前は考える。自分は誰にも反対されていないけれど、主人公と同じように自分の世界から飛び出そうとしているのだろうと思った。

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