二月二十日

――小林多喜二二月二十日(余の誕生日)に捕えられて死す。警官に殺されたるらし、実に不愉快。

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多喜二は自分の声で目を覚ました。ひどく嫌な夢を見たような気がする。部屋は寒いくらいなのに、汗をかいていた。時計を見ると、いつも起きる時間よりだいぶ遅かった。この時間ならもう皆食堂に集まり始めている頃だろうと考えながら、支度を済ませて部屋を出る。
夢の内容は覚えていないのに、気持ちは沈んでいて、頭も重いような気がした。

食堂の前で足を止める。中は普段よりも騒がしかった。飛び交っているのはお祝いの言葉だ。ぼんやりと今日は誕生日かと思い出した。聞こえてくる名前は志賀と啄木。多喜二にとっては、比較的親しくしている2人だ。
ドアを開きかけた手を引っ込め、多喜二は踵を返す。今この中に入って行ける自信がなかった。せっかくの2人の誕生日に水を差すようなことはしたくない。

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志賀は多喜二を探していた。いつもの時間になっても食堂に現れなかった多喜二。口に出す者はいなかったが、多くの人が気にしているのは確かだった。多喜二が食堂に現れないこと自体珍しいが、今日でなければここまで気になることではない。多喜二より長く生きた者は彼の死因も命日もわかっているし、転生してから知った者もいる。今日が命日なのだ。

「多喜二?」

人気のない部屋の隅で多喜二は蹲っていた。志賀は慌てて駆け寄る。

「なんだよ、具合悪かったのか?それなら、部屋で寝とけよ」
「直哉サン……いや、具合は……」
「顔、真っ青じゃねーか」
「少し、頭が重いだけです」

目覚めてから時間がたっても、何も変わらなかった。理由がわからないのだから、対処のしようがない。多喜二は人目につかないところでじっとしていることしか思いつかなかった。

「お前、今日が何の日かわかるか?」
「え……あっ、直哉サンの誕生日ですよね。おめでとうございます」
「それも間違ってねぇけど、他にだよ」
「他にですか?2月20日……」

考え込んだ多喜二を見て、志賀は小さく覚えてねぇかと呟いた。もしかしたら、自分の死因も知らないのかもしれない。追われていたという記憶ははっきりあるようだが、それだけなのだろうか。
覚えていないなら、それでいいような気がした。わざわざ嫌なことを思い出させる必要はない。その時の苦痛を忘れているのだとしたら、そのほうがいいのかもしれない。

「変なこと言って悪かったな。飯まだだろ?食わなくていいのか?」
「……直哉サン、俺、なんか忘れてますか?何か知ってるんですか?」

そう問われ、志賀は珍しく言い淀んだ。言うべきか、言わないべきか揺れる。得体の知れない何かに苦しんでいる多喜二に真実を伝えるのがいいことなのかわからなかった。
不意に多喜二が顔を歪めた。痛みが彼を襲っていた。どこがと特定できないくらいに全身が痛い。力任せに殴られているような感覚。意識が遠のきそうになったところで、志賀に肩を掴まれて我に返った。痛みは嘘のように消えた。

「っ、俺……」
「多喜二の命日だ」
「ああ……」

そうだ、その夢だったのだ。思い出した。自分の命日が憧れていた人の誕生日だったなんて、皮肉なものだ。
だが、多喜二は案外平気だった。さっきまでわからなかった原因がわかって安心したくらいだ。記憶になくても、前世の影響はあるらしい。

「それなのに……今ここにいて、直哉サンと話せているなんて、すごいことですね」

思い出して痛みがないといえば嘘になるが、今はもう大丈夫なのだ。誰かに追われることもなく、話したい人といくらでも話すことができるのだから。

「そうだな」

まだ顔色は悪いが、多喜二の表情が暗くないことに、志賀は安堵した。今、多喜二がそう言えるなら、大丈夫なのだろうと。

「お前の誕生日も盛大に祝ってやるから、来年も俺の誕生日、祝ってくれよ」
「はい、必ず」

多喜二は大きく頷くと、真っ直ぐに志賀を見つめた。

「おめでとうございます、直哉サン。生まれてきてくれてありがとうございます」

真っ直ぐな視線と真っ直ぐな言葉。志賀もさすがに照れくさくなったのか、ありがとなと短く返した。そして、話を変えるように、腹減っただろと言いながら多喜二の背中を押し、食堂へと促した。

170220

志賀さんの誕生日と多喜二さんの命日のお話。志賀さんの日記を見て、書きたいなと思ってましたが、考えることはみんな一緒だなと思いました。pixivに似たような話がたくさん…。この2人の関係は好きです。


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