星空の下、距離を測る

※手紙のネタバレ注意
※「みんな何かを背負って生きていること」の続き



手紙が届いていた。恐る恐る確認してみると、やはりそれは堀が予想していた通りの差出人からのものだった。筆不精だなどと言いながらも、返事をくれるのだ。
芥川が転生した時、堀は何も考えられなくなった。たっちゃんこと呼んで笑ってくれた時は、もちろん嬉しかったし、話したいと思った。ただ、彼がどんな気持ちでいるのかわからなかったから、不安でもあった。
挨拶はしたが、深い話はできなかった。面と向かって話す自信がなかった堀は手紙を書いた。

――だから、君はもう何も悩まなくていいし、言いたいことは僕に直接言えばいいと思う。僕もそうさせてもらうよ。

ああ、芥川さんだと、当たり前のことを思った。生前、堀が初めて芥川にもらった手紙の最後には、私の書架に読みたい本があれば使いなさいということと、遠慮をしてはいけないし、私に遠慮を要求してもいけないということが付け足されていた。その手紙がどれほど堀を喜ばせたか、芥川にはわからないだろう。
もっと一緒にいたかった。書き上げた作品を見てもらいたかった。聞きたいことや話したいことがたくさんあった。だから、一歩間違えば芥川の自殺を責めることになりそうで、それが怖かった。堀が送った手紙は何度も何度も書き直して、やっと清書したものだった。
いいのかな、普通に話しても、と堀は思う。また芥川さん、芥川さんと近付いていってもいいのかなと。

▲ ▼ ▲


どうしようもなく眠れない日というのがある。特に何があったわけでもないのに、もやもやして落ち着かない。何度目かもわからない寝返りをうったところで、堀は眠るのを諦めて枕元の電気をつけた。読みかけの詩集を開いてみるが、中身は全く頭に入ってこなかった。
ふうと息を吐いて、詩集を元の場所に戻す。散歩でもしよう。外の空気を吸えば、気分も少し変わるかもしれない。眠れないなら眠れないでいい。幸い潜書の予定はないから、多少寝不足でも大丈夫なはずと自分に言い聞かせた。

時計を確認すると、日付は既に変わっていた。自室を出ても静まり返っていて人の気配はない。みんな眠っているのだろう。なるべく音を立てないように廊下を歩き外に出る。
建物の外に出てみれば、明かりがついている部屋もいくつかあった。眠れないのか、何か書いているのか、読んでいるのか、理由はなんであれ起きているのは自分だけではないとわかって少し安堵した。

空を見上げると、雲はほとんどなく星がよく見えた。なんとなく気分が晴れて、堀は建物が少ない方へと歩き出す。もともと歩くのは好きだ。人がいない暗い道を歩くのは新鮮に感じられた。

「わあ……」

さすがにこの時間にあまり遠くまで行くのはやめておこうと足を止めたが、明かりがほとんどない場所で見る星は、さきほどより綺麗に見えた。
そういえば、いつか賢治が近くに星が綺麗に見える場所があるんだと食堂で誰かと話しているのを耳にしたことがあった。もしかしたら、このあたりなのかもしれない。

「……たっちゃんこ」
「わあっ!?」

夜空をぼんやり眺めていた時に呼びかけられれば驚くだろう。誰もいないと思っていたのだ。

「え?芥川さん?こんな時間にどうしたんですか」
「こんな時間はお互い様だよ。僕は本を読んでいたらいつの間にかこんな時間でね。誰かが外に出るのが見えたから追いかけてみたら、たっちゃんこだったんだよ」

それでここまでついてきたらしい。誰かに気付かれるとは思わなかったし、誰かがついてくるなんて考えもしなかった。

「君こそこんな時間まで起きてるの?いつも早起きだよね?」

芥川が起きてくるのが遅いだけで、堀が起きる時間はごく普通だ。その時間に既に起きている人はたくさんいる。ただ、今が普段なら寝ている時間であることは確かだ。

「ちょっと目が覚めてしまったので」
「本当に?」

眠れなかったと言うよりは心配をかけずに済むだろうと思って口に出したのだが、疑われてしまった。

「もし眠れないのなら、医務室で相談すれば?僕は駄目でもたっちゃんこなら薬を出してもらえると思うよ」
「え、えっと……たまに眠れない日があるだけで、普段は大丈夫なので」

芥川自身がさらっと言ったのだから、反応するべきではないとわかっていても反応してしまう。死因が死因なのだから、芥川に睡眠薬を渡す者などいないだろう。

「たっちゃんこ、僕のこと避けてるよね?」

唐突な問いに、堀は何も返せなかった。意識して避けていたわけではないが、避けていると思われても仕方がない行動をしていたという自覚はある。

「芥川さんのことは、今も昔もずっと尊敬しています」

それが芥川の望む答えではないとわかっていても、そう返すのが精一杯だった。芥川が転生してからずっと、どうすればいいのかわからなかった。

「僕の手紙は読んでくれた?」
「はい」
「それと、僕がずっと昔、君に初めて出した手紙は覚えてる?」
「もちろん覚えてますよ」
「君はいくら遠慮しちゃいけないと言っても、駄目だね」

遠慮ではないのだと堀は思う。怖かった。芥川の死は堀にとってあまりに大きかった。話したいことはまだたくさんあった。作品がきちんと本になったところも見てもらえなかった。
その気持ちから芥川を責めるような言い方をしてしまったら、と考えると面と向かって話す気にはなれなかった。
転生後、芥川が自分の作品は失敗だから消えてもかまわないというようなことを言っていたと誰かに聞いたことがある。不安定な芥川を傷付けるようなことはしたくなかった。

「今なら暗くてお互いの顔も見えにくい。言いたいことを言うには良い機会だよ」

確かに明るい場所で向かい合うよりはいいかもしれないが、そういう問題ではない。黙ったままの堀に芥川はため息をひとつ吐いて、死ぬつもりはないよと小さく呟いた。

「えっ」
「今は死のうとは思っていない」

それを芥川の口からはっきり聞くのは初めてだった。

「……芥川さんを傷付けるようなことを言ってしまうのが、怖かったんです。芥川さんを責めてしまうような気がして」

空を見上げ、星を見つめたまま口を開く。どうしてそんなことをしたんだと芥川に原因を求めたこともあれば、自分にできることはなかったのかと自身を責めることもあった。堀も死ぬんじゃないかと周りから心配されるくらいには悩んだし、落ち込んだ。
それを芥川にぶつけるつもりはなかった。堀がどう思おうが、芥川の選択だったのだから、どうしようもない。堀が芥川を規範としながらも彼が通った道を辿らないようにしていたように、芥川にも生き方を選ぶ権利がある。今更、死を選ぶのは愚かだと説教したところで何も変わらないし、芥川は嫌がるだろう。

「僕は最期まで生きました。そうするべきだと思って、苦しくても生き続けました」

堀は自分を慕う後輩が芥川と同じように本を大量にしかも速く読むものだから、芥川さんのようになってしまうと心配して、本を遅く読む練習をしなさいと注意したこともあった。芥川のような道を辿ることが正しいことには思えなかった。

「昔のことはいいんです。でも、今度は芥川さんに生きて欲しい」
「うん」

芥川は謝るのも謝られるのも正直面倒だった。迷惑をかけたのはわかっているが、今となってはどうすることもできないのだから。
堀は芥川の死によってずいぶん苦しんだはずなのに、芥川を責めなかった。昔のことはいいと言った。それは救いだった。

「それと……僕にも側にいさせてください」

付け加えられたその言葉にたまらなくなって、堀の頭を撫でる。困ったように照れたようにやめてくださいと言われてもやめる気にはなれなかった。
一回り違いの同じ辰年生まれで、育った場所も近く、中学から大学まで同じ学校。共通点が多かったからか、芥川は堀を気にかけ、可愛がった。それは転生した今も変わらない。避けられれば悲しい。側にいさせてと言われれば嬉しい。

「そうだ、たっちゃんこ。転生してから、何か書いたの?転生してから結構経つんだよね?」

頭を撫でていた手をぴたりと止め、思い出したように尋ねる。

「え……短いものなら書きましたけど」
「それなら見せてくれないと」
「え、今ですか!?」
「そうだよ、今見たい」

図書館に向かって歩き出す芥川を堀は慌てて追いかける。見上げた空の星は、より一層輝いて見えた。

170308

芥川さん、来てくれてありがとう!再会したら、色々思うことあるよねという話。芥川さんの中では、多分学生服を着た可愛いたっちゃんこのイメージのまま。転生した外見が外見だし子供扱いも仕方がないね。
文アルワンライ(twitter)で書いたものに加筆修正しました。


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