廻り合うほど遠くもなくて


ひどく純粋で綺麗な世界だった。それを弱い、女々しいと思う人もいるのかもしれないけど、私はそう思わない。その裏にあるのは、きっと強さだ。その世界は私の心の大部分を占めている。
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堀は足を止めた。図書館の中を歩いていたら、本棚を見つめている少女がいた。図書館の一部は一般の人にも開放されているから、珍しいことではない。ただ、その少女は数日前に街で出会った百合だった。
確かに彼女はまた会える気がすると言った。勘は当たるんだとも言った。しかし、本当に会うことになるとは思わなかった。
堀が声をかけようか迷っていると、百合は何かを気にするようにあたりを見回してから、そっと本棚に手を伸ばした。本を1冊取り出し、中身を確認している。

「西崎さん」

百合はびくりと肩を揺らし、驚いた拍子に本が床に落ちる。百合は堀の姿を見ると、堀さんと呟いた。

「……ね、また会えたでしょう?」

百合は床に落ちた本を拾い上げると、どこか得意げに笑ってみせた。本棚の位置でなんとなくわかってはいたが、その本の表紙には「堀辰雄全集」と書いてあった。

「堀さんはこの図書館によくいらっしゃるんですか?」
「えっと……そうですね、何度も」

実際には図書館と繋がっている建物で暮らしているのだが、それを言うわけにもいかず、堀は曖昧な返事をした。百合はそれを気にした様子もなく、そうなんですね、私は初めて来ましたと呟いた。

「借りないんですか?」

本を元の場所に戻した百合に問いかける。本を借りに図書館に来たわけではないのだろうか。

「閲覧席はあちらにありますし、貸出カウンターはあちらに……」
「大丈夫です、ありがとうございます」

百合は困ったように笑った。堀も隠していることがたくさんある以上、百合が言いたくないことにも触れないでおこうと思った。

「堀さん、よければお話ししませんか。お時間が大丈夫なら、ですけど」

2人きりで話をするなんて、必要以上に関わっていると言われても文句は言えない行為だ。それに、ここは図書館の中。司書や他の文豪に見られてしまう可能性は充分にある。

「僕でよければ」
「ありがとうございます」

わかっていても断れなかったのはなぜなのか、堀自身もわからなかった。外に出て、ベンチに腰掛ける。この場所は司書室の窓からよく見えるのを、何度も助手を務めた堀は知っている。
百合は楽しそうに色々なことを話したが、多くは本の話題だった。堀辰雄の話題の時は反応に困ったが、他の作家の話題の時には、堀も感想を言った。話はよく合い、盛り上がった。
考えてみれば、堀が書いたものを好んで読み、それに共感していた百合と話が合うのは当たり前といえば当たり前なのかもしれない。考え方に似た部分があるのだろう。

「……あっ」

堀は思わず声を上げた。司書室の窓から司書がこちらを見つめていた。怒られるだろうかと思っていると、司書は堀の視線に気付いたのか軽く頭を下げた。それだけだった。

「堀さん?」
「ごめんなさい、大丈夫です」
「話し込んでしまいましたね。私、そろそろ帰ります。今日は楽しかったです」

百合はふわりと笑って立ち上がった。

「また来ますね。今日みたいにお話しできるのを楽しみにしてます」
「はい、また」

いつ来るのかは言わず、堀にいつ来るのかも聞かない。待ち合わせるつもりはないようだった。それは、また会える確信があるからだろうか。
今日のことをあとで司書に咎められるかもしれないと思いつつ、堀は頷いた。百合はぺこりと頭を下げ、背中を向けて歩き出した。

司書室の窓を見ても、もう司書の姿はない。ふと百合が歩いて行った方を見たが、百合の後ろ姿も、もう見えなかった。



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