離別はちっともありえなくない


私の記憶は途切れ途切れだ。覚えていない時にどうしているのかはわからない。ふと目を開けるとどこかに立っている。前に意識があった時のことは、昔のようにもつい昨日のようにも感じられる。とても不思議な感覚だ。

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気付くと知らない場所にいた。百合は首を傾げた。そこは建物の中のようだった。いつもは外なのに、なぜだろうか。窓に近付くと、そこから見えるのは図書館の裏庭だった。百合が以前堀と話した場所だ。どうやらここはあの図書館の敷地内らしい。
とりあえず外に出るべきだろうかと呑気に考えていると、ちょうど堀が向こうから歩いてきた。最近はいつも堀に会う。声をかけようと思った時だった。

「西崎さん!?どうして、ここにいるんですか?えっ、どうやって、どこから……」

かなり焦った様子で駆け寄ってきた堀が、珍しくまくしたてるように言った。入ってはいけない場所だったのかもしれない。しかし、訊かれたとしても、百合はなぜここにいるのか説明できない。

「ここは関係者以外立ち入り禁止ですよ!見つかったら色々と大変なことになりますからっ!」

そもそも堀は図書館の関係者なのだろうかと疑問も浮かんだが、堀がここまで焦るからには大変なことになるのだろう。すみません、迷い込んでしまってととにかく謝る。

「早く出ましょう。こっちです」
「あ、はい」
「たっちゃんこ」
「あくっ……ああーっ!ごめんなさい!」

堀が百合を促した時、後ろから声がした。堀はびくっと反応して、芥川さんと言いかけて慌ててごまかす。とてもまずい状況である。百合はきょとんとした顔で芥川を見ていた。芥川も見つめ返す。
たっちゃんこと百合が呟いた。堀という名字を知られている上に、百合は堀の書いたものを好んで読んでいるし、読書量も多い。どこかでその呼び方を目にしていてもおかしくない。

「いや、えっと……」
「たっちゃんこ、その子は?」
「あの、街で会った友達で」
「堀さんのお知り合いですか?」

どうしようもない状況に頭がくらくらしてくる。これ以上誰かが来ないうちに百合をここから出さなくてはいけない。芥川には後で説明すればわかってもらえるだろう。

「とにかく、出ましょう。落ち着いてから説明しますから」

物事はうまくいかないもので、堀が最も恐れていたことが起こる。

「芥川先生、堀先生。どうかされました?」

司書と中野が並んで歩いて来たのだ。青くなった堀を見て、事情はわからなくとも庇おうと思ったのか芥川は百合を隠すように司書の前に立つ。

「なんでもないよ。ちょっと、たっちゃんこと話していたんだ」

司書はじーっと芥川を見つめたかと思うと、その後ろをのぞきこんだ。ああ、もう終わりだと堀は諦めた。

「何を隠しているんですか、先生。少し怪しいですよ」

すぐ近くにいる百合に気付かないことなんてあるのだろうか。目と鼻の先だ。しかし、百合は平然としていた。むしろ、芥川と目が合った時の方が不思議そうにしていたくらいだった。

「堀先生、何か知りません?」

堀は首を左右に振った。嘘をつくのは苦手だという自覚がある。余計なことは言わない方がいいだろう。

「辰、顔色悪いけど……」
「だ、大丈夫だよ」

中野が心配そうな顔をしている。それは堀をさらに悩ませた。司書にだけ見えていないなら、充分不思議だが、まだわかる。ただ、堀と芥川には見えて、中野には見えないとはどういうことなのだろう。

「いけない、もう時間です!中野先生!」
「そうだね、急ごう」

司書と中野は仕事があるらしく、堀達を気にしながらも去って行った。

「……あの、西崎さん」

堀の言いたいことはわかっているのだろう。百合は困ったように笑った。泣きそうにも見える笑顔だった。何も言わず、窓に近付いたかと思うと、そのまま壁をすり抜けた。目をこすってみても、何も変わらない。百合の姿はもうなかった。

「芥川さん、見ました?」
「不思議なこともあるものだね」

司書と中野が演技をしているようには見えなかった。特定の人にしか見えないとすれば、百合は何なのだろう。壁をすり抜けて消えてしまうなんて……謎は深まるばかりだった。


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