息もできないここは何処
もう死のう、死ぬしかない。俺は駄目な奴なんだ。人間失格だ。楽しいことなんてない。死んだほうがマシだ。思考がそこから動かなかった。
死にたい。でも独りで死ぬのは嫌だ。
「今は一緒に死んでくれる女もいないんだから」
不意にそんな言葉が頭をよぎった。違う、今はいるじゃないか。急に目の前が開けたような気がした。
一緒に死んでくれる女が、俺にはいるじゃないか。
◯ ● ◯ ● ◯
太宰が補修室を抜け出すと、外は土砂降りだった。おかげで誰かに見つかることもなく、図書館の敷地から出ることができた。これから死ぬのだから、いくら濡れても一緒だ。気持ちは軽く、足取りも軽かった。
「汐音……?」
あの殺風景な部屋を訪ねるつもりでいたのに、汐音はそこに行く途中の橋に立っていた。黒い傘をくるくると回しながら、雨のせいで濁った川の水を眺めていた。雨で水かさを増した川の流れはいつもより速い。太宰はそれに惹かれるように近付いた。見ていると吸い込まれてしまいそうだった。
「太宰君、傘は?」
「死のう」
それだけ言った。ここまで来て、もしかしたら、汐音にはもう死ぬ気はないのかもしれないと不安になったが、彼女は小さく頷いた。
「いいよ」
「もう俺は死ぬしかないから、今すぐ」
肩を掴んで早口でそう言っても、汐音は動じなかった。
「うん、わかった」
全く抵抗しなかった。静かに頷いた。なんだか、自分を丸ごと受け入れてもらえた気がした。このままでいいのだと。
部屋まで訪ねていかなくても会えたことも含めて、死んでもいいと背中を押されたような気がした。そう、都合よく考えたかった。
「本当にいいんだな?」
「どうしたの、今更。太宰君も死にたくなった時は、一緒に死のうかって誘ったのは私の方だよ。それに私も、今なら死ねるかなって思ってた」
太宰は汐音の手を取った。ぎゅっと力を込める。激しかったはずの雨音が遠くに聞こえた。川がおいでと手招きしている気がした。自分は川に飛び込んだ経験があるのだと今更のように実感する。
「正しくなくてもいいんだよ」
汐音は独り言のように呟いた。太宰は頷くだけで何も言わなかった。
最後に太宰と叫ぶような声が聞こえた気がした。ああ、また自分は友人を苦しめるのかもしれないとぼんやり思った。
水の音がすぐ近くでした。冷たい感触、濁った水が流れ込んでくる息苦しさ。沈んでいくのだと思った。感覚がなくなっていく中で、握った手の感覚だけは鮮明だった。独りではないのだとその手が教えてくれた。
ごぽりと音がした。水が濁っていなければ、雨が降っていなければ、光を感じることもあったのかもしれないが、もう目からはなんの情報も入ってこなかった。もう死ねるのだと不思議な安心感に包まれた。
170822