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時差ボケのせいか、起きたのは予定にギリギリ間に合うかどうかと言った際どい時間だった。
迷子になることは出来ない。気を引き締めて私は電車に飛び乗って、何とか約束の5分前に到着することが出来た。
到着したのはいいのだが。
(…オフィスっぽい建物なんてないんだけどほんとにここで合ってんのかな)
送られてきていた住所が示していたのは確かにここなのだが、私の目の前に立っているのは何の変哲もない普通の家だった。
流石にここは違うんじゃないかと、引き返そうとした時、「Hey!」と声をかけられてそちらに振り向く。
「あなたが日本の支社から来た涼ね?」
ペラペラと英語で話しかけられ、一瞬反応が遅れたが、この言葉を聞いて安心した。
ちゃんと人が来ていたのだ。
「yes、私が涼です。私にメールを送ってきたのは、あなた達の会社で間違いないですか?」
「ええ、合ってるわ。私はシェーラ。早速だけど、着いてきてちょうだい」
シェーラは私に背を向けると、スタスタと歩き始めた。…目の前の家に向かって。
いやまて、まさか、本当にここが“本社”だって言うのか。
もしかして私、何かとんでもない詐欺に引っかかったんじゃないか…と不安になりながらシェーラのあとを追えば、その家の中は、ただの家ではなかった。
入口を入ってすぐは普通の家。
でも奥まで進めば、何やらセキュリティの強そうな電子ロックのかかったドアがあって、シェーラはロックのパスワードを打ち込んでドアを開ける。
やばい、なんかまずい。
私は、自分が嫌な汗をかいていることに気がついた。
それでも足は止めず、恐る恐るシェーラについていく。
エレベーターに乗せられ、地下に運ばれる。
まさか、あの家の下に地下があるなんて思わなかった。
そうして最後にたどり着いたのが___、あんな頑丈なセキュリティの奥にあるとは思えないほど、普通の部屋だった。
「え…っと、シェーラ、これは」
シェーラはソファに座り、私にも向かいに腰を下ろすように勧めた。
言われた通りソファに座ると、シェーラははぁ、と大きく息を吐いた。
「感づいてはいると思うけど…まず初めに、涼。謝らせて、ごめんなさい。私は半分、あなたを騙してここに来てもらった」
「それは…確かに、何となく分かりましたけど…一体何がしたいんですか」
「あなたがずっとバイトをしていたあの会社が、ここの支部であるのは事実。だけど、この会社がエンジニアリング関連の会社であるっていうことは…いえ、そもそも、“会社”という括りであるというところから、私は嘘をついていたわ」
「会社じゃないって…それじゃ私は、今まで一体なんの手伝いを」
「ここのセキュリティ強化のプログラミングの、さらに末端の仕事ね。日本の支部には、それしか任せていないから。…単刀直入に用件だけを言えば、涼、あなたに、私たちの仲間になってほしいの」
シェーラのライトグレーの瞳が、私をじっと見つめる。
何が起きてるんだろう。なんで私はこんな場所で、こんな話を聞いているんだろう。
「私たちは、とある組織を追っている。多くのプログラマーたちを雇って、警察組織すら簡単に介入できないようなセキュリティを誇る組織を。私は彼らに、どうしても復讐してやりたい。そのためにこの組織を立ち上げた。私と同じように奴らに復讐したいと思っている人を、世界中から集めて。…でも、集まった人全員が必ず何かに秀でているわけではない。私もある程度ハッキングができるけど、あの組織にはとてもじゃないけど叶わない。ここに所属するほかのハッカーもそれは同じだったわ。情報さえ手に入れられれば、あの組織はすぐにだって壊滅させられる。そんな時に見つけたのが、涼、あなただった」
「…」
「ある時を境に、日本の支部の仕事が異常に速く、質の高いものになった。一体何をしたのかと聞いたら、一人のバイトが入ったと聞いたわ。ただのプログラミングの仕事だからバイトを雇うのは構わなかったけど、問題はその中身だったのよ」
ここまで来れば、流石に理解できた。
今すぐにこの場から立ち去りたい気分だ。
「同じハッカーの目はごまかせない。涼、あなた、相当の腕を持ったハッカーだわ。だからあなたに、私たちの仲間になってほしいとお願いをしたかった。でも、メールでこんなこといきなり言ったって、信じてもらえるはずもないし、下手をすればこの組織のことが表に知られかねない。だからこうして、あなたに来てもらったの」
シェーラの目は真剣だった。
とても嘘をついているようには思えない。
それでも私は、それに頷くことが出来なかった。
そもそも私はハッカーだなんて良いものではない。犯罪かそうでないかの境界線を犯した、ただのクラッカーである。
そして愚かにも、復讐を成し遂げた末に命を落とした人間だ。
家族さえ失わなければ、私はクラッカーになる道など選ばなかった。そしてこの世界でも、私は零や両親を奪われない限り、復讐に手を染めることはしない。
私には、運のいいことに、復讐するための能力が備わっていた。けれど、目の前のシェーラには、それが無かった。それがどんなに辛いことか、考えればなんとなく理解はできる。けれど。
「…悪いね、シェーラ。あなた達の組織のことは一切他言はしないよ。でも、力を貸すことは、できない。私がハッカーに…、クラッカーになるのは、私が私の大事なものを奪われた時だけだから」
しっかりとシェーラの目を見て、私は断った。
立ち上がって部屋を出ようとすると、シェーラが縋るように私の名前を呼んだ。
「1週間。1週間、考えてちょうだい。…お願い、涼」


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