やはりそこから少しはゴタゴタが続いて、錦山がやっと持ち場から解放されたのは近くのディスコで装飾の明かりがせっかちにギラギラと灯り始めてからだった。

(すっかり遅くなっちまったな)

 至急、と言っていた桐生も、まさか仕事を抜けてまで来いという意味ではなかろう。ポケベルもあれから鳴ってはいなかった。

 セレナへ向かう錦山を横目に、街ゆく人たちも夜が近づくにつれてだんだん騒がしくなっていく。昨日までを思い出したかのように少しずつ下がっていく気温は、先程までボヤけていた街のピントをゆっくりと合わせていくようだった。

 通りに並ぶ高級感のあるウィンドウの中には、柄の多い紳士服や露出の多いボディコンが並んでいる。

(あ、あの山吹色のシャツ。)

 急いでいた筈なのに、思わず足を止めてしまう。

(桐生に似合いそうだ)

 あいつはモノトーンや地味な色の服ばかり着ているが、実際はもっと明るい色を合わせても爽やかに着られるはずなんだ。少し色気づけばそれだけで引く手数多だろうに、そういうことに一切興味がないらしい。……まあ、そこも桐生の魅力だ。わかる奴だけわかればいいか。

 そんなことより、急がねば。
 待ちくたびれて帰ってしまったなんてことも、有り得なくはない。錦山は天下一通りへと急いだ。




 §





 セレナで待ってるというから、てっきり中で飲んでいると思っていたのに。桐生は何故かセレナ前の外で待っていた。
 確かにそこらへんにたむろしている輩はたくさんいるが、エレベーターホール前で下を見てただポケットに手を突っ込む桐生は、完全に営業妨害のそれだった。いつもの白ワイシャツに黒のスーツ。厳ついが、飾らない桐生も俺はやっぱり好きだ。


「わりぃ、遅くなった」

 そう声をかけると、桐生が顔を上げギロッとこちらを睨んだ。……こええ。やっぱり脅し担当は俺は向いてねえかも。

 てっきりすぐに怒られると思っていたのに、桐生は無言でこちらにズカズカと近寄ってくるから、ただのチンピラが驚いて道を開けている。そのまま俺の目の前まで来ると、急に俺の手首を意味のわからない強さで握った。……いってえ。ゴリラかよ。

「おい、近えよ」

 そのままぐいっと身体を近づけられると、何故か俺の左手をそのまま自分の股間に押し付けた。


「はあっ……!? おま、お前……」

 グリ、と押し付けられたソコはゆるりと勃ち、服越しでも火傷しそうなほど熱かった。
 いや。いやいやいやいや、、

「バカッ……! 何で勃ってんだよ!」

 俺は桐生だけに聞こえるように声を潜めて叱責した。

「遅えよ」

「いや、俺はなんでか聞いてんだよ! 何で勃ってんだ!? 離せよ!!」

 掴まれていない右腕でグイグイと桐生を突き放し、て、いるつもりなのに、こいつ全然動かねえ!


「おいっ……離せ……お前の後ろにいる女がこっち見て驚いてんぞ……これ完全に痴情の縺れに見られんだろ……は、な、せ!!」

 身体は突き飛ばせるが、鬼のような力でまた引き寄せられるわ、離れたら離れたで俺がただ桐生の股間を触っているのが目立つわで、これは完全に街で遊べなくなる案件だ。


「押し付けんな……スリスリすんなバカ!!」

 桐生は完全に何かのネジが外れてる。……もうダメだ。幼馴染に痴漢されるなんて思ってもみなかった……!


「もういい、もういいわかった、まず落ち着け。……なんだ? もう酒入ってんのか? ちょ、ちょっと一旦ここから離れようぜ、な?」

 0距離で桐生への説得を試みる。うう……左手が熱い……熱いし蒸れてる……。

 もう何もかもがめちゃくちゃだし、桐生の後ろの女は確信を得たのか数歩下がって完全にこちらを見やすい体制に入っている。もういやだ……。

 思わず泣きそうになる。桐生は「遅えよ」以降息を荒げているだけで何も話してくれない。話してくれないし離してくれない。でもこのままだと俺は社会的に死ぬ。
 最後の力を振り絞って殴り飛ばそうと決意した瞬間だった。

「錦。お前なんか……。くせえ」

「……」


 混乱が極まってもう何も言い返すことができない。


 桐生はやっと動き出すと、そのままグイグイと俺を引っ張って歩き出す。

 俺はもう一切顔を上げることができず、ただただ桐生に腕を引かれて歩くことしかできなかった。