いつの間に、俺は冴島さんのことを、“兄貴”以上の存在として見るようになってしまったのだろう。……考えても無駄なことのように思えるくらい、それはずっと前からだったような気もする。

 網走で出会い、雪山で命を救われ、つきみ野でその男の心に触れ。それまで考えたことのなかった自分が、溶けて消えてしまいそうだった。
 東京で本当に死ぬ筈だった自分を、組織から拾い上げて“しなくてはならないこと”を与えてくれた。……生きる意味。馬場茂樹はあの時、この世に生を受けなおしたと言っても過言ではない。

 それなのに。

 親に 恋する奴が いるだろうか。


 冴島さんはどこまでいっても真っ直ぐで、明確に、その道の人情を貫き通す人だった。

 俺は、特別では、ない。

 その穢れなき魂に触れるたび、前より近くで見続ける程に。……冴島に汚い感情を抱く自分を今すぐにぶち殺してやりたいと何度も思った。
 とうとうその情欲が強くなりすぎたとき、もう二度と兄貴に近づきたいと思わぬように。今日この晩、馬場は自らを更に地獄へ落とそうとこの場所に来たのである。どこぞの知らぬ男に尻穴を掘られてヨがる自分なら、冴島から愛されようなどとそんな突拍子もないことは考えつくまい。だって、こんなに醜いのだから。


――だからこそわからない。

 目の前の冴島は、ゴミのような俺を捕まえて、何故激昂しているのだろう。




「馬場ちゃん……何考えとんのや」

 何を考えているのか……知りたいのはこっちの方だ。薄まる意識の中で、必死に考えを巡らす。

「……何笑っとんねん」

 まさか、冴島さんが自分に怒っている……? 何故だかはわからないが、もしかしたら自分は冴島さんにこのまま殺されるのかもしれない。

「ヘラヘラすんなや……四肢もぐで」

 ギリ、と冴島の手にまた体重がかけられた。このままだと、窒息死の前に首が折れるかもしれない。

「馬場ちゃん……?」

 笑いが止まらなくなった。こんなに。こんなに嬉しいだなんて。

 冴島さんに与えられたいのち。奪うのに相応しいのは冴島さん以外に居ないだろう。

「嬉しいです……嬉しい……」

 困惑で緩む手の力を、繋ぎ止めるように口早に伝える。
 辞めないでほしい、と伝えたつもりなのに。それを聞いた冴島はとうとう力が入りすぎて白くなった手を、馬場の真っ赤な首から離した。

「兄貴……?」

 先程までビリビリ残っていた冴島の怒気が、狭い部屋に散り散りになって溶けていった。


「ほんまにアホやな、馬場ちゃんは」

 アホやな。あほやこいつ。

「……勝手に俺を神様にするんやない」
「……そんな、」

――冴島さんは、俺の神様だと。

「俺かて人間や」

 馬場ちゃんのこと、どんな風に大切に思っとるか、伝えなあかんみたいやな。

 そう、馬場に伝えた冴島は、遠い草原の静寂の中にいるような。しかし、今度は全てを奪う目をしていた。

 満たされるのが怖い。
 馬場の中でまた恐怖がぶり返す。


「馬場ちゃんは、何も考えんでええ」
「やめてください、やめて……」

 冴島は一度ゆっくりと瞬くと、ふ、と笑う。

「嘘をつくんももうやめぇ。いつまでも我が侭が通用するん思いなや」

 サ、と全身が冷たくなった。俺は、何に嘘をついていたんだろう。この人の前で、何を隠していたんだろう。

「ええ加減俺の愛情を受け取れや」

 馬場ちゃん。