深い意味などなくそのままの意味でして

「僕は……ああいえ、悠馬、はこちらがいいと思いますよ」
北海道名物ようかんパン。北海道牛乳を使用したカスタード風味の生地にようかんをコーティングし、中にたっぷりの白あんを使っているそうです。
そう説明する言葉を聞きながら、わたしはちらりと隣の彼を見る。
わたしよりずいぶんと年下の綺麗な男の子。たまにこうして顔を合わせては一緒に食べ歩きをするだけの不思議な関係。つい先日まではお互いに名前も知らなくて、ようやっと名前と素性を知ったばかりの相手。なんだかものすごい人とお友達だったんだなあと驚いた、年下のお友達。野坂悠馬くん。
とりあえずようかんパンは候補に入れておこうと答えて、ついでに北海道ならメロン関係も捨てがたいよね、と会話を繋げながら、わたしはうん、と一人でうなずいた。

(すごい、名前を呼べ、という圧を感じる)
悠馬はこう思います、とか、悠馬です、とか。今までなら僕とか野坂とか名乗っていたところが最近は自分の名前になっている。さっきもそう。わざわざ言い直してまで下の名前をわたしの耳に入れる行為が、下の名前を呼んでほしいというアピールであることくらい、わたしにだってわかる。
というか、別に鈍いわけではないのだ。ないはずだ。なので彼のお願いを叶えてあげるくらいはできるのだけど、そこはほら、抵抗感。だって下の名前で呼ぶのは苦手だ。それにその界隈で有名である、という野坂くんを下の名前で呼ぶ一般女性、なんだか変な誤解を招きそうで怖い。わたしたちはあくまで、食べ歩きのお友達なのだ。
そもそもわたしが下の名前で人を呼ぶのは苦手だと言うことを彼には当然話してあるし、リスク管理的なことはわたしよりも彼の方がしっかりしているだろう。
直接明言せずに自分で自分の名前を呼んでいるのがその証拠だ。たぶん、下の名前で呼べアピールにわたしが気付いたところで行動にはおこさないだろうこともちゃんと考えていて。うっかり、彼の言葉につられて呼んじゃった、みたいな事故を狙っている……のだと思う。
ここらへんはわたしの勝手な妄想なので真実はわからないけど。でも、そうじゃないとこの不自然な名前呼びの説明がつかない。そうまでして下の名前を呼ばせようとする理由は、やっぱり全然わからないのだけど。

(……あ。もしかして、甘えたい、とか?)
そう、天啓のように落ちてきた思考に、はっと息を飲む。一度思いついたら、それ以外に考えられなくなってしまった。
彼はすごく落ち着いていて、わたしよりも年上みたいな貫禄がある子だ。実際、以前偶然彼と一緒にいるところに遭遇したお友達からも「野坂さん」と慕われているようだったし、人を率いるリーダータイプなのだろう。
けれどもやっぱりまだ子供だ。わたしよりずいぶんと年下の、まだまだ学生の身分だ。わたしだってたまに誰かに無性に甘えたいと思う時があるのだから、野坂くんだって誰かに甘えたい、という気持ちを抱いたとしてもおかしくはない。
ここで彼女でもいれば多少は甘えられるのかもしれないけど……でも、このくらいの年齢の子なら、好きな相手にはかっこいいところを見せたい気持ちの方が強いだろう。いや、もしかしたら恋人にはめちゃくちゃ甘えるタイプかもしれないけど、そこは本人じゃないのでわからない。とすると、必然的に親とか年上の兄姉に甘えるしかない。でも家族の話なんてしたことがないのでどういった家庭環境なのかわからないし、とてもデリケートなことなのでひょいと聞くのもためらわれるので聞けないので、他の人に甘えなよ、という言葉は基本的に言えなくなる。
となると。まあ、甘えたいなと思って、甘えられそうな年上、という存在を探した時。ちょうどわたしが目についた、というのは、わからないでもない。

(なるほど。お姉さんに甘えたい、と)
大半がわたしの勝手な推測だ。そもそも下の名前を呼んだくらいで甘やかしたことになるのか非常に疑問だが、もしもお姉さんに甘えたいという理由なら、可愛いじゃないか、と思ってしまう。
こんなにかっこいい子だって人の子なのだ。なんだか急に年下らしく見えてきて、ちょっとくらいお姉さんらしいところを見せなくては、なんて気持ちになってくる。
「よし!」
「お姉さんはもう決まりましたか?」
「うん! ……うん!」
その勢いのままうなずいて、くるりと野坂くんを見て。
うーん、困った。困ってしまって、言葉が続かなくなった。
(……甘やかすってどうすればいいんだ!?)
よくよく考えれば、甘やかす、の具体的な行動がわからなくなってしまって、ええと、と目を泳がせる。だって、下の名前を呼ぶのはやっぱり無理だ。苦手。恥ずかしい。無理してやるのは、ちょっと苦しい。わたしはわたしに甘いので、できれば避けたい。
でもそうすると、どうしたらいいのだろう。すぐに思い浮かぶのは抱きしめたり頭を撫でたり、というものだけど、もっと幼いならまだしも彼の年を考えるとよろしくない。
あとはわがままを聞いてあげるとか、好きなことさせてあげるとか、なんでも買ってあげちゃうとか? 最後ならまあ、できるかな。甘やかすと言うより貢いでいる感じがするけど、まあいいか。

「……わ、わたしが、全部買うよ」
「え?」
「お姉さんなので! たまには甘やかさせていただきたく!」
それ以外の深い意味はないです、と訴えるように力強く言えば、彼はきょと、とまばたきをして。それから、小さく「……そうきましたか」と呟いて苦笑する。
これはわたしの考えがバレバレになってしまった態度だな、と思ったけれど、今さら言葉を引っ込めるわけにもいかないので何も言わない。とにかく彼の言葉を待っていれば、野坂くんは頬を緩めた。
「じゃあ、お願いします。お姉さん」
「……! うん! 任せて!」
これとこれが食べたいです、ついでにこれをお土産に……と、何か開き直ったのかあれもこれもと言ってくる様子にちょっとだけお財布の中身の心配をしつつ、やっぱり結構可愛い子かもな、とこっそりと笑った。

2022年10月執筆