マーテルさんの言葉を聞いて、彼の目が大きく見開かれる。
その横顔を見て、ぱきん、と何かが割れたような気がした。
「……間違ってるって? 姉さまがボクを否定するの?」
信じられない、と言葉を零すミトスくんの顔色は青ざめていて、もともと白い肌がもっと白くなってしまっていた。
たぶん、体は震えている。それがわかるから、マーテルさんは違うの、話を聞いて、と首を振った。
「違うわ。思い出してほしいの。こんなことはやめて、もう一度昔のあなたに……」
「姉さままでボクを……否定するの?」
はは、と笑うような声が落ちる。
マーテルさんの手から逃れるように後ずさりして、傷ついた顔で、もうそれしかわからないとばかりに、笑う。
「姉さまがそんなこと言うはずない……はは、ははは、あはははは!」
笑う。わらう。
傷付いた顔で、急に壊れてしまったみたいに。
痛々しく笑いだした彼に、マーテルさんもどうすればいいのかわからないでいるようだった。
わたしたちも同じだ。そうだ、お前は間違えている、と言ってしまえば、彼はもっと耐えられないような気がして。けれどそんなことないよとも言えなくて。何も、言えなくて。ただ見ているだけしかできない。
だから。……だから、ミトスくんは、この場所で、たったひとりだった。
たったひとり、傷ついた顔で笑って……そして、その表情を歪にゆがめた。
「そんなこと、許さないからな!」
ミトスくんはそう叫ぶと、自棄になったようにマナを周囲へと放出させ始めた。
たぶん、魔法、ではない。詳しくはわからないけれど、詠唱もしていなければ、何か術の形にもなっていない。彼が干渉することのできる大気中のそれなのか、それとも体内をめぐっていると言うマナなのか。わたしには区別がつかないけれど、この部屋ごと壊してしまいそうなほど、ただ無差別にマナをそのまま放出させている。
止めないと。だめだ。マーテルさんはきっと身も守れない。彼女の隣で装置がびしりと軋むのを聞いて、わたしは駆け出した。
「大丈夫か、ロイド!」
そうして、聞こえてきた声に顔を上げると、ゼロスくんがこちらへと駆け寄ってくるのが見える。
わたしより先にマーテルさんのもとにたどり着いた彼は、わたしの目の前でコレットの要の紋をマーテルさんに装着させた。
「何をするんだ!」
ミトスくんがその行動の意味に気付いて、こちらを明確に狙って攻撃を放つ。けれど、それは誰にも当たらない。
わたしとマーテルさんはゼロスくんに突き飛ばされる形で庇われたし、彼もちゃっかり反対方向へと身をひるがえしたからだ。
「どういうつもりだ! マナの神子から解放してほしいんだろう?」
「わりぃな。……それ、もういいわ」
どさりとマーテルさんを抱えながら倒れこめば、憎々しげに睨みつけてくるミトスくんが見える。
対するゼロスくんは、いつも通り。いつも、わたしたちと一緒にいた時のように。強気に、飄々と笑っていた。
「お前らを倒しちまえば、そんなこと関係なくなるしな」
その言葉を聞いて喜んだのは、もちろんロイドたちだ。
ぱあっと表情を明るくしたのが見えて、わたしもほっと胸をなでおろす。
「ゼロス! やっぱり戻ってきてくれるのか」
「悪かったな。こうでもしないと、これが手に入らなかったんだ」
そう言って、彼は何かをロイドに投げ渡す。
それは人間でもエターナルソードを使えるようにするためのアイテムだとか、彼がみんなを助けたことを聞きながら、わたしは腕の中に庇ったマーテルさんへと視線を向けた。
……見た目は、今、コレットだけれど。わたしを見上げるその瞳は間違いなくマーテルさんのものだ。
よく、膝枕をしてあげた時。こんな風にわたしを見上げていたことを、まだよく覚えている。ううん、絶対に忘れたくないって、何度も思い返していたから、間違えることなんて、なくて。できれば、会いたいなって、思ったことは、何度もあって。
……でも。こんな形で再会なんて、したく、なかったなあ。
「ナギサ」
「マーテルさん」
彼女の人差し指が、開こうとしたわたしの口をそっと閉ざす。
腕の中の重みが増すのは、彼女が今、意識を手放そうとしているから、だろう。要の紋が、この体の本来の持ち主を輝石から……輝石に宿っていたマーテルさんの意識の浸食から、守ろうとしているのだ。
だからマーテルさんは、再び大いなる実りへと戻っていく。その直前の、このほんの少しの時間。わたしたちがきっと言葉を交わせる最後の時間に……マーテルさんは、少し瞳を潤ませて、ほほ笑んだ。
「……ずっと、大好きよ」
わたしも、という声は、マーテルさんに届いただろうか。
コレットの体から抜け出るように光が溢れ出したことで、ミトスくんが悲鳴を上げたから、聞こえたかどうかわからない。
けれど、マーテルさんは嬉しそうに笑ってくれたから。それだけで、わたしはもう、十分だった。
「くそ! 姉さま! お願いナギサ、姉さまを……!」
「さようなら、ミトス。私の最後のお願いです。この歪んだ世界を元に戻して」
「嫌だ、姉さま! ……いかないで!」
嫌だよ、とくしゃりと泣きそうに表情を曇らせる弟を見て、マーテルさんも困ったように眉を下げる。
たとえ間違えていても、ミトスくんはやっぱり、マーテルさんの大事な弟なのだ。自分のために世界を歪ませてしまったことを悲しんでいても、苦しんでいても……自分のために頑張ろうとした弟のことが、大事なのだ。
だから、彼女はささやいた。弟を苦しめてしまったことに、心を痛めたから。
「こんなことになるのなら……エルフは、デリス・カーラーンから、離れるべきではなかったのかもしれない。そうしたら、私たちのような、狭間の者は生れ落ちることはなかったのに……」
光が、完全にコレットの体から抜け出ていく。
そうしてその光は大いなる実りへと吸い込まれると、腕の中の彼女は意識を失った。