「雪って、静かに降るんだね」
しばらくの間、この部屋に満ちていた無言をやぶったのはジーニアスだ。
彼はよいしょ、とわたしから離れると、窓を開けて降り続いている雪へと手を伸ばす。
「イセリアは気候がいいから、雪なんてほとんど降らないもんね」
「うん。だから、こうしてちゃんと見るの、初めてだよ。冷たいね」
この町はずっと雪が降ってるんだよね、と語ろうとするジーニアスは、きっと彼なりに元気にならなくちゃ、と思っているのだろう。自分がうつむいていたら、他のみんなにも迷惑がかかってしまうから。だから、少し無理をしてでも明るくならないといけない。
その気持ちはわかるけど、もう少しくらいいいのに、と言ってあげることもできなくて。わたしも、ちゃんと明るくならなくちゃなと、そう思って。せめて、彼が用意した話題に乗らなくちゃと一緒になって窓から手を出せば、ジーニアスの目からぽろりと涙が零れた。
「ジーニアス?」
「あ、へへ……ごめん。違うんだ。ちょっと、怖くなったんだ」
窓の外に出していた手を引っ込めて、ごしごしとまぶたを擦る。
そうして、再び手を外に出して雪を受け止めると、そのまま手のひらに溶けてしまった雪を見ながら、悲しそうに笑った。
「雪はこんなに冷たいのに、天使になったミトスは、それに気付かないのかなあって」
どう、なのだろう。
少なくとも、わたしたちと一緒にご飯も食べたし、眠っていたようにみえたけれど。実際は眠っていなかったのかもしれないし、手を繋いだ時も……全然、感触なんてわからなかったのかもしれない。
そっか。そういうことも、全然知らないんだな。ユグドラシルとして顔を合わせた時も、そういえば聞かなかった。
全然、気も回らないな。……まあ、こういうことで。事前に気付けたものなんて、何もないけど。
「ねえ、今だけ……ナギサの前でだけにするから。今だけ、ミトスの味方みたいなこと、言ってもいい?」
ふと、恐る恐ると言った様子でジーニアスがこちらを見上げてきたので、わたしは静かにうなずく。
「ボク……少しだけ。少しだけだけど、ミトスの気持ちもわかるんだ。ボクたちがイセリアを追い出された時、自分が人間の血を引いていることが、嫌で嫌で仕方なかった。ヘイムダールで追い出された時は悔しくって、情けなくって……ボクは人間でもエルフでもないんだ。どっちにも入れてもらえない。そのくせ、どっちかに所属していないと、生きていることすら認めてもらえない」
溢れ出した言葉は、彼らが同じ種族だから分かち合えることなのだろう。だから、わたしはうん、と相槌を打つしかできない。
追放されたときも気丈にふるまって、ヘイムダールに入れなかった時はエルフの里の話が気になるなんて笑って話をねだって。そうやって、上手に隠すことを覚えてしまうくらい、大変だったこと。悔しいこと。わたしには、本当の意味でわかってあげられないから。
「……ミトスがやっていることは許せないって思う。でも、ミトスを倒しても、何も変わらないんだろうなって、思うんだ」
ミトスくんを倒せば、きっと世界を一つに戻して、大樹を発芽させて。そうして、世界は一見平和になると思う。
でも、その平和こそがスタートだ。わたしたちが望む世界は、誰も差別されない世界。同じ種族じゃないと生きていることすら認められないような場所ではない。
おいしいものを食べて、いっぱい眠って夢を見て、誰かのあたたかさに触れて、たくさん会話をして。誰もが胸を張って自分らしく生きられる世界。
それは……結局。平和になって心に余裕ができた人たちから、少しずつ広めていくしかない、価値観の話。誰かを倒せばはい終わり、ではないのだ。
「変われるのかな。本当に」
だから不安になる。本当に世界は変わってくれるのか。世界を救ってよかったと思えるのか。
大丈夫だよなんて簡単には言えない。それがとても難しいことだってわかっているから。でも……でも。そんな時、彼が頭をよぎるのだ。あんまりにも何度も前を向くから、声を張るから、思い出してしまう。
「ロイドは、あきらめないと思うよ」
わたしたちが死ぬまでの間に変われる人間なんて、もしかしたらほんの一握りしかいないかもしれない。
夢見たその世界を見ることは叶わないかもしれない。でも、それでも。少しずつでも、変わることができたのなら。それは、もっと時間をかければ、絶対に実現するということだ。諦めなければ、変わりたいって思うなら。そう思って行動し続けることができるのなら。きっと、変わらないものなんてない。
……すごく、ただの理想論で、夢見がちなことだけど。でも、何度も何度もロイドはそう言って諦めずに走って、今までもいろんなことを成し遂げてきたから。もしかしたら、今度もって、思ってしまう。
それはジーニアスも同じなのだろう。親友の姿を思い出したのか、くすりと笑って。寒くなってきたからと窓を閉めて、うん、とうなずいた。
「そうだね。ロイドは今までずっと、しつこいくらい、あきらめなかったもんね。ボク……ロイドみたいに、もう少し、しつこくなれるかな」
「ロイドみたいになる必要はないよ。でも……そうだね。もう少ししつこくなるくらい、いいと思うよ。わたしも……」
しつこくなって、いいのかな。
そう、疑問形になってしまいそうで口を閉ざす。
無言になってしまったわたしの手をジーニアスは握りしめて、そうして、じっとわたしを見上げていた。
「しつこくなろう。……だからナギサも、あきらめないでね」
何をあきらめないでと言われているのかは、なんだか少し怖くて、聞けなかった。