9-2

「ハア、ハア……ここまで来りゃ安心だろ」
「た、助かったぁ……」

走って走って、ひたすら走って。戦場の端まで来たところで、ようやく足を止める。
たくさん走ったとか慣れない戦闘が怖かったとか、そんなことをすっ飛ばして、なんとか生きられた事に安堵する。
ああ生きてる。
生きてるよわたし。

「しっかし……なんなのあいつ?」
「リカルドって人?」
「ちっがうわよ! あの気持ち悪いヤツっ! あ〜鳥肌立ってきた……」

ぶるりと体を震わせるイリアに苦笑が漏れる。
確かにあのハスタとかいう奴は気味が悪かった。嫌なくらい個性的ってことだろうけど、あまり個性的すぎても困る。
それでも少し庇いたくなるのは、ハスタから感じる懐かしさが原因だろうか。

「変な奴だったなー。イリア、怯えて震えてたぞ、しかし」
「でも……なんだろな……あのハスタって奴、初めて会った気がしねーんだ」
「え、スパーダも? それって……」
「ルカくん、行ってしまうの?」

彼はやっぱり転生者なのかな、と考えようとしたところで、チトセの声がして振り返る。
野営地からずいぶんと遠くまで来たはずなのに、彼女はそこにいた。息も切れていないし、あの襲撃の後、ここまで避難していたのだろうか。
不思議に思っていると、彼女は寂しそうに目を伏せながらこちらへと歩いてきた。

「あ、うん……逃げるなら、今しかないと思うから」
「そう……寂しいな」
「……チトセさん……一緒に……来る?」
「ゲッ……なに勝手なこと言い出すのよ……」

イリアが心底嫌そうに呟いたのが聞こえたのかは知らないが、彼女もまた首を横に振る。
ついていくわけにはいかないの、ごめんね、と寂しそうに微笑んだ。

「ううん……ごめんね。でも、ありがとう」
「そう、残念だね」

ルカはたぶん、友達になれたから声をかけたのだろう。そして、せっかく友達になれたのにここで別れるのは残念だな、と思っているのが、彼の表情でわかる。でも、明らかにルカに好意を抱いているチトセには、気にかけてもらえただけで、十分嬉しかったに違いない。
だから、なのだろうか。彼女はぎゅっとルカに抱き付いたかと思うと、躊躇うことなくルカの唇に自分のそれを重ねた。
目の前に突然登場したキスシーンに、わあ、と思わず赤面してしまえば、隣でイリアが声にならない悲鳴を上げる。

「ちょっ!」
「あんた、なにやってんのよ!」
「わあお」
「ん〜〜!?」

三人それぞれ違う反応で見守っていれば、やがてゆっくりとチトセは離れていく。
ふんわりと浮かべる笑顔はとても綺麗で、あんな大胆なことをした本人とは思えないほど、柔らかなものだった。

「きっと、また会える。これは、そのおまじない。じゃあね、ルカくん」

そう言って彼女はわたしに笑いかけてから、再び自陣へと戻って行った。
しばらく、沈黙。そりゃそうだ。何を言えばいいのかわからない。
でもいつまでもここにいるわけにはいかないので、ぽかん、とチトセの背中を見送ったままのルカに、スパーダはわざとらしく咳払いをして意識を引き戻してやった。

「あ〜コホン、ルカさん?」
「へ? ……あ! あのぅ! いや! きっと今のは! そのぅ……お……お別れの挨拶みたいなもので!」
「ま、それについちゃオレは別にどーでもいいんだがよ。そろそろ行こうぜ」
「おほほほほ! そうですわよね〜参りましょう、スパーダさん、ミオさん?」

ああ、イリアの機嫌がこれ以上ないってくらい悪くなってる!
表面上はやけに笑顔なのに、ぴりぴりとした空気を肌に感じてわたしとスパーダは少しだけ後ろに下がる。
しかし悲しいかな、原因であるルカはさっぱり理解していない……わざとらしく話しかけてきたイリアに首を傾げるだけだ。

「え〜っと、おたく、ルカさんでしたっけ? 今のご婦人を追っかけてっても、よろしいですのことよ?」
「イリア……その口調、すごく不自然だよ。さっきのキス、深い意味はないんだってば、たぶん……それともイリア……もしかして、やきもち?」
「ハァ!? なに言ってんのよ!」
「うわちゃあ〜ルカの野郎、余計な地雷踏みやがって……」
「うわーもう、馬鹿! すごいだめ!」
「ルカく〜ん……目をつぶって歯を食いしばりなさい。一応、お祈りも忘れないでね〜」
「はひ? え? なに?」

バシンとかではなく、ゴッと音を響かせてイリアの拳がルカの頬を打つ。
思わず倒れ込んだルカを見下ろして、イリアは足音を鳴らしながらその場を離れていった。

「フンだ! 先に行くからね! 行くよ、ミオ!」
「はいはい……あ〜あ」

なんだか前途多難だなあと思いつつ。
ようやく戦場から逃げられることにほっとして、わたしは彼女の隣を歩いた。