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「さて、この辺り、かな……」
「なにがですか?」
「ミオさん、ここで少し待っててくれるかい?」
「ええっ!?」

レグヌムの広場に来たあたりで、コンウェイさんは突然そう言い出した。
なんてことを言うんだ。ここで少し待っていてとか、恐ろしすぎる。
いや、治安は悪くなさそうだけど。こんな知らない世界で、少しでも一人になるとか、とんでもなさすぎる。

「こんな見知らぬ場所でひとりぼっちとか、人生で経験しなくていいレベルの孤独感なんですけど」
「人生何事も経験だよ。キミの事でちょっと調べたい事があってね。大丈夫、さすがにこんな不安定な状態で見捨てたりはしないよ」

すっと頬を撫でながら、安心させるようにコンウェイさんは言う。
穏やかな笑顔は嘘のように思えないし、わたしの為だと言われたら強く言えないわけだけど……それでも不安は拭えない。
でも、何か調べてくれる、っていうなら、信じるしかできない。わたしは今、無力で無知な子供だ。もう高校生だし、少しくらいは自分を客観的に見れる。普段ならまだしも、この知らない世界でわたしに出来ることは何もない。こうしなさいと言われたら、それをするしかないのだ。
だから、とっても不安だけど。仕方ない。わたしはぐっと唇を噛んでからついと視線を落とした。

「……約束ですよ」
「うん、約束。必ず迎えに来るから」

ぽんと頭を撫でてから、コンウェイさんは歩き出す。
その背中を見送ってから、わたしは広場の隅の方へ寄って、適当に壁に寄りかかりながら深々とため息を吐いた。

ぼんやりと、鞄からスマホを取り出してみる。電源がつかない。電池、切れたのかな。まだ残っていたはずだけど。充電器、今日忘れちゃったんだよな。あーあ。
仕方ないので鞄にしまい込んで、またため息。
目の前にあるのは明らかに見知らぬ景色で、知らない人々で、感じたことのない空気。わたしだけが異物であると実感してしまうような孤独感。そんなものばかりが確かにわたしの上にのしかかってきて、はあっと大きく息を吐いた。

「これは、楽しく考えるのも難しいレベ……うおっ!?」

ドンっと何かに突撃されて、わたしはズザリとその場に転んでしまう。
今度は一体なんだよ! とぶつけた所を押さえながら顔を上げると、帽子を被った少年……たぶんわたしと同じくらい、が、ギロリとこちらを睨んできた。

「ったた……」
「んだよ、邪魔すんな!」
「っはあ!?」

邪魔も何もぶつかられたのわたしなんですけど! わたし壁に寄りかかっていただけなんですけど!
そう言ってやろうかと思ったけれど、それより先に、彼の後ろから怒声が聞こえてきて黙り込む。
ばたばたと足音を立ててやってきたのは、大きく着崩した服と悪そうな顔をした、いかにも不良みたいな印象を持つ数人の男たちだ。しかも手には思い思いの得物を持っている。これは不良とかいうレベルを超えて、なんかそういうよろしくない界隈の人達なのかもしれない。
ひえ、と小さく悲鳴を零しながら、しゃがみこんだまま後退りするわたしに、たぶん彼らは気付いていないのだろう。わたしにぶつかってきた帽子の少年だけを見て、いきなり得物を振り下ろした。
だが、それは少年には当たらない。彼はそれを軽く避けながら、腰にかけていた二本の剣を素早く抜いて応戦する。

「このクソガキ、ちょこまかすんじゃねえ!」
「へっ当たらなくていい攻撃を避けてるだけだっつーの!」

ああ、もう、一体何が起こっているのやら。
RPGや格闘ゲームのような戦闘が、目の前で繰り広げられている。わたしは完全に腰が抜けてしまって、立ち上がる事も逃げ出す事も出来ず、顔を引きつらせながらそれを眺めることしかできない。
これに巻き込まれたら死ぬんじゃないだろうか。どうしよう。誰か警察かそれと似たような組織の人を呼んできてほしい。

はやくコンウェイさん帰ってきて、と泣きそうになっている間に、勝利は帽子の少年が手に入れたらしい。
捨て台詞を吐いて去る奴や道に寝転んだままの男達を見送ると、彼はくるりとわたしに向き直った。
……喧嘩乱闘後のいくつもの傷を受けたまま平然とする彼に、わたしの顔がさらに引きつるのがわかる。

「おい姉ちゃん、ケガぁねえか?」
「わたしより明らかにケガしてる人に言われたくないんだけど……」
「別にこれくらいなんともねーよ。ぶつかって悪かったな」
「ああ、いや別に……それより、早く手当てした方が……」

わたしが治療できたらいいけど、あいにく絆創膏くらいしか持ってないし。その前に消毒とかした方がいいのかなと思うと手が出せない。ああ、でも、本当に痛そうだな。

そう、なんとなく思いながら。わたしの手は、彼の怪我をしたところにのびる。
触れるつもりはない。痛そうだな、と思っただけ。「痛いの痛いのとんでけ〜」みたいな気休めしかできないとわかっている。
だが。傷と手の間の空間が狭まった瞬間、チチ、と。どこかで鳥の鳴くような声がして。
次の瞬間には、わたしの手の中にぽう……と光が灯った。
それはゆっくりと少年の傷を癒し、みるみるうちにそれを塞いでいく。
突然起こった現象に自分でもポカンとすれば、少年はさらに驚いたように目を見開いた。

「え?」
「っお前……!?」
「通報があったのはここか!」

急にそんな声がしたかと思うと、次の瞬間グイッと力強く腕を引っ張られた。
後ろ手に拘束されたかと思えば、無遠慮に力の籠もった手がわたしと少年を地面に抑え込む。
痛いと叫ぶ前に、それが憲兵のような格好をした人達だと気付いて更に混乱した。

「いった! ちょっと、いきなりなに!?」
「てめェ! 放せッ!! 放しやがれってんだよ!!」
「異能者捕縛適応法により、貴様らを連行する! さっさと歩け! この悪魔め!」
「このオレが悪魔だとォ! オレは立派な人間だ!」
「ていうかなんの話それ、い、いたたたたっ痛い痛い! もっと優しく扱って!」

もういったい何が何やら。
急にすごい力で押さえつけられているのも理解できないし、悪魔だと罵られるのも意味が分からない。どうしてこんなことになっているのだ。わたしがいったい何をしたというのだろう。思わず涙が滲んできた。
抵抗も暴れまわっている少年と違って、痛いから優しくしてと訴えることしかしていないのに、押さえつける力は変わらないので悲しくなってくる。

「クソッ! 放せよ! この野郎!」
「ふん、このクソガキ。名のある騎士の家の出らしいが、今はただのチンピラだそうじゃないか」
「うるせえ大きなお世話だ! 放せよ!」
「確かに子ども離れしたバカ力だが、異能者といえど、まだ十分には覚醒していないようだな」
「こっちの女に至っては可愛そうなくらい常人並みだが……先ほど何かの術を使っていた。異能者なのは確定だからな。気をつけろ」
「さあ、いい加減諦めて大人しくしろ! ほら行くぞ!」

引っ張り上げられるように立ち上がらされて、恐怖で青ざめる。いったいわたしはどこに連れていかれるのだ。だいたい、ここを動いてしまったら、コンウェイさんとの約束が守れなくなってしまう。
それは嫌だ。この知らない世界で、わたしの事情を知ってくれている人から離れてしまうなんて、絶対に嫌だ。
わたしは思いっきり体を揺らしてなんとか逃げ出そうとするが、本当に遠慮なく力を込めてくる憲兵からは抜け出せない。

「おいちょっと! わたし、約束……っ放して! 放せってば! セクハラー!」
「ええい黙れ!」

せめてと叫んでみたけれど、ガンっと強く殴られて、叫んでいた声がぐっと詰まる。
これ、打ちどころ、悪かったのかな。大丈夫かな。人ってあまり殴られていいものじゃないと思うんだけど。狭まった視界に、急に重く感じる体に、上手く動けなくなることに恐怖心がこみあげてくる。
そのままぐらりと視界が反転して、意識が遠のく中。またどこかで、鳥が羽ばたく音が聞こえた気がした。