30-1

「アスラ、創世力を封印して! あれは危険だわ、お願い……でないと私、私……っ!」

天上界の清浄な光の中で、イナンナはそう体を震わせる。
悲しそうに苦しそうに。宝石のような瞳から涙を零して、その細く美しい体を可愛そうなくらい震わせて、目の前のアスラに懇願する。
アスラはその巨体で潰してしまわないように優しく抱き締めて、ただ何も言わずにイナンナの声に耳を傾けた。

「私は、今のままで幸せ。今まで通り、あなたといたいのよ。いつまでも、いつまでも。だから……一緒にあの力を封印しましょう。センサスの者にもラティオの者にも、誰の手にも渡らぬように……」

ぷつり。記憶が途切れる。
再び広がったのは見慣れた薄暗い王廟の景色だ。
どうやら今のが再生された記憶らしいらしいと気付いて、全員が顔をしかめる。

「……なんや今の二人。アツアツやったな」
「なんだよこれだけか?つまんねぇな」
「まったくだ。つまらん」
「すっごいつまんない」

ただのリア充じゃん。ただのいちゃいちゃじゃん。うわー他人様のいちゃいちゃ見たって何も楽しくないわー
わたしも思わず顔をしかめて、でも同時に少し切なさみたいなものも感じて、ふうと息を吐いた。

「そうね。ここの記憶の場に残っていたのは大した情報ではなかったのかも」
「アスラももっとガーッといけよなぁ。一気に押し倒すとかよぉ」
「ああ、まったくだ。つまらん……」
「あれ、そっち?」

スパーダとリカルドさんが苛立たしげに呟いたのを聞いて、少しだけ苦笑した。こっちはなんの情報もなくいちゃいちゃを見せられただけでつまらないって言ってたのに、二人はもっといちゃいちゃしろって意味でつまらないと言っていたらしい。男子ってこういうものなのかな。
ルカとイリアもつまらなかったのかあまり反応は見せなかったけれど、ただイリアは頭が痛くなってきたと舌打ちをする。
それより、あの壁画を見た方が情報が得られそうだ。誰かが言ったそれに賛同して、あのどこか禍々しい印象を受けた壁画に視線を向ける。
そこには次のような文字が刻まれていた。

魔王、創世力を高く掲げ
その力長き眠りから呼び起こす

「魔王が創世力を使った? ていうか、いきなり魔王? 神様とか邪神とかならわかるけど、魔王って少しジャンルが違うような気がするんだけど……」
「そうでもないよ。魔王は魔の王。悪魔の王や天魔の王といった意味の他に、災厄だとか悪の根源だとか、世界を混乱に貶めた原因の存在に対して使うこともあるんだ」

つまり、魔王自体はただの天上人にすぎない。
ただその存在が行った行為が世界を混乱に陥れ、混沌に引きずり込んだ。だから恐れをもってそう呼び記した可能性がある。
そう説明するコンウェイさんに、そういえば前に学生さんだって言ってたなと思い出す。こういうことでも研究していたのだろうか。

「チトセさんが言っていた。マティウスは僕のよく知る人物だって、それが魔王……? マティウスが創世力を欲しがっているのは、天上界に続いて地上も滅ぼすためだよ、きっと!」
「マティウス、あいつがっ?」

ルカの言葉にイリアがばっと顔を上げ、すぐに頭が痛いとうずくまった。
先ほどから頭痛が酷そうだ。顔色も悪くなってきたのを見て、コンウェイさんが心配そうに話しかけた。

「ここは海の底だから、気圧が高いせいかな。頭が痛いなら、少し横にでもなったほうがいいんじゃない?」
「わたしに寄りかかっていていいよ」

よほどつらかったのか、うん、と彼女にしては珍しく小さく頷いたが、すぐにあれ、と間抜けな声を出した。
どうやら急に頭痛が軽くなったらしい。そんなことあるのだろうかと思うけれど、考えすぎか何かだったのかもしれないと不思議がるイリアがけろりとしているので、それ以上は言えない。
それでもとりあえず少し休んでから行こう、と提案して休憩してから、ここにはもう情報はなさそうだと言うことで、王廟を出ることにした。

すっかり頭痛が収まったらしい彼女に安心しながら出口へ向かって歩いていると、その先に人影が見えて立ち止まる。
そこに立っていたのはチトセだった。彼女がまっすぐにこちらを見つめているのを見て、イリアは苛立たしげに足を踏み出す。

「こ〜のねっちょり女、ノコノコ現れやがったな!」
「イリア、その口調。あなた女の子でしょ」
「現れやがりなさいましたわね! なんの用よ!」

なんだかイリアが一人でおもしろいことをしているけれど、チトセにとってそれはいちいち気にかけることでもないらしい。
彼女はイリアのことをちらりとも見ず、まっすぐにルカを……アスラだけを見つめて話しかけた。

「アスラさま。マティウスさまはあなたを必要とされています。お願いです。私とおいでください。共に幸せになりましょう」
「……ううん。ダメだよ。悪いけど君とは行けない。僕は決めたんだ。僕は、僕を必要としてくれるイリアを守るって。イリアとずっと一緒にいるって」
「お、おお」

な、なんかプロポーズみたいで、何故かわたしが照れてしまった。言われたイリアはまったく気にとめてないようなので、一人気まずいのだけれど。
でも、チトセはわたしと同じように今の言葉を受け取ったらしい。一瞬、絶望したかのように表情を強ばらせてから、悔しそうに唇を噛んで、憎々しげに頭を抱えた。

「どうして……どうしてわかってくれないの……浮かばれない想いを心の底に沈め、耐えて待つなんて私はもうイヤ。生まれ変わった私は違う。アスラさまは……アスラさまは誰にも渡さない……」