89.記憶がない、ということ

予定通り船に乗って、ザウェートへと向かう。
空はどんよりとして雪まで降っていて寒いが、そんな中で甲板に出ているソフィを見つけてわたしも彼女の隣に並んだ。
ぼんやりと海を見る表情は、どこか思いつめているようにも見えて、放っておけなかった、というのもある。ソフィもあまり他人に打ち明けないタイプなのかな、と近付いて、なるべく笑顔で話しかけた。

「ソーフィ。どしたの、一人で」
「シオリ……」

ゆっくりと振り向いたソフィは、やはりどこか浮かない顔をしている。
……ストラタの大輝石でリチャードに会ったという時から、彼女の元気は無い。
それでも話してくれないソフィに、人の事言えないよなぁと思いながらも話すように諭してみる。

「マリクさんみたいにお話は出来ないけど、ソフィのお話くらいならわたしも聞けるよ」

ソフィはしばらくじっとわたしを見つめると、やがてポツリと「……不安になるの」の呟いた。

「わたしには記憶がない。覚えているのは幼い頃のアスベル達と過ごしていた時の事だけ。みんなは言う。わたしはみんなを守って死んでしまったって。死んでしまうって、どういう事なんだろう。それを考えると、怖くて怖くて……たまらなくなる。目の前が真っ暗になる。思い出したいような、思い出すのが怖いような、変な気持ちになるの」

溢れ出した言葉に、少しだけ面食らう。
彼女がこんなにも言葉を紡いだのを見るのは正直初めてだ。それはつまり、そうやって吐露しないといけないくらい、不安に思っているという事でもある。
思わず名前を呼べば、ソフィはわたしをじっと見つめた。縋るような祈るような、そんな目。

「……ソフィ」
「シオリも覚えてない事があるんだよね? シオリも怖い? シオリも……不安?」
「……わたしは……」
「何者なのかわからない人間を、信用出来ません!」

不安だよ、と口を開こうとして、ヒューバートさんの声がした。
見れば、アスベルと二人、隠れるようにして何かを話しているようだ。
わざわざ隠れて、ということと、聞こえてきた言葉からして、話題はたぶんわたし達の事だ。わかってはいたけれど、イライラとした様子の彼に、これくらいハッキリ拒絶されると思うこともあるというか。いや、逆に気が楽かもしれないな、なんて思う。

「まだ疑ってるのか、ヒューバート」
「まだというか、疑いがますます濃くなりました。あの三人は何か隠しています」

実際隠してことはあるしなあ、なんてちょっと複雑な気分でいると、隣に立っていたソフィが無言で二人に近付いた。
それに気付いて……更にわたしを見て気まずそうに顔をしかめたアスベルだが、ソフィは気にする様子もなくヒューバートさんを見る。

「よくわからない人、嫌いなの? ヒューバート」
「え、ええ、嫌いです」
「わたしは?」
「え?」

突然の質問に、彼は答えられない。
理解がよく出来なかったのだろう。わたしも正直ソフィの意図がわからない。
その動揺を悟ったのか、彼女は少し責めるように自分の胸に手を当てた。

「わたし……自分の事、よくわからない。わたしの事も嫌い……?」
「そ、それは……ソフィは隠しているんじゃなくて、忘れてしまっているんだから仕方ないんですよ。彼らとは違います」
「忘れているなら……よくわからなくても平気……なの?」
「え、ええ、まあ……」
「急にどうした、ソフィ」

上手く誤魔化した……といっても、わたしの事を指摘されたら余計に困ったであろう切り返しをしたヒューバートさんに代わってアスベルが問い掛ける。
だけどソフィは考えるように俯くだけで、詳しくは話そうとしなかった。

「……ううん。なんでも……ないよ……行こう、シオリ」
「……うん、わかった。二人とも後でね」
「ああ……」