163.わたしと、わたし

誰かが泣いている気がした。
だんだん消えていく感覚の中でその声だけはやけにはっきり響くから、わたしはそっと瞼を持ち上げる。
一人で泣いている小さな子供。
どうして泣いているのだろうと手を差し伸べる。
そうして約束をした。
雨の中で、消えていく温もりに、願った。



『わたしはわたしを愛したい。愛されるのは怖いから、わたしが愛したい』

……わかって、しまう。
この抽象的な言葉の意味を、わかってしまう。
……愛されるのって、怖い。ううん、愛してもらうのって怖い。愛してもらうために何をすればいいのかわからないから。愛してもらえるほどの自信も何もないから。
だからこそ、わたしはみんなが好き。好きだってみんなが伝えてくれると嬉しくて嬉しくて、わたしも好きって、気持ちを伝えたくなる。好きだから、好きだという気持ちを返したくて。好きだよって、みんなの、ことを。
博愛主義と言っているけれど、実際はそういう、打算的な気持ちが元にある。
だからいいのかな、と思ってしまう。そもそもだってわたし、異世界の人間だし。本当に好きだって言ってもらえるほどの人間なのか、わからなくて。

「でも、でも、それがなに? 自分自身のことを好きになれない代わりにみんなを好きになることは悪くないでしょ。そもそも、それが、私がここに来たことと、なんの関係が……」
『生きなきゃ愛せない』
「生きなきゃ、って、それはそう……」

当然でしょ、と言おうとして。ああ、とわかってしまった。
ああそうだ、そうだよ。生きなくちゃ、誰かを好きになることも、誰かに好きになってもらうこともない。
当たり前のこと。当たり前なのに、それを指摘されるという、意味。
何度も夢に見る雨の日のことを、今になって急に、思い出す。
冷たくなっていく、雨の日の、夢。
その、意味。

『生きるにはラムダがいる場所じゃなきゃ』
「ラムダ……」

……あの、雨の日。あの、感覚。あの、衝撃。
あれが本当に本当なら、大怪我を、わたしは確かにしたはずで。
いったい何がどうして、わたしの中にラムダの体組織だとかが入り込んだのかはわからないけれど。それが本当なら、きっとあの時。わたしが最後に、わたしの世界で見た記憶。
あの時、ラムダに引き寄せられて、彼の体組織をもらって、怪我が治って、この世界に来たのなら。そうだとしたら、今までのわたしの疑問、全部、答えられてしまうなって、ああ、そんな、どうして。
ダメだ。混乱する。頭がぐちゃぐちゃになる。

「ちょ、ちょっと待ってなんで、だってわたし、わたしは、」
『わかってるでしょう?』
「わかってるけど! わかっちゃったけど!」

だから大輝石の原素吸収やらウォールブリッジやら……リチャードがラムダの力を使った時に頭が痛んだ?
だからラムダを消そうとするソフィは、それを感じて「ドキドキする」と言った?
だから孤島でリチャードの言葉に逆らえなくてソフィを殺そうとした?
だからあの繭から現れた魔物の気配を感じて愛しく思った?
だからわたしは治癒力を持ってここに立っている?
だからわたしは、わたしは、わたしは……

「そんなのって、ない……」

思わず呟いた言葉は予想以上に弱々しくて。
わたしはそのまま、泣いてしまいそうだった。