201.手を、つなごう

“そうだ、もう誰にも脅かされない。追われ続けた我は……そうしてようやく安息を得るのだ”

どこかから、そんな声が聞こえたような気がした。
けれど、それはわたしの頭の中にはうまく入ってこない。
目の前で倒れたままピクリともしないアスベルの方が、そんな声よりずっとずっと大事だった。

「どうしよう……わ、わたしが、また、みんなの邪魔をしたから、だから……!」
「シオリ、」

わたしが代わりになりたい、と願ったところで何にもならない。
わかってるのに、わからない。
わかりたくない。

「アスベル……」
「リチャード陛下、まだ動かれては駄目です!」
「アスベルは……ラムダに寄生されてしまったのか?」

目を覚ましたらしい、リチャードがふらついた足取りで近付いてくる。
彼はアスベルの傍、囲むようにしゃがんでいるわたし達の中に混じり、切なそうに目を細めた。

“あの時俺達が見たのは、やはりお前の心だったのか”

「声……」

誰かが呟く。
頭に響くようにして聞こえる声は、間違いなくアスベルと……そしてラムダの声だ。
それが辺りに響いて、わたし達みんなに声として届く。
聞こえる。彼らが会話していることが、わかる。

“……他者の不幸な過去はさぞ楽しかった事だろう。……満足したか?”
「アスベルと……ラムダの声か?」
「ソフィの力を通じて、声が聞こえてくるのかな……?」
「ラムダ……アスベルの精神を乗っ取るつもりなのか……? ラムダは……僕の、自らの境遇を呪う気持ちと強く同調していた。それを僕は……分かり合えていると錯覚してしまった……だから僕達は……本当の意味で助け合う事は出来なかったんだと思う……」
「大丈夫……アスベルなら……大丈夫……大丈夫だよ……」

声が震えるのを抑える事は出来なかった。
それでも祈るようにそう言って、みんなでアスベルを見つめる。
大丈夫、大丈夫。
アスベルはちゃんとアスベルを守れる。
……ラムダだって、きっと。

“……そんなわけないだろう。満足なんて、できるわけがない。お前は過去は、確かに悲しみに彩られていた。けれどそれは、理由になんてならない筈だ。だから……”
“自分は乗り越えられた。だからお前も乗り越えられる筈……そう言いたいのか? 人間は強欲で残忍な生き物だな。それに……傲慢だ。理解するふりをして、他を見下しているお前も同じだ。お前の考えなど読めている”
“読めている、か……だとしたらその読みはまだまだ甘いな。俺がいつ一人で乗り越えられると言った? 誰だって一人では乗り越えられないことがある。けど、手を取り合い協力し合えばなんだってやれる……俺はそう思ってる”
“協力……その言葉で騙されるのは愚かな人間という存在だけだ”
“……そうだな。確かに人間はどうしようもない生き物だ。もちろん俺も、そんなどうしようもない人間の一人さ。だが……お前は知っているはずだ。人間は決してそれだけではないと”

……嬉しい時は、こうするんだ

“誤解から悲劇が生まれ、その悲劇がさらに大きな悲劇を生んだ”

……私を信じてくれ……ラムダ

“お前がこの世に生まれてやりたかったのは、そういう悲劇の連鎖なのか? 悲劇の始まりには、いつもお前の悲しみがあった。そんな、その悲しみから生まれた行動の結果も、お前を更に孤独にするだけだった。お前を育てたコーネルさんは、お前を悲しませるためにお前を育てたんじゃない筈だ”
“コーネル……我に生きよと言った。人ではない我……人の形を持たない我に”
“生きるとは何か、なんて、俺には簡単に答えられない。だがこれだけはわかる。お前を育てたコーネルさんは、お前にこの世界をもっと見せたかったんじゃないか? 生きて、生きてこの世界を知って欲しかったんだ。しかしお前は生きる事で悲しみだけを知ってしまった。だけど世界には素晴らしい事もたくさんある。お前もそれを少しは信じていたから、シオリをここに呼んだんじゃないのか?”
“……コーネルが、見せようとした世界……シオリを……呼んだ理由……”

聞こえる声達に、わたしはぶるりと体を震わせる。
ラムダの声色が僅かだが、変わったような気がしたのだ。
ラムダがわたしを呼んだ理由。
一緒にいようと言う約束。
生きたいと、一緒に願ってくれたこと。

“……なぁラムダ。この世界をもう一度見てみないか? 俺の中に入ったまま、一緒に生きて。俺がお前に乗っ取られてしまうかどうか……それも含めてお前は見ていればいい”
“……お前はそれでいいのか”
“お前を消すとなると、ソフィも一緒に消えてしまうからな。それに、シオリだって悲しむ”
「ラムダ」

思わず、わたしはアスベルの手を握った。
手を握ったところで、アスベルにもラムダにも届かないだろう。
それでも、わたしがまだラムダの傍にいるという事を理解して欲しかった。
そう、自己満足。自己満足でいいから。

「わたしが、一緒にいるよ」

声が、届いてくれればいい。

“この世界を消そうとした事を後悔させてやる。いいかラムダ。お前は何もわかってないんだ。さぁ。手を取れ”
“断ると言ったら?”
“……俺がお前の手をとるだけだ。どちらが先かなんて関係ない。手は、繋ぐことに意味があるんだから”