7.おまもり

ふと空を見上げると、夜空を一筋の光が走るのが見えた。
この異世界の空は、わたしが知る夜空より明るい。満天の星空だなんてものを、わたしはここに来て初めて見た。流れ星だってそう。文化が違うだけで似ているものも多いこの場所は、けれど見える自然の色がずっとずっと鮮やかで、綺麗で、たまにちょっと、泣きたくなる。
今日は里で何かと話をすることも多いエルフのおばあさんのお手伝いという名の労働をしてきたところだ。お金の他に物々交換をすることも多いここでは、お手伝いすることでお礼にと食料や生活品をもらうことも多い。「あなたは細かいところまで気が利くねえ」と言われて、世界が変わっても自分の積み上げてきた仕事スキルが役に立ったならよかった、と心から思った。……パソコンなんてここにはないから、大半が無駄になっているのは、もう仕方ないと諦めよう。

家が途切れたところまで迎えに来てくれたミトスくんと手を繋いで、家までの道を歩く。
そうして見上げた星空で、落ちていく流れ星を見送りながら、わたしはぼけっと口を開いた。

「あ、流れ星」
「え、どこ?」
「もう流れちゃったよ」
「なんだ、残念……」
「何かお願い事があるの?」
「そういうわけじゃないんだけど」

でも見たいじゃない、と頬を膨らませる様子は可愛らしい。その頬をつついてやれば、顔を赤くしてこちらを見上げた。
ごめんねとあやすように頭を撫でると、ミトスくんはくすぐったそうに目を細める。甘えるように握り直された手はあたたかくて、ずいぶん懐いてくれたなあ、と頬が緩んだ。ぎこちなさがなくなっただけでも喜んでいたのに、最近はマーテルさんに関係なく甘えてきてくれることが増えた気がする。
彼にとって二人目のお姉さんになれていたなら、わたしも嬉しいな。

「……ボク、流れ星にお願いするなら、ナギサとずっと一緒にいたいな」

ぽつりと呟いた言葉は、静かな夜でなければ聞こえなかっただろう。ミトスくんは切なそうに薄く微笑んで、繋いだ手をじっと見つめている。
その瞳が不安そうに揺れるのを見ながら、ちょっと今考えることではないと思いつつ、やっぱりミトスくんは綺麗だなと思った。
湖から助けてもらった時からずっと思っている。とても綺麗で、優しい子。自分の中にある優しさを忘れずに、しっかりと前を見ている、強い子。けれど、年相応に寂しがり屋の小さな男の子。
わたしの恩人。わたしの大切な人。勝手に家族みたいに思っている子。泣かないでほしい、マーテルさんと一緒に笑っていてほしい、わたしの支え。
だから、その願いを無視することは、わたしの中には存在しない。

「そんなの、お願いしなくたって約束するよ」
「ほんとに?」
「どうせ帰り方なんてわかんないしね。まあ、わたしの方が早く死んじゃうだろうけど……でも、その時までは。ずっと一緒にいてくれる?」
「も……もちろん!」

指切りげんまん、と声を合わせて小指を絡める。
あの夜の後から、わたしたちはこうしてなんでも約束をするようになった。
今日のご飯はあれにしよう、明日は一緒にこれをしよう。だいたいがそんな些細なことだけど、その約束をすることが、ひとつひとつ叶えることが、彼にとってはとても嬉しいことらしい。約束をするごとに見れる柔らかな笑顔が可愛らしくて、わたしもすっかりこれが気に入ってしまった。
指切りってそんなにしていいのかな、と日本の怖い話を思い出しては首をかしげるけれど。まあここは日本じゃないし、その怖い話もうろ覚えの曖昧な知識なので、何も知らないことにした。
だって、わたしはミトスくんと一緒に笑っていたい。楽しいことも悲しいことも、いろんなことを分かち合っていきたい。ただ、こうして笑ってくれることが、嬉しくて嬉しくてたまらないのだ。
さっき家族みたいに思っていると言ったけど、これはもう、親心みたいなものかもしれない。恋人ができる前に子供ができちゃったかあ、とこっそりと苦笑しつつ、マーテルさんが待ってくれている家へと帰る。

「お帰りなさい、二人とも」
「ただいま、マーテルさん」
「ただいま、姉さま。ねえ……」
「ええ。探し物は見つかったわ」

マーテルさんの言葉にぱっと表情を明るくしたミトスくんは、ここで待ってて、とわたしに言い聞かせてばたばたと部屋の奥へと駆け出す。
探し物が見つかったということで喜ぶのはわかるけれど、どうしてここで待たせるのだろうか。もしかして、わたしに見せたいとかそんな感じかな。ママ見て見て! となんでも見せにいく感覚には身に覚えがあるので、マーテルさんと視線を合わせて笑っておいた。
やがて戻ってきた彼はもじもじとした様子で、何かを後ろ手に持っている。予想は当たったらしい。いいよいいよ、ママなんでも見るよ……なんて。言葉にしたら子ども扱いしないでと怒られそうなことを心の中で叫びながらミトスくんのタイミングを待っていれば、はい! と彼はそれをこちらに差し出した。

「あ、あのね、その、ナギサにこれ、あげる!」

そう、目の前に現れたのは、帯のようなものだった。
綺麗な碧に染まったその布は、複数の糸を絡めた不思議な模様が描かれている。この模様の意味も、何を描いているのかもわからないが、わたしの目にはとても美しいものとして映った。
このまま壁にかけても綺麗かもしれない。ああでも、日本の着物みたいなものがこの世界にあるなら、それと一緒につけた方がずっと綺麗だろう。それぞれの端には、まるで持ち運ぶためのような紐と金属の装飾が付いているあたり、わたしの知ってる着物の帯とは違う使い方をするものかもしれないけれど、その美しさは変わりない。
わあ、と思わず息を飲むと、ミトスくんは少しだけ目を伏せた。

「これ、ずっと前に機織りの人が作った帯なんだ。なんか思ったようにできなくて失敗だって、捨てられてたやつ、なんだけど……」
「糸はあっても困るものじゃないからと思って譲ってもらったのだけど、解くこともできなくて、しまっていたの」
「え、こんなに綺麗なのに?」

どこに失敗の要素があるのだろう。なんでも模様が間違えてるらしいけれど、何もわからない。
というか染物というわけでもないのだし、失敗したなら解いてやり直せばいいのに。どうやら貴重な植物繊維を使っているとかで、一度織ってしまうともう解けない代物らしい。マーテルさんも譲ってもらってから気付いたのと笑っていて、だからこそ譲ってもらえたのだろうなと、背景にあるものを感じてわたしは口を閉じた。
失敗作、ではあるらしいけれど。この特殊な素材を使った帯は、服飾として使うのはもちろん、その絶対に解けない性質や使い込むほど硬く強く結びついていくことを応用して、武器として扱うこともできるのだそうだ。両端のそれは本当に手で持つためのものらしい。
……この辺りにでる魔物とか、狩りの対象である動物とか。そういう生き物に対抗するために弓や剣や魔法を使っていることは、もうわたしも受け入れているけれど。こんな帯みたいな武器もあるのだなと、素直に驚いてしまった。

「これ、ナギサにあげる」

ちょっと腕上げて、と言うので素直に持ち上げれば、ミトスくんがくるくるとわたしの腰に帯を巻いていく。そのまま腰の後ろでちょうちょ結びをするから、帯、というより、リボンを巻かれた感覚だけど、わたしも正しい帯の巻き方なんてわからないので何も言わない。
今着ているのはマーテルさんのお下がりのワンピースで、正直帯はちょっと合わないけど。リボンだと開き直れば、まあ、そんなに悪くない。……何より、二人から貰ったもので生きてるって感じがして、今の状況そのままだなと思って、なんとなく照れくさい気持ちの方が勝った。

「捨てられてたやつの再利用みたいで、あれだけど……その、これ、結構可愛いし。森に行く時は武器があった方が安心でしょ。えっと、それで……」
「ありがとう。大切にするね」
「! ……うん!」

嬉しいとお礼を言えば、ミトスくんはにっこりと、はちきれんばかりに笑う。最近、甘えてくることが増えたと同時に、こうやって笑ってくれることも増えた。もちろん、それに気付かないほど鈍くなんてないし、マーテルさんだって当然気付いている。そうして、その笑顔を見て、彼女も笑ってくれるから、そのたびに胸がぽかぽかとするのだ。
嬉しいな。可愛いな。
ああ、二人のことが、大好きだ。

ご飯にしましょう、の声をきっかけにその場から動けば、当然だけど腰に巻いたままの帯が揺れる。なんだかちょっとお嬢様気分だ。大きなリボンを腰に、なんて小さい頃に見た可愛いヒロインみたいで、恥ずかしさと同時に浮かれそうになる。
ミトスくんも、きっと自分が予想していたものと同じで嬉しくなったのだろう。しばらく腰で揺れる帯をじっと見ていたけれど、やがて嬉しそうにはにかんだ。

「……ねえナギサ……いつか背が同じくらいになったら……ううん、抜かしたら、ナギサに言いたいことがあるんだ」

そっと。ミトスくんがわたしの小指を控えめに引っ張ってきて、足を止める。
少しだけ恥ずかしそうに。でも、ちょっと不安そうに。恐る恐る見上げてくる視線はとても頼りない、小さな子供そのものだ。
珍しい。彼がこんなに不安そうにするなんて。その言いたいことって、そんなにとんでもない内容なのだろうか。わたしまで不安になりそうだったけれど、いつどんな時もまっすぐなミトスくんが願うのだから、悪いことではないだろう。聞くだけ、だし、もし悪いことだったとしてもその時にちゃんと話し合えばいいはず。

「その時は、聞いてくれる?」
「構わないよ」
「約束だよ!」

だからすぐに頷けば、ミトスくんは嬉しそうに表情を明るくさせて、ばっと小指を差し出してきた。
わたしも当たり前のように、慣れた様子でそれに小指を絡めて、約束した。

「ふふ、どんどん約束増えてくなあ」
「いいんだよ。約束はお守りだって、姉さまも言ってたもの」
「マーテルさんが言ったなら仕方ないなあ。じゃあ、これもお守りだね」

約束がお守りだなんて、なんか素敵だな。
それならいつか、この「お守り」がわたしたちを……いつかわたしがいなくなった後も、ミトスくんたちを守ってくれますように。
なんて。そんなことを願った。