8.わかりあえないこと

「はい、ナギサ」

ミトスくんとマーテルさんと暮らし始めて、そろそろ半年。あっという間に過ぎ去っていった日々に驚きつつ、この世界の常識にもすっかりと慣れて。このまま永住しても何も問題がないな、と自画自賛しているような、そんな日々。

家の前でミトスくんに請われるままに屈んだわたしの頭に、小さな花冠が乗せられる。
複数の花を編み上げたそれの中でひときわ目を引く、一輪だけ差しこまれた白い花は、確かファンダリアという名前の花だ。当たり前のように花冠として渡されたけれど、確かヘイムダールのすぐ近くにある緑豊かなユミルの森ですら、少しずつ数を減らしているという花である。
一輪だけとはいえ、よく見つけたな、と思いつつ。花冠を頭に乗せてもらう、なんて、日本では経験することのなかった体験に頬を染めると、ミトスくんはふふふ、と笑った。

「さっき姉さまと作ったんだ。ナギサにあげるね」
「ありがとう……えへへ、なんか、照れるなあ」
「なんでさ。ナギサの恥ずかしがり屋」

それじゃあいってらっしゃい、と手を振るミトスくんに見送られて、マーテルさんと買い出しのために里へ向かう。
ここは冷蔵庫とかないから、定期的に買い出ししないといけない。基本的に、人間であるというだけで特に無視もされなければ危害を加えられることのないわたしが買い出しの担当なのだけど、今日はマーテルさんが個人的に買いたいものがある、とのことでも付いてきた。エルフの血を引くものじゃないと見分けがつかないものだと言われれば、まあ、騙されて買ってしまう方が問題なので、仕方ない。

「それにしても、ミトスはすっかりナギサに懐いたのね」
「そう……なのかな。そうだったら、嬉しいな」
「そうよ。ふふ。少し妬けちゃうわ。前は私にべったりだったのに」

今だって十分べったりだと思うけど。あんなに毎日「姉さま姉さま」と後ろにくっ付いて、わたしにも「姉さまが姉さまが」って話すのに、どこをどう見ればべったりじゃないのだろうと思うのだけど。それでも、彼女から見れば親離れされたみたい、なのだそうだ。

たまに思うけれど、やっぱりマーテルさんって天然だよなあと思いながら、目的の商店へと入る。
店の中には他にも数人のエルフがいたが、すっかり常連になったわたしに対して、特にリアクションを起こされることはない。こんにちは、と挨拶をして、目的のものを買う。たまに雑談もする。……ただの人間なので。

「お婆さん、いつものお願いします」
「はいよ。いつものね……おや、可愛いのつけてるじゃないか」
「ありがとうございます」

わたしにはそれなりに笑顔を見せてくれる店員は、さすがに毎日人を見ているからか、細かいところに気付いて話しかけてくれる。花冠はもちろん、帯についても、指摘してくれたのはこの人だけだ。
たぶん、いい人、の方だと思う。何かと気をかけてくれることもあるし。だけど、そんなこの人ですら、隣にいるマーテルさんには一度も視線を向けない。まるで彼女などそこに存在していないように話を進められる。
あからさまな無視に、ちょっと嫌な気持ちになるけれど。何かをされるよりは、こちらの方がいい、と思ってしまうわたしは臆病者だ。
状況が悪くなるくらいならこのままでいい。おかしくないかと声を上げたのは、最初の日だけだ。それからはずっと、二人と静かに暮らせるようにと祈って、黙って、受け流している。
……こうして黙っているのも、きっと悪いことだ。でも、わたしもこの里では異物で、力も発言力もないから、下手に声を上げたって無視されるだけだとわかっている。なんだったら、わたしではなく二人に迷惑がかかる可能性の方が高い。だから、黙っているのが、一番いいと、わかっているのだけど。
結局、昔と変わらず周りに流されているだけな気もする。そんな臆病者のわたしを、二人はそうやって思ってくれるだけで嬉しいのだと言ってくれるけれど。やっぱり、嫌になる。

マーテルさんにものを売ってくれる気はないようだったから、わたしが間に挟まって、彼女が指示したものを購入する。この時ばかりは変な顔をされて、相変わらず物好きだねと他のお客さんが顔をしかめていたのが視界の端に映ったけれど、無視だ。わたしだって、無視する。
そうして無事に買い物も済ませて、商店から出ようとした時だった。
一歩踏み出したところで誰かに足を引っ掛けられ、わたしはその場であっさりと転んでしまう。そのはずみでカゴから買ったものが、頭から花冠が落ちてしまうのが見えた。

「ナギサ!」
「はん。相変わらず鈍い人間だな」

乱暴な足取りで目の前に現れたのは、あのエルフ……湖でわたしを見捨てようとしていた、あの男だ。
どうやら足を引っかけたのは彼のようだ。わざわざ目の前に出て話しかけてくるあたり、面倒くさい人である。
名前は知らない。聞く気もない。仲良くなった数人のエルフからも、あいつは人間みたいな情緒を持っている激しい奴だと、少し呆れられていたこの男と、仲良くなる気なんてこれっぽっちもない。
この半年、ここで全く顔を合わせなかったわけではないが、基本的に無視をするか騒ぎを起こさないよう避けていたので、ある意味では久しぶりの再会である。何も嬉しくない再会だ。

他のエルフたちも、彼は気性が荒くてたまらないと避けているようだったけれど、今回も別にわたしの味方をしてくれることもないだろう。事実、周りのエルフたちは、少し困ったようにしながらも助けてはくれない……片方がハーフエルフだから関わりたくないのだと、目が語っている。
さすがに話しかけられて無視するのもできないので、散らかった物をマーテルさんと拾い集めながら、視線を向けることなくそっけなく答えた。

「……あなたも。相変わらずみたいですね」
「ハーフエルフと一緒に、エルフの里を荒らしやがって……とっとといなくなれば、世界だって平和になるのに、よっ」

隣でマーテルさんが小さく声をもらす。
慌ててそちらに目をやれば、彼がマーテルさんを軽く蹴り飛ばしたのがわかった。しかも、そのまま男の足は、同様に地面に落ちていた花冠をぐしゃりと踏み潰す。
マーテルさんが蹴られたことに、ミトスくんからもらった花冠が踏みにじられたことに、わたしはかあっと顔が熱くなるのを感じた。

「……最低」

そう、勝手に言葉が零れ落ちて、足が勝手に立ち上がって。そうして、迷いなく男の頬を強く打つ。
無意識だ。そうしようと思ったわけじゃない。でもあんまりにも許せなくて、我慢できなくて、体が勝手に彼を叩いた。怒った。握った手が震えているのも、たぶん怒っているからだ。我慢できないくらい、わたしは怒っていた。

「お前っ……!」
「なんでいつもそうやって相手を見下すの? わたしたちとあなたの何が違うっていうの。あなたはそんなに偉いの?」
「ナギサ。いいのよ。私なら大丈夫だから」
「大丈夫なんかじゃない!」

マーテルさんの制止も振り切って、大声が飛び出した。
ああ、だめだ。あんまり怒るのは得意じゃないんだから、怒ったらダメだ。こんな風に声を荒げたらダメだ。だめだよ、落ち着いて。
そう、どこか冷静な部分のわたしは思うのに。それ以上に、頭の中が許せないという気持ちでいっぱいになる。いろんなことが許せなくて、嫌で、我慢できない。

だって、だって。ひどいよ。わたしたち、何もしていない。迷惑にならないようにっていつも気を付けていた。わからないことは聞いて、その都度直してきた。本当は嫌だったけれど、マーテルさんとミトスくんへの態度もぐっと堪えて、彼らにこれ以上敵意が向かないようにいつも気にしてた。エルフの人たちの平穏を崩さないように、わたしが何かしてしまわないように、いつもいつも顔色を窺ってた。
それなのに。それなのに、そこにいることが罪だとばかりに、彼は言う。ここに存在することを許せないとばかりに、わたしたちを拒絶して、否定する。そんなの、ひどいよ。どうして。エルフって、そんなに偉いものだっけ。わたしの世界にはいないような存在なのに、どうして。

「だっていつも泣いてるのに。それのどこが大丈夫なの。そんなの、強がっているだけで全然大丈夫なんかじゃないんだよ!」

ギッと再び男を見る。感情も行動も制御できない。
男も怒ったように眉を吊り上げ、顔を赤くしてわたしを睨んでいた。
その手が持ち上がるのが見える。魔法が飛んでくる。でも逃げてやるのか、悲鳴なんてあげてやるものか。そう思って身構えれば、彼の手に風が集まっていくのがわかった。

「なら、お前も一緒にいなくなれ!」
「ナギサ! 姉さま!」

けれど。男の手が何かをするより早く、どこからか火の魔術が飛んできて男の手を焼いた。
マーテルさんと二人、そちらを見ればミトスくんが駆け寄ってくるのが見える。
そのことに、その姿に。彼ら二人を巻き込んでしまった事実を、今さらのように実感してしまって。わたしはさあっと青ざめていくのがわかった。