「ねえナギサ。ボクのお願い、聞いてくれる?」
ミトスくんがそう問うてきたのは、しばらく滞在したこの町を出る、前日のことだ。
ここはなかなか居心地が良くて気に入っていたのだけれど、二人のことをハーフエルフなのではないかと疑う人が出てきたので、移動することになったのである。
まだ疑惑の段階ではあるが、何かが起きてからでは遅い。基本的に二人は自分のことをエルフだと名乗っているから、騙された、と思って攻撃的になる人が多いのだ。だから、少しでも雲行きが怪しくなったのなら、その場所を離れる。わざわざ追いかけてまで文句を言う人はいないし、これがわたしたちの旅の当たり前になりつつあった。
……本当は、ひとつ、帰れる場所を用意できるのが、一番なんだけど。
こればかりは仕方ない。シルヴァラントに期待しよう。ちょっと、わたしの中でエルフの好感度はもちろん、人間に対する好感度もだいぶ下がってきてしまっている気がするけれど、わたしも彼らと同じ人間で、人間同士でも嫌いな人はいたから、もう生き物ってどの世界でも変わらない、という言い訳で誤魔化しておこう。
そんな現状説明よりも、大事なのはわたしの腕を掴んでくるミトスくんである。
さっきも言ったけど、明日にはここを離れるのだ。荷物はそんなに多くないけれど、移動中の食べ物だとか、防寒具とか、その他もろもろ。用意するものはたくさんあるし、彼も忙しいはずだ。
それなのに、買い出しに行ったマーテルさんについていくわけでもなく、わたしにお願い、なんて言ってくるから、なんだか不思議だ。別に彼がお願いしてくることが初めてなわけではないけれど、今回も年の近い子供たちと仲良くなる前に町を出ることになって、昨日は少し落ち込んでいるように見えたのに。
どうかしたのかな、と首を傾げると、ミトスくんはさっと顔を赤らめた。
「別に構わないけど……どうしたの?」
「あのね、東の森に行きたいんだ。そこに綺麗な花がたくさん咲いてるって聞いて、その……」
もじもじと体を揺らす彼は、たぶん、いや、間違いなく照れている……というか恥ずかしがっているのだろう。
花が咲いている場所に行きたいと伝えるのが照れくさい年頃だろうか。いや、違うか。ユミルの森で薬草や山菜を探す際によく立ち寄ったし、マーテルさんが花を好きな影響で彼も花畑の類は嫌いじゃない。むしろ姉のためにと、この旅の最中も積極的に花畑に寄り道していたくらいだ。
であるならば、そうだな……と考えて。そうか! と手を叩いた。
「わかった。マーテルさんにプレゼントしたいんだ」
「え?」
彼が花畑に、なんて、マーテルさんに関係することに違いない。きっと彼女に花をプレゼントしてあげたいのだろう。ここを出た後に立ち寄るのもありだが、出ていく町の近くをうろうろとするのも落ち着かない。だからせめて、と贈り物をすることを選んだのだ。
わたしに声をかけたのは、魔物などを警戒していることと、一応自分が子供であることを理解しているから、といったところか。
自信満々にそう指摘すると、ミトスくんはきょとりとまばたきをする。あれ、何か違っていただろうか。不安になって首をかしげると、ミトスくんはさっと目を伏せてから、ぎこちなく頷いた。
「……う、うん。姉さまに」
「いいよ。一緒にマーテルさんを驚かせようね」
「……うん!」
マーテルさん宛てに書置きを残してから、ミトスくんと手を繋いで、その花畑があるという森に向かう。
少し緊張していたけれど、どうやらこの森の付近に魔物はあまりいないらしい。戦いにも多少慣れてきたとはいえ、ここにくるまで筋トレをしないどころか運動不足だった現代人のわたしは、まだまだ弱い。だからよかった、と安心しつつ、警戒は緩めずに森の中を進んでいく。
「……ミトスくん、なんかご機嫌だね」
「あ、うん。……ナギサの手ってあったかいから」
「そう?」
「落ち着くし。ボク、好きだよ」
「ありがとう」
森の中を進む間、ミトスくんがずっとわたしの隣で頬を柔らかく緩めているからと問いかけると、嬉しそうにはにかみながら手を握る力を少しだけ強くしてきた。
あたたかい、って、言われるの、なんだか新鮮。冷え性に悩んでいたあの頃と比べて、そんなに変わったような気はしないけれど……でも、こうして手を繋いで、それを嬉しそうに握り返されるのは、やっぱり嬉しい。
わたしも握り返す力を強くすれば、彼はまたご機嫌に頬を染めて。けれど、少しだけ残念そうに呟いた。
「……もう。ナギサも鈍いなあ」
「何、他意とかあるの?」
「そ、そういうわけじゃ……その、好きだよって、言ってる」
照れながらも好きだと言ってくれる様子に、思わず笑みがこぼれてしまう。恋愛とか関係なく、大切な人に好きだと言われるのは、世界が変わろうと嬉しいことに変わりはない。
ううん、それ以上に。この、わたしにとってどこまでも異世界であるこの場所で、わたしを好きだって言ってもらえるのは、この世界にいることを許された気がして安心する。ミトスくんとマーテルさんがこうやってわたしに好意を示してくれ度に、励まされているような気がするのだ。
彼らがいてくれるなら、ちゃんとこの世界で生きていこうって思う。ちょっと、彼らに寄りかかりすぎだな、と思わないでもないけれど。許してほしい。だって本当に彼らのことを尊敬していて、大好きなのだ。
「私もミトスくんが大好きだよ」
ミトスくんも、ミトスくんがいるこの世界も。
そう伝えれば、彼は顔を真っ赤にして。でも「そういう好きじゃないのに……」と小さく呟いた。
ではその「好き」の意味は、と問う前に、見えてきたよと慌てて前方を指差す。あからさまな話題転換だけれど、まあいいだろう。
確かに、わたしの「好き」はちょっと重い気もするし、「お姉さんみたいに思って好き」という意味なら違う意味だ。いや、わたしとしては、家族的なラブも全部ひっくるめているんだけど、まあ、彼も話題を変えたいみたいだし、別に追求する必要はないだろう。
それにしても、それくらいで恥ずかしがるなんてミトスくんもお年頃だなあ、なんて思いながら、わたしも顔を上げて花畑へと視線を移す。
「わ、綺麗……」
森の中。少し開けたその場所で、たくさんの陽光を浴びながら色とりどりの花が風に揺られて咲き誇る光景に、わたしは思わずそう呟いた。
この世界は、元居た世界に比べてありのままの自然が残っている。最初に訪れたのがエルフの住む森だったからかな、と勝手なイメージで思っていたけれど。旅をして、夜空の輝きが変わらないことも、花が咲き乱れていることも知った。
甘い香りが鼻をくすぐり、柔らかそうな花びらはふわりと広がって可愛らしくその姿を見せている。これまでも花畑には立ち寄ってきたけれど、その中でもかなり綺麗な景色だ。なるほど、これは確かに噂になってもおかしくない。
しゃがみこんでそっと触れれば、自然と笑顔が込み上げてくる。
「気に入った?」
「うん。こんなに綺麗なんだもん。マーテルさんも喜ぶよね」
「ナギサも嬉しい?」
「もちろん。嬉しいよ」
「えへへ……そっか!」
じっとわたしの様子をうかがっているミトスくんにうなずけば、彼はそれはそれは嬉しそうに、でも少し照れくさそうに、にこーっと笑ってみせた。
姉さまにも一輪、と隣にしゃがんだ彼に、あ、と思って、わたしも花を一輪摘み取る。その花を、そのままミトスくんの髪に飾れば、彼はきょと、とまばたきをした。
「ナギサ?」
「綺麗な花畑に一緒に来た記念」
それから、ずいぶん前の花冠のお礼。
そう言って笑えば、彼はふんにゃりと表情を崩す。もう今さらだよ、とか、別にいいのに、とか。そんなことを言うけれど、その表情が嬉しそうで、わたしも嬉しくなってきた。
……たぶん、たぶんだけど。ちょっと、今さらの気付きなのだけど。やたらとこちらを見てくるし、もしかしたら、ミトスくんはわたしと一緒にこの花畑に来たかったのかなって思ったから。
だから、連れてきてくれて嬉しかったよって、言いたくて。でも、彼が直接言わないのに伝えるのは、違っていたら恥ずかしいし本人の知られたくないと思っているのかもしれないから。だから、代わりに、花を渡した。その花を喜んでくれることが、嬉しい。
「じゃあ、ボクからも」
「ありがとう。お揃いだね」
「うん! 今度は姉さまも連れて三人で来ようね。約束だよ」
「もっちろん! 約束」
いつもみたいに指切りをして、また約束が一つ増える。
旅は、まだまだ終わらないけれど。
まだまだ終わらなくていいかな、なんて、ちょっとだけ思った。