「やめて! ナギサと姉さまに酷いことしないで!」
駆け寄ってきたミトスくんがばっと両腕を広げてわたしたちの間に立つ。
その体が僅かに震えてることなんて、よく見なくたってわかる。当たり前だ。誰だって怒っている相手の前に飛び出すのは怖い。
男は火の消えた腕を押さえて、ぐつぐつと沸騰するような目でこちらを睨んでいる。ああ、だめだ。二人の間に割り込まないと。そう思うのにわたしの方が震えてしまって、低く唸る声を呆然と聞くしかできない。
「貴様らぁ……!」
「これは何の騒ぎだ!」
けれど、男が何かをするより先に、里の奥からしゃがれた声が聞こえてきて動きを止める。
こちらへやってくるのは、特徴的な杖を持ったエルフの族長だ。一度挨拶をしてから、あまり話したことはなかったけれど、一番粗相をしてはいけない相手だと思ったのをよく覚えている。
族長はわたしと男と、そしてミトスくんとを見て、おおよそは察したのだろう。確か、最初にわたしが彼と衝突した時の話を、彼は聞いていたはずだ。そうして深くため息をつくと、頭を押さえて首を振る。
だが、彼が次に見たのはわたしでも男でもなく、ミトスくんだった。
「またお前たちか……ハーフエルフとはいえこの里に暮らすことを認めてやったのに、何故こうも問題ばかり起こす」
「ち、ちょっと待ってください。違います。二人は何も悪くありません。わたしが……」
「人間の娘よ。共に暮らしている身として庇いたくなるのもわかるが、お主は所詮、ここでは部外者。そしてこれは我々の問題だ。口出しは不要だ」
ぴしゃりと拒まれて、わたしは愕然とした。
わたしが部外者と呼ばれるのは事実だから別に構わない。里の問題に、わたしが口出しをしてはいけないのも、まだわかる。
だが、どうして当然だとばかりに二人が悪者扱いされているのだろう。どうして当然のように、彼ら二人を責めているのだろう。
違うのに。今回はわたしとエルフの男の間にあった諍いが原因で、マーテルさんはわたしを止めようとしたし、ミトスくんだって、わたしを庇っただけだ。わたしが庇っているんじゃない。逆だ。なのにどうして、何も聞かずに決めつけるのだ。
……いつも、こうだった。
ハーフエルフだからって、二人のことをみんな無視するのに。たまに気が向いたみたいに意地悪をするのに。何かあれば、まったく関係ないと誰が見てもわかるような罪すら押し付けられて、悪者扱いされる。
ハーフエルフだから、これが当然だって、言うけど、そんなわけない。だいたいハーフってことは、彼らを生んだのはエルフでもあるのに、どうしてそんなことができるのだ。関係ない。生まれ方なんて関係ない。流れる血なんて関係ない。そんなの理由になんか、絶対になるわけないのに。
「出て行くといい。汚らわしいハーフエルフめ。里を荒らして、まだここに居座れるなどと思うな」
「ちょっと、なんですかそれ。待ってください。二人は……」
「……わかりました。荷物を纏めてきます」
「マーテルさん!?」
吐き捨てるような族長の言葉に、そんな裁定はおかしいと食って掛かろうとするけれど、それをマーテルさんがわたしの手を引くことで止める。そうしてあっさりと了承すると、マーテルさんはエルフたちの視線からミトスくんを守るように家の方に戻って行った。
ど、どうしよう。どうして。追いかけなくちゃ。でもそれをするより前に、誤解を解かなくちゃ。勝ち誇ったような顔をしている男にまた沸々と怒りがこみ上げてくるのを堪えて、族長へ向き直る。
先ほどの一連の出来事を順番に話すけれど、族長は渋い顔をしたままだ。わたしの話に耳を傾ける気はあるらしいが、さりとて二人の味方をするつもりもなければ、撤回をするつもりもないだろう。きっと、わたしと男の二人だけの喧嘩なら、わたしの味方になってくれる可能性もあった。あったはずなのに、どうしてか今は、絶対にうなずいてくれない。
やがてマーテルさんとミトスくんが戻ってくるのに、そう時間はかからなかった。
恐らく貴重品だけを纏めて持ってきたのだろう。抱えている袋たちには見覚えがある。部屋の隅にいつも置いてあったものだ。あまり荷物の多くない部屋で、たまに何かを入れ替えていたもの。
ただの貴重品入れかな、なんてのんきに思っていたけれど、あれはただ、いつでもいなくなれるように纏めてあったのだと、今さら気付いて。わたしはどうしようもない感情がお腹の底から込み上げてくるのを感じた。
「今まで、ありがとうございました」
マーテルさんが深く族長に頭を下げる。ミトスくんもそれに倣うと、どこかから出て行け! という声がした。
誰が言い出したのかはわからない。ただ、右に倣うように、その声は広がっていく。気付けば里中が二人を追い出そうと声をあげている状況になって、二人はただ、黙って背中を向けた。
「人間。お前も行くといい。人間一人が住むには、里は退屈だろう」
「……今まで、お世話になりました!」
族長に乱暴な挨拶を残して、二人を追いかける。
もう彼に構っているどころじゃなかった。とにかく、彼らに追いつかないといけないと、ただそれだけだった。
そうして走って、追いついた二人は、まだ湖の橋を渡りだしたところだった。
「マーテルさん! ミトスくん!」
呼び止めれば、二人はちゃんと足を止めてくれる。
わたしの話を聞いてくれるのだと思って思わず安心してしまってから、わたしも足を止めた。
……ああ、どうしよう。追いかけたけれど、何を言えばいいのかわからない。だって、二人がこの里を出て行くことになったのは、わたしのせいだ。わたしが怒ったから。わたしが我慢できなかったから。だから二人がとばっちりを受けて、里を出ていくことになった。
それなのに、わたしは何を言えばいいのだろう。族長は二人と一緒に出て行けと言ったけれど、その選択をする資格がわたしにあるのだろうか。
ごめんなさい。ごめんなさい。
とにかく謝りたくて、謝るしかできなくて、わたしは深く頭を下げると、二人の背中に向かって謝罪を繰り返す。
「あ、あの……ごめんなさい。わたしが……わたしがあんなこと、したから……!」
やっぱり、怒ったりなんて、するべきじゃなかった。
慣れない怒り方なんて、するべきじゃなかった。
最初に、この里に残ることを決めることになった時だって、後悔したのに。黙ってやり過ごすのが一番だったって、何度も思ったのに。その結果が彼らと一緒に暮らす楽しい時間だったから、きちんと反省しなかった。前向きな顔をして何も考えていなかった。だから、また同じ間違いをしてしまった。
この里で生まれたのに。この里で育ったのに。そこを追い出されるなんて嫌な体験をさせてしまった。いつもわたしに優しくしてくれる二人に、迷惑をかけた。
わたしのせいだ。わたしのせいで。
「これから、どこにいこうかしら」
泣く資格なんてないのに。零れ落ちそうな涙を堪えていれば、マーテルさんの優しい声がした。
恐る恐る顔を上げれば、彼女が手を繋いでいたミトスくんを見下ろしているのが見える。その表情は見えない。けれど、聞こえてくる声はいつもと何も変わらない、穏やかで優しい声をしていて。いつものように、眠る前に優しく声をかけるように、ミトスくんに問いかける。
「ミトス。あなたはどこに行きたい?」
「ボクはナギサと姉さまがいればどこでもいいよ」
「まあ、ミトスったら、私と同じ気持ちなのね」
くすくすと耳に心地良い声で笑って、二人はわたしを振り返る。
二人とも、笑っていた。
清々しいくらいに、笑っていた。
「私も。ミトスとナギサが一緒にいてくれるなら、どこでだって幸せに生きていけるわ」
そう、彼女は本当に綺麗に笑うから。
ミトスくんも負けないくらい笑うから。
ぼたぼたと涙が頬を伝うのがわかる。
年甲斐もなく涙が溢れて、鼻水まで出てしまいそうで、ぐしゃぐしゃな泣き方をしてしまうのが、わかる。
「三人ならきっと、どこにだって、どこまでだって行けるよ」
止まらない。涙が、全然止まってくれない。
わたしのせいなのに。それなのに二人は責めるどころか笑いかけてきて、一緒に行こうと手を差し伸べてくれる。二人の言葉が嬉しくて申し訳なくて、同時に二人を拒絶する世界が悔しくて許せなくて、でも二人がいる世界が愛しくて美しくて、もうわけがわからない。
気持ちもぐしゃぐしゃ。顔もぐしゃぐしゃ。怒るのもへたなら泣くのもへたくそ。唸り声みたいな泣き声を絞り出すしかできず、子供みたいに立ち尽くすわたしの手を、こちらに近付いてきた二人がそれぞれ握ってくれるのがわかった。
その手を無理に引くことはしない。二人とも、わたしが選ぶのを待ってくれている。こんな時くらい、強く言ってくれてもいいのに。わたしのせいなんだからって、なんでも我がまま言ってくれていいのに。
いつだって優しい二人を、わたしが選ばないわけ、ないんだから。
「うん……うん。わたしも……マーテルさんとミトスくんが一緒にいてくれるなら、どこでもいい」
「あらあら、困ったわね。みんな同じではどこに向かえばいいかわからないわ」
「まずはそこから考えないとね……ほら、ナギサ。大丈夫だよ」
ぎゅっと、ミトスくんが握ってくれる右手が強くなる。小さな手がわたしの目元を拭う。
まだ涙でぼやける視界の中で目を凝らせば、ミトスくんはまっすぐにわたしを見て、綺麗に笑っていた。
「約束、したでしょ? ずっと一緒だって」
うん。したね。いっぱいした。一緒にいようって、約束した。
わかってる。だからね、君たちが行くならわたしも行くなんて、当然なんだよ。でもね、涙が止まらないの。二人は泣かないから、その代わりにって、わたしの涙が止まらないの。
強く握り返した二人の手は、とてもとてもあたたかい。
彼らに冷たいはずの世界は、けれど、二人にとても柔らかな陽光で包んで、優しい風が彼らの髪を揺らしていて、その素敵な笑顔を大切に抱きしめている。
この、優しい景色を忘れない。
この、美しい景色を忘れない。
涙で滲んでも、ぼやけても。わたしに手を差し伸べてくれる二人の大好きな笑顔を、わたしは絶対に忘れない。
「ありがとう……」
これからの旅のことも。二人と歩く旅の話を。
わたしは、忘れられない。