13.勇者の誓い

「大樹カーラーン?」
「そう。世界のあらゆるものの源である、マナを生み出す樹よ」

その日、旅の途中で立ち寄ったのは命の大樹のふもとだ。
この辺りは聖地と呼ばれているらしいが、観光地としても開かれているらしくて、わたしたちの他にもちらほらと大樹を見上げる人の姿がある。彼らは皆大樹を見上げているけれど、祈るように指を組んでみたり、心配そうに眉を顰めたり、差しこむ陽光が綺麗だと表情を明るくしたりと、その反応は様々だ。
せっかくだから近くで見たいわと言ったマーテルさんについて訪れた、空一杯に枝葉を広げる大樹カーラーン。わたしには、マナなんてわからないので、ただの大きな樹にしか見えないけれど。
でも、なんとなく。てっぺんどころか空も遠く感じるほどに大きな樹だというのに、わたしの目にはどこか色褪せて見えた。

「なんか、あまり元気じゃない感じがするね」
「戦争が続いてるからだよ。魔科学はマナを大量に消費するから、そのせいで大樹も枯れかかってるのかも」
「戦争が終わって、みんなで暮らすことが出来たらいいのに……」

悲しそうにマーテルさんが囁く。
マナ、とは、この世界に存在するすべての命にとって水よりも大切なもの
以前にヘイムダールでマーテルさんから教わった
わたしの世界に存在していたのかは確認されていないので、完全に未知の、ファンタジーな概念だ。
マナが無ければ作物は育たないし、魔術だって使えない
それを大量に消費するという、魔科学という魔法と科学が融合した技術が、その代わりに豊かな生活を提供しているというくだりからも、わたしの世界での電気とかエネルギーみたいなものだというのは想像ができる。
発展すればするほどマナという資源が無くなって、やがて環境を壊していく。環境問題というのは
そしてそういう技術は、いつだって戦争に使われるものだ。それも、異世界だからって何も変わらない。
テセアラとシルヴァラントという大きな二つの国の戦争は、今も終わる気配がない。

「ナギサの世界にも戦争はあったの?」
「うん。あるよ。といっても、わたしは体験したことないんだけど……わたしの国も、昔にすごく大きな戦争をして、たくさんの人が死んじゃったって聞いた」
「世界が違っても、やることは同じなのね……」
「あ、でも、でもね。戦争が終わった後の時代では、みんなお互いに歩み寄る努力も始めたんだよ。まだまだ偏見とか差別とかは、あるんだけど……それでも、生まれや性別といったその人ではどうにもならないことで差別するのはやめましょうって、いろんな国が変わろうとしてるの」

世界が変わっても変わらない人間に失望されるのが怖くて、明るい声を作ってそう切り出せば、二人は驚いたようにこちらを見た。

わたしの時代は、人種差別という意味では、ちょうど過渡期と呼ばれる時代になるのだと思う。
まだまだ偏見もあるし、差別はまったくなくなりました、とまでは言わないけれど、少しでもなくそうとみんなが努力して変わろうとしている時代だった。
昔は遠巻きにされた外国人も今では普通にそこら辺で見かけるし、肌の色の違いで行われていた差別も世界的に無くしていこうと動いている。
わたしは、日本から出たことがなかったから、日本のことしか知らないけれど。まだまだきっと、世界的にはいろんな問題や差別があるんだろうけれど。差別をしてはいけない、と学んで育つのが当たり前になってきた時代、だった。

ハーフだろうがなんだろうが。どんな生まれであろうがどんな性別であろうが。そこに生きている限り、基本的な人権は尊重され、そこで生きていることを許される。許しあえる世界を目指して、みんなで努力する。
そりゃあ、嫌いなものは嫌いだし、争いがなくなるわけじゃないけど……でも、どこでどんな風に生きてもいいと認めあうことができるという意味で、たぶん、この世界よりは優しくなっているんじゃないかな、と思う。

「それまでに戦争とか論争とかたくさんあったし、今だって綺麗に無くなったわけじゃないけど……でも、みんなが堂々と胸を張って生きられるようになってきたの。だから、ハーフエルフだって、絶対にみんなに受け入れてもらえるようになるよ。そういう世界を、わたしは知ってるんだから」

こんなの、理想論だ。本当に叶うかなんてわからない。だってわたし、この世界の人間ではないし、とても偉くて発言力があって権力を持っているとか、そういうわけでもないから。世界を変えるようなことはできない。
でも、声をあげた人たちの成果は必ず実るのだと、そう伝えたかった。
種族も何も関係ない世界があるのだと知ってほしかった。
いつか、いつか、遠い未来にでも。彼らが自分を偽らずに生きていける時代が訪れるかもしれないと、希望を持ってほしかった。

「そう……そうなの。良かった。そんな世界があるのね」

マーテルさんは涙ぐみながらそう言うと、一度大きく息を吸う。風が彼女の長い髪を揺らして、大樹の葉を鳴らす音を聞きながら、彼女は愛おしそうに、優しい瞳で大樹を見上げた。

「この世界には確かに悲しいことはたくさんあるけど、私はこの世界が好きだわ。大切な人が笑っている、美しいこの世界が。だから、滅びてほしくないわね。いつかこの世界にも、そんな未来が訪れるかもしれないのだもの」

「じゃあ、ボクがそのいつかの未来を作るよ」

柔らかな風に吹かれながら、そう力強く声を出したのはミトスくんだ。
いつかの未来を作る。そう宣言した彼もまた、強い瞳で大樹を見上げている。
いつかと同じ。強く、まっすぐな、綺麗な目で、その理想を見すえていた。

「戦争を終わらせて、マナが枯れてしまうのを防ぐ。そうして、ハーフエルフも誰も迫害されたりしない、みんなで一緒に生きられる世界を、ボクが作るよ」
「ミトスくん……それは、」
「ナギサの言う世界を実現するためには、声をあげる人がいないといけないでしょう? でも、声をあげられるひとなんて、そんな未来を信じられる人なんて、今はきっといない。だからボクがそれをやる。ボクが声をあげるよ」

にっこりと笑ってみせるミトスくんに、何て言えばいいのかわからない。
すごいね、えらいね、そういう志が大事だね……は、違う。そんな表面だけを褒めるような言葉はふさわしくない。だって彼は、心からそう言っているのだ。決意表明を、しているのだ。その覚悟に、上っ面だけの言葉を渡すのは、不誠実である。
声をあげることは大切だ。世界を変えたいなら、行動しなければならない。その先に、こんな未来があるかもしれない……そう言ったのもわたしだ。だけど、まだ十代前半の子供である彼に、その先導をさせるのは、酷だ。

だって、声をあげるということは、みんなが彼を見るのだ。
みんなが、ハーフエルフである彼を見る。
きっと多くの人は、ハーフエルフが何を言っているのだと顔をしかめるだろう。今も迫害を受けるハーフエルフたちは彼に希望を見出し、すがりつくように何もかもを押し付けるだろう。
戦争に関してだって、ただの一般人に何がわかると糾弾するものもいれば、どうか助けてくれと彼によりかかるものもいる。いいことも、悪いことも、何もかもが彼に降りかかる。

それは、重たくて苦しい。つぶれてしまいそうなくらい、苦しい道だ。
マーテルさんもそれがわかっているのだろう。静かに弟を見つめて、静かな声で問いかける。

「……それは、酷く苦しい道だわ」
「わかってる。でも、ボクは姉さまとナギサと生きたいから」
「ハーフエルフだからって、差別され虐げられることが、何度だって起こるわ」
「誰かが声をあげなきゃ何も変わらないもの。ならボクが声をあげるよ」
「絶望してしまうかもしれないわ」
「しないよ。諦めたりもしない。だってナギサの世界もそうだもの。絶対に変われる。変えていける。だからお願い、姉さま。ナギサ」

彼は見つめる。
わたしたちを。
世界を。

「ボクに力を貸してほしい。戦争を終わらせて、みんなが同じように生きられる未来を創るために、力を貸してほしい」

その強く、真っ直ぐな瞳に、体の奥がぞくりと震えた。
恐怖とか、そういう不快なものではない。心臓が高鳴って、何かが溢れ出してしまいそうな感覚。
たぶん、共感、したのだ。彼が夢見た景色を、わたしも見たいと、そう思ったのだ。

何も言えずにいるわたしの隣で、マーテルさんは静かにミトスくんを見つめる。見つめる。決して瞳をそらさない弟を見極めるように、静かに見つめる。
ミトスくんは目をそらさない。もう決めたのだと、だから協力してくれと。大樹の前で誓う彼の本気を見て、やがて、彼女は、静かに息を吐いた。

「……諦めてしまったら。いつか、絶望したなら。そうしたら、当初の予定通り、三人で静かに暮らす道を選びましょう。それを約束するなら、力を貸すわ。……私も、誰も差別されない世界が見たいから」

そう、静かにほほ笑んだ彼女に、わたしはぎゅっと自分の手を握る。汗ばんでいて、熱くて、冷たい。わずかに震えるそれは、どんな感情で震えているのか自分でもわからない。
でも、彼女は選んだ。
彼も選んだ。
ならわたしも選ばないといけない。これこそ、自分の気持ちで。流されるのではなく、自分でこうしたいと決めて選ぶべきことだ。
……それなら、わたしだって、迷うことはない。

「わたしが言い出したんだもん。それに、わたしだってそんな世界でみんなと生きたい。どこまで力になれるかわからないけど……わたしでいいなら、君を支えたい」

一緒に、そんな世界を目指そう。
みんなが自分らしく生きられる世界を。
三人の視線が合って、誰からともなく笑みを浮かべてうなずきあう。わたしたちの言葉を大事そうに受け止めたミトスくんはありがとう、とつぶやいて、まだ幼い少年だということを忘れさせるような笑顔を浮かべて小指を差し出した。
誰に絡ませるでもない小指は、たぶん、自分との約束だ。

「約束するよ。戦争を終わらせて、誰にも迫害されない、みんなが生きられる世界を作るって」

そう心から願うミトスくんの姿を、大樹が静かに見守っていた。