それが大きく腕を振り下ろしただけで、地面が大きく揺れる。衝撃波のようなそれが、少し離れたわたしのところまで飛んでくるあたり、その巨体は見掛け倒しではないらしい。
これを、このまま放っておくわけにはいかない。何が何でも倒さなければいけない。逃げたところで、この馬鹿みたいな力を見る限り、被害は膨らむ一方だ。
「くそっ!」
「ロイド、ボクも手伝うよ!」
一人で怪物と対峙するロイドに、ジーニアスがそう叫びながらけん玉を取り出し、魔術の詠唱を始める。
どうしようと立ちすくんでいたわたしだが、怪物に切りかかりながらジーニアスを庇おうと動くロイドが突き飛ばされたのを見て慌てて腰から帯を広げながら、彼らの前へと飛び出した。
「うわあっ!」
「ロイド、下がって! 旋幻舞!」
帯を持ったまま回転するように怪物に叩きつける。ロイドと違ってエクスフィアをつけていないから威力は低いけれど、それでも手数が多い分、足止めにはなる。
詠唱中のジーニアスの護衛は任せてと声を上げれば、ロイドはうなずいて強く地面を蹴った。
「ファイヤーボール!」
「うおおっ! 魔神剣!」
怪物は大きく力もあるが、そんなに動きが素早いわけではない。ロイドが攻撃を与えて、わたしが牽制して。そうしてできた隙にジーニアスの魔法が当たれば、自由になど動けない。
攻撃を繰り返せば、やがて地響きをたてながら倒れたそれに、はあと息を吐いた。
なんとかなった。
なんとか勝てた。
だが、ディザイアンは怪物などもう見ていない。彼らの視線はロイドの左手に向けられていた。
「フォシテスさま! やはりあの小僧、エクスフィアを装備しています!」
「やはり我々が探していた、エンジェルス計画のものか! それを寄越せ!」
示されたそれに、ロイドはぱっと左手を押さえる。気付けば彼の左手を覆っていたはずの包帯は、この戦いの間に解けてどこかへ行ってしまったらしい。
それを寄こせと叫ぶフォシテスに、ロイドは強く叫び返した。
「嫌だ! これはお前らに殺された母さんの形見だ!」
「何を言うか! お前の母は……」
フォシテスが何かを言おうとした瞬間、大きな影が彼を覆った。
倒したはずのあの怪物が再び起き上がったのだ。けれどそれはわたしたちの方へと再び手を伸ばすことはせず、代わりにフォシテスを拘束するようにその長い腕で覆いかぶさる。
“逃げな……さい……ジーニアス、ロイド……ナギサ……”
どうして、と身構える前に。響くように、絞り出したように聞こえてきた声に、わたしたちは呆然とした。
苦しそうに呻く声。掠れてひび割れて、くぐもっているその声は、だが酷く聞き覚えがあった。
長く聞いたものではないけど、つい最近聞いたばかりの声。以前聞いた時は、もっと、優しかった、声。
隣で、ジーニアスが体を震わせる。
「な、何、今の声……ま……まさか、マーブルさん……?」
「……そんなバカな!」
「でも、この声は……っ」
苦しそうに呻いているが、この優しくしゃがれた声は間違いなく、人間牧場で出会ったマーブルさんのものだった。
そうして気付く。あの怪物が纏っている灰色のぼろ切れは、牧場で着せられていた服にそっくりではないだろうか。
あの頭部に埋め込まれた石は、マーブルさんの右手に埋め込まれたエクスフィアとそっくりではなかっただろうか。
あれは、あれは……
冷静になるほどに気付いてしまった共通点に、ぞわりと肌が粟立つ。
なんで、こんな姿に、なってしまったのだろう。
わたしたちはマーブルさんを化け物と、怪物と呼んで、何をしただろう。
フォシテスを羽交い締めにしたまま彼女は一際苦しそうに呻いて、だけど、たぶん……今、わたしたちを安心させるために、笑顔を浮かべているのだと思わせるような、優しい声で、彼女はジーニアスに語りかけた。
“ウ……ウウ……ウグゥ……離れて……早く……っ! ジーニアス……新しい孫ができたみたいで、嬉しかったわ。さようなら……”
優しい、声。本当に孫を大切に思うような、優しい、おばあちゃんの声。
そんな声がして。
マーブルさんの体が光って。
衝撃。
爆風と地響きとが伝わってくる。呆然と立ちつくわたしたちの目の前で、彼女のあの大きく歪んだ体は爆発して跡形もなく消滅した。
「……ロイドよ。その左腕のエクスフィアがある限り、お前は我々に狙われる……覚えておけ!」
他のディザイアンに支えられながら、爆発をもろに受けたフォシテスはロイドを睨み付ける。
深手を負った彼は、今日はこのまま帰ってくれるらしいけれど。その背中を追うなんて誰も思わないし、もう、そんなことどうでもよかった。
ただ、目の前の。優しい人の命を自分たちで奪ってしまった事実の方が重たくて、重たくて、飲み込みきれなくて、どうしようもなくて、ただただ茫然と立ち尽くす。
ころころと、小さく光る何かがジーニアスの足元に転がってきた。まだ呆然としたまま、彼はそれをゆっくりと拾い上げる。小さな、小さな、赤い石。……エクスフィア。
マーブルさんの、エクスフィアだった。
ぼたり、ぼたりと、ジーニアスの目から涙が溢れる。
わたしたちの誰よりもマーブルさんと親交のあった彼は、うずくまって泣き声をあげた。
「マ、マーブルさん……マーブルさん! うわああああああっ!!」
「なんで……? なんでこんな、なんで……」
怖かった。目を背けたかった。耳を塞ぎたかった。でも、そんなこと、できるわけがなかった。してはいけなかった。
……今までも、獣や魔物を殺すことは、あった。生きるためにその命をもらうことが、たくさんあった。
でも、これは。
これは、違う。
生きていくために必要だったことなんかじゃなくて……わたしたちが、わたしたちの、行動の結果で。わたしたちが、きっとこれからずっと、背負うもので。とても、おそろしい、ことで。
わたしたちは、自分たちの選んだ行動によって、優しいマーブルさんを。
「ごめんなさい……っ」
わたしたちが、殺してしまったのだ。