夜、ベランダから見上げた空は、以前にミトスくんと見上げたテセアラの夜空とそう変わらないものに見えた。
もう日が暮れるからと帰って行ったジーニアスくんとコレットちゃんを見送った後、部屋をもう一つ作るか、なんて言って、家の設計図を引き始めたダイクさんに苦笑して。昔と今で料理の仕方って違うのか? と問いかけてきたロイドくんと一緒に夕食を作ったあと。
こんなにあっさりと受け入れてくれる人が二人以外にもいたことを喜びながら、わたしは一人で空を見ていた。
その手に握っているのは、あの、二人に渡したかった、自分で渡す予定だった方のペンダント……の、土台だけ、だった。
ペンダントの、もう片方。女の子に預けなかった、わたしが自分で渡す予定だった法のペンダントは、確かにロイドたちが拾ってくれていた。けれど、それはあの戦いの中で壊れてしまったのか、肝心の石の部分はどこかへ行ってしまっていたらしい。
ついていたあの美しい碧の石はどうなったのだろう。森の中に今も落ちているのか、それとも、わたしと違ってあの時代のあの町に転がっていったのか。どうせなら、後者だったらいいなと思う。そうして、偶然でもなんでもいいから、ミトスくんとマーテルさんが拾ってくれていたら嬉しい。
……二人は、ちゃんと無事でいるのかな。今も、まだ生きているのかな。
……無理かな。どれくらいの時間が経ったのか、はっきりとはわからないけれど、テセアラという国のことが忘れ去られて、月の名前、だなんて認識しかされていなくて。さっき見せてもらった地図も、全然知らない地形で。それだけの時が流れたなら、きっと百年とか、そんなレベルじゃない。さすがにハーフエルフも寿命が来てしまっているだろう。
また会える可能性は、ほとんどない。
「……ミトスくん」
「ミトスくんって、ナギサの友達か?」
「ロイドくん」
小さく呟いてしまった言葉に反応があって、ばっと後ろを振り返る。
きっと、わたしの様子を見に来てくれたのだろう。ロイドくんが不思議そうに首を傾げながら、マグカップを二つ持ってそこに立っていた。
「え、……ああ、うん。前に一緒に旅をしてたの」
「へえ。大事な友達だったんだな。すげー優しい顔してた」
はい、とマグカップの片方を渡されて、お礼を言いながらそれを受け取る。ホットコーヒーだ。あたたかな気遣いに頬を緩めると、俺はこれやりにきたんだ、とノートと本を見せてきた。
学校で出された宿題らしい。そういえば絶対にやるようにって、ジーニアスくんに言われていたっけ。ここは学校もあるんだな、となんだか懐かしい気持ちになりながら隣でコーヒーを啜れば、ロイドくんはノートを広げたことで満足したように、なあなあ、と話しかけてきた。
「ミトス、って、その友達は勇者ミトスと同じ名前なんだな。昔の時代から来たって言ってたし、もしかして、勇者ミトス本人だったりして」
「勇者ミトス?」
「あ、そっか。知らないのか。えーっと……これだよ、これ。教科書のココ」
「うーん……ごめん、知らない文字で読めないや」
「え、そうなのか。勉強教えてもらおうと思ったのに」
いや、ここに来たばかりだし、教えてあげられることなんて無いと思うんだけど。
そんなわたしの感想は無視して、開いた教科書のページとにらめっこする。それから、じゃあ俺が読み聞かせてやるよ、と笑って距離を詰めてきたのを見て、思わず笑ってしまった。
なんというか、面白い子だな。明るいというか、裏表がないというか。こっちもつられて笑ってしまうような、そんな眩しさを感じる。
それから、目が覚めた時からずっと。まっすぐな目でわたしを見てくるところは、ミトスくんとちょっとだけ似てる。
「勇者ミトスとは、起きた古代カーラーン大戦という戦争を終わらせたえらい人です。およそ四千年前、悪いハーフエルフの集団であるディザイアンが、二つの国の王様をだまし、戦争を始めました。ミトスは戦争でマナがなくなったことを知って戦争をやめさせたのです。そして仲間と一緒にマナを探しました。ミトスは女神マーテルさまをあがめるという約束をしました。その代わりにマーテルさまは大地にマナをくださり、ディザイアンを封印しました」
彼が読み聞かせてくれたのは、教科書にも載っているような、有名な話、なのだそうだ。
カーラーン。
ミトス。
マーテル。
そこには聞き慣れた名前が並んでいて、ドキリとする。
確かに、ミトスくんは戦争を終わらせたいと言っていたし、あの戦争がマナめぐった争いだったというのなら、マナを生む大樹カーラーンに因んだ生を付けてもおかしくない。四千年前、という途方もない話であることは、まあ、今は置いておく。
でも、マーテルさんはハーフエルフで女神なんかではない、とっても優しい、普通の女の子だった。
ロイドくんがマメ知識だと披露する「勇者ミトスは剣の達人だったらしい」という情報も、少なくとも、わたしが知っている二人との情報に結びつかない。
「……わたしのミトスくんは、女神と契約なんてしてなかったよ。魔法は使えるけど、剣なんて握ったこともなかったし」
「そうなのか? じゃあ、違うのかな」
「たぶん……」
でももし、本当にそうだったら。
本当に、あの日誓ったことを叶えて、戦争を終わらせて、勇者だとたたえられているのなら。時代を越えて、遠い未来にきてしまったわたしに、自分が成し遂げたことを伝えているのなら。
ちょっとだけ、寂しくなくなる気がした。
世界はそんなにわたしに優しくなんか出来てないだろうから、こんなの、ただの願望で、本当のわけないけど。
「わかんないけど。無事でいてくれたなら、それでいいよ」
それだけでいい。
彼らを置いてきてしまったわたしが言えることじゃないのかもしれないけれど。わたしは、彼らがただ、生きていてくれたら……たとえ勇者になっても、なれなくても。彼らが夢見たような世界に少しでも近付くことができて、誰か大切な仲間と出会って、彼らの優しいところをいろんな人に知ってもらって。
最期に、幸せだったな、って。
生まれてよかった、って。少しでも思ってくれたなら。
……元気でいてくれたなら、それでいい。
いつの間にかうつむいてしまっていたのだろう。ふと、ロイドくんの手がわたしの頬に触れる。それはそのままわたしの目元を拭うように動いて、それから、ちょっと困ったように彼が笑うのが見えて。ロイドくんは、ぱっとまた、明るく笑ってくれた。
「何もかも大丈夫、とは言えないって、わかってるけどさ。でも少なくとも、ミトスくんってやつは、あんたに今、泣いてほしいなんて思ってないと思うよ」
だからそんなにうつむくなよ。そう言ってわたしを見るまっすぐな目に、わたしは小さくありがとうを返して。
そうして。異世界に飛ばされたかと思えば、今度は時空を飛び越えてしまったわたしのシルヴァラントでの生活が、始まったのである。