17-1

「いやしかし、異世界トリップの次はタイムスリップか……」

イセリアに滞在するようになって一ヶ月を過ぎた頃。
以前より一部屋分増築された家の外で、ぼけーっと空を眺めながら、いったいどうしてそう世界やら時間やらをホイホイ飛んでしまうのだろうなあと。じわじわと実感してきた自分の特異な状況を思って、わたしはほうっと息を吐いた。

別に、今の状況に困っていることなんてない。家があって、食べ物もあって。特にひどい目にあうわけでもなく、周りの人の優しさに助けられながら暮らす生活は、三人で旅をしていた時よりずっと素晴らしいものだ。
ただ、本当にミトスくんたちと旅をしていた時より、長い、ながーい時間が経ってしまったんだなあと知るたびに、途方に暮れてしまうのだ。
たとえば、地図を見た時とか。
たとえば、ロイドくんが持ち帰ってくれる教科書の内容を聞いた時とか。
たとえば、わたしの見たものがおとぎ話担っていた時とか。
脱力してしまうと言うか、なんというか。時間を置いてきたというより、時間に置いて行かれたような、そんな感覚がしてしまう。

「わぷ」
「クゥーン」

ため息を吐きそうになったわたしの顔に、もふもふとした感触がぶつかる。ぷは、と顔を上げれば、そこには顔を押し付けてくる、まるで背中に乗れてしまいそうなほど大きな四つ足の動物がそこにいた。
この子はノイシュ、というらしい。ロイドくんが小さな時から一緒の家族なのだそうだ。
その口にはまだ服が入った桶がくわえられていて、ぼうっとしてごめんね、と頭を撫でる。そうだ。洗濯物、まだ干している途中だった。
ダイクさんお手製の赤い服がずらりと並ぶのはなかなか壮観で、なんだか終わりが見えないような気がして、ちょっと思考がどこかへ飛んでしまっていたのだ。いけないいけない、まだ激しい運動は控えるようにとのことで、今のわたしにはこれくらいしかできないのだし、ちゃんとしないと。

ちなみに、今わたしが着ている服も、彼お手製のものである。どうしても帯を一緒につけないと落ち着かないと言えば、それが似合うように、とああだこうだと設計図を書いては、一から作ってくれたのだ。
彫刻や鍛冶だけでなく、縫製でも仕事できるかもしれねえなあ、と豪快に笑っていたダイクさんは本当に器用で、素直に尊敬する。

「ただいまー! ……って、姉貴、もう動いていいのか?」
「あね……うん。ずっと寝てても健康に悪いから」

元気よく帰ってきたロイドくんに手を振れば、彼は空になっていた桶をひょいと持ってくれる。
うーん、実に気遣いがうまい、モテる男の仕草である。彼が目指すクールな二枚目に通じるものがあるかもしれない。なんて。
そうは言っても、肝心の普段の態度に熱血! いい子! お馬鹿さん! の色が強すぎて、どうしても彼の憧れの方向に成長するとは思えない。むしろ、このまま成長してもらった方が絶対にかっこいい。彼の明るさは、みんなに伝染するものなのだ。彼が笑えば、こっちも勝手に笑顔になってしまう、そういう明るさ。
そんな光を分け隔てなく振りまく姿は、ちょっとだけ憧れてしまう。

それと同時に、そんな彼に「姉貴」と呼ばれる落ち着かなさに、どうしてもむずむずとしてしまう。確かに、お姉さんがほしかった、とは言っていたけれど。
毎日のいろんな話をなんでも報告してきたり、後ろについて回っていっぱい聞いてほしそうにしたりするのは、それよりも距離は近いけれど似たようなことをしてきたマーテルさんとミトスくんを思い出して懐かしいという気持ちもある。でも、なんかちょっと二人に向けられていたものとは違って、なんか変な感じがしてしまって、うーん。

「何度も言ってるけど、やっぱり姉貴って、なんかちょっと、こう、別の呼び方のほうがいいなあ……」
「そうか? じゃあ姉さん?」
「うーん……まあ、それならいいか。でもたまに呼ぶくらいにしてほしいな。普段はできれば名前がいい。落ち着かない」
「ちぇ。わかったよ」

つまらなそうに頬を膨らましつつも、わたしのお願いを素直に聞いてくれるロイドくんは実にいい子である。明るくてまっすぐで、うん、ミトスくんの友達になってほしかったな、なんて思ったりする。

でもまあ、確かに。そろそろ最初に異世界に飛んでから一年。わたしも、二十四歳という年齢になったので、「お姉さん」と呼んでもらえることは嬉しくもある、のだけれど。どうにも彼の呼び方は「姉貴」というより「姉御」って感じで慣れないし、まだ「姉さん」の方が助かる。
そもそも懐かれ方が姉というより、母って感じがするのだ。マーテルさんが甘えてくるときとかによく感じた、あの感じ。だから余計に「姉貴」という呼び方に変な気持ちになるのかもしれない。
聞くところによると、彼のお母さんはすでに死んでいて、この家のそばにあるお墓が彼女のもの、とのことなので。実際に「年上の女性」であるわたしに、お母さんの代わりを求めているところはあるのかもしれない。

そう考えると、多少はお母さん代わりになってもいい……と思わないでもないけれど。やっぱりちょっと恥ずかしいし、子供の扱いに慣れているわけじゃないので、できればお姉さんの方がまだマシだ。まあ、甘えられるのは悪くない気分なので、できる限りでお姉さんになれればなあ、と思う。
年を重ねたからって立派な大人になれるわけではないのだ。

「それにしても、イセリアにはエルフに人間にドワーフだけじゃなく、この子みたいな不思議な生き物までいるんだね」
「そうか? 犬なんて珍しくないだろ」
「い、犬ぅ?」

犬かなあ。
思わずノイシュをじっと見るけれど、体も耳もすごく大きいし、四つ足ってところしか共通点が見つけられない。
狼っぽいとか? いや、それにしてはかなり可愛い顔をしているな。牙とか爪が鋭いわけでもないし、どちらかというと、モンスターのいる場所には近づかないような、気弱で優しい子だ。
人懐っこいところ……くらい……かな……?

「まあまあ、気にすんなって! ノイシュは犬、親父はドワーフ。ジーニアスたちがエルフで、俺は人間。んでもって、あね……ナギサが異世界人! なんか、いろんな奴が集まって楽しそうでいいだろ?」

悩みこんだわたしの肩を叩く彼の感性は、とっても素敵なものだ。
みんな違ってみんないい、を地で行くというか、相手個人のことを見てくれているのがよくわかるというか。
彼と比べると、わたしって、目の前の枷をなくそうとして、逆に枷ばかり見ていたかもしれないな、とちょっと反省する。
ミトスくんとマーテルさんと離れて、脱力してしまったわたしは、たぶん燃え尽き症候群に近い心境なのだけれど。
それでよかったかもなあって、思うのだ。

わたし、たぶんあのままだと前のめりになって、逆に視野がせまくなっていたような気がする。わたしは最初の経験から、基本的にエルフに対して、ちょっとだけ警戒心がある。ほとんどの人はとてものんびりとしていて、排他的ではあるものの優しい人の方が多いって、人間がするそれより、ハーフエルフへの視線は厳しくなかったと、わかっているけれど。
どうにもあのエルフの男のことが忘れられない。思い出すだけでイライラしてしまう。怒ってもいいことはなにもなかったので、怒らないけど。わたしにそういう意識がある限り、二人が望んだような理想の世界は遠いような気がして、勝手に落ち込んで勝手に焦って、振り回してしまったかもしれない、と思うのだ。
彼らに理想は説いたけれど、わたしがまだまだ実現できない。そのことが、きっと将来、わたしは許せなくなっていた。
だから、こうして一度、静かに一人で考える時間ができたのは、きっといいことだ。いや、よくはないけど。悪いことでもない、と思うことにする。

それに……こうしてロイドくんたちに会えたことは、とても幸福だ。
いろんな種族が集まって楽しいね、と笑って、個人は個人だと割り切って、その人の素敵なところを見て、でもちゃんと嫌だなと思った時は怒る。自然体で理想のような行動をする彼に憧れのようなものを抱くと同時に、彼のことが好きだと笑うコレットちゃんやジーニアスくんを見て、わたしはいつも泣きそうだった。
だって、とても、綺麗だ。眩しいくらいに、幸せな景色だ。

「そうだ。あの、ジーニアスくんのお姉さんに会ってみたいんだけど、いつだったらお邪魔しても大丈夫かな」

なんだかしんみりとしてしまいそうだったので、話題を変えるついでにそう問いかける。
ジーニアスくんのお姉さん。わたしに治癒術をかけてくれただけでなく、教職という忙しい身分にも関わらず定期的にここに訪れては、寝込んでいるわたしのために薬なども用意してくれたらしい。
……らしい、というのは、言葉通り寝込んでいたせいで、わたしはその人に会えたことがないからだ。なので当然、まだお礼も言えていないのである。

「先生に? そっか。そうだな、元気になったって、ちゃんと顔見せてやらないといけないよな」
「うん。お礼言わないと」

そうだよな、とロイドくんは何度かうなずくと、じゃあさ、とまたこちらが嬉しくなるほどの笑顔を向けてきた。

「よし。じゃあ今度、一緒に学校行こうぜ!」