ドン、とキリアちゃんが総督にぶつかる。
娘が父親に抱き着いたのではない。だって聞こえた声は、キリアちゃんのそれよりずっと低く、凄みを帯びたものだった。
数秒を置いて、総督の体がガクリと膝をついて床に倒れる。
彼の背中は赤く濡れていた。
娘の手も、赤く濡れていた。
「キリア……なにを……」
「何をするんだ!」
「お父さんでしょ? どうしてこんな……」
「ふざけるな」
動揺するわたしたちの前でキリアちゃん……キリアは、吐き捨てるように言う。
愛らしかったその顔に浮かぶのは、もう彼女の表情ではない。倒れた総督を嘲るように見下ろす、おぞましい何か、だった。
「私は五聖刃を統べる長、プロネーマさまがしもべ。マグニスの開発した新たな人間培養法とやらを観察していただけのこと。優れたハーフエルフたる私に、こんな愚かな父親はいない」
ツインテールは渦巻くような角に変わり、全身を紫に変色させる。
どんどんキリアちゃんからかけ離れていくその姿は、ハーフエルフというよりも、魔物、という方が正しく感じた。
それまで表情を悲しみで満たしていたコレットが、ぎり、とチャクラムを握る。
「愚かな父親ですって……?」
「愚かではないか! 娘が死んだことにも気付かず、化け物の妻のために、ありもしない薬を求めるなど」
笑い飛ばすキリアに、わたしは思わず帯を叩きつけた。簡単に防御されてしまうことはわかっていたけれど、許せなかったのだ。
ただ必死に大切な人を助けたかったドア総督を、そんなふうに言われたくなかった。
「黙ってよ。必死に家族を助けようとしたドア総督を、そんな風に言わないで!」
「ふん。人間風情が小賢しい。アシッドレイン!」
地下室に黒い雨が降る。
たぶん能力を下げるタイプのものだ。エクスフィアも付けていないわたしには割と致命的だが、それでも武器を振るった。
「こいつ!」
「許せない……ルーンスティア!」
「今援護します。アグリゲットシャープ!」
先生の援護を纏って、再び魔術の詠唱を始めたキリアに向かって帯を叩きつける。
少し離れた場所から距離を取って攻撃すれば、彼女も詠唱を中断するしかない。苛立たし気にこちらを見てくれれば狙い通りだ。……わたしは今、一人じゃない。
「裂壊桜! 魔術は出させないよ!」
「小癪なあっ!」
「ぶっ飛べえっ!」
わたしに狙いを定めたキリアのすぐ近くまで回り込んだロイドが、その隙を逃さずに獅子戦吼を放つ。
勢い良く吹き飛ばされた彼女の先には、リフィルさんの光魔法を武器に帯びたコレットが待っていた。
「コレット!」
「フォトンブラスト!」
光を纏ったチャクラムがキリアの体を抉る。
彼女はふらふらと倒れたかと思うと、床を這いずりながら鉄格子に近付いた。
「バカな……ならばせめて、この怪物を解き放ち、お前たちに死を!」
そう言って鉄格子の鍵を叩き割る。鍵が壊れ落ちた時には、彼女はもう空気に溶けるように息絶えた。
ずるずる。ずるずる。
開かれた鉄格子から、地面に触れるほどに長く伸びた両腕を引きずって、クララさんが出て来る。
彼女はこちらを見ると、ぶんと大きな腕を振るった……ああ、マーブルさんと同じだ。どんなに温厚な人だったとしても、苦しそうに、その苦しみから逃げ出すように、力を揮ってくる。……反撃するしか、なくなる。
「そ、そんな……待って、クララさん!」
「またかよ……また、苦しんでる人を倒さなきゃいけないのかよ」
「ダメ!」
どうしても攻撃する気になれないわたしたちの隣で、コレットが強く叫ぶ。
その必死な声に、クララさんは何かを感じてくれたのだろうか。
振り上げていた腕を下ろすと、そのまま地下室を飛び出していった。
「クララさん!」
「う……」
「ド、ドア総督!」
外に逃げた彼女を追い掛けようとして、けれど総督がうめき声をあげるのが聞こえて立ち止まる。
クララさんの行先も大事だが、彼のことも、放っては置けない。ニールさんたちに介抱されていた彼だけれど、もう血の気の無い真っ青な顔で、ただぼんやりと宙を見ている。
「……本当に……キリアは亡くなったのか……?」
「キリアは……」
「……本物の娘さんは無事らしいぜ。安心しな」
「ロイド……」
「先生、早く治療を……」
「わかってます」
リフィルさんが杖を翳す。
治癒術の光が総督を包んで……消えた。
どうしたのだと彼女を見れば、静かに首を振る。
「そんな……」
もう、治癒術が効かない、のだ。治癒術は万能の力ではなくて、もともとその人がもっている治癒力を高めてくれるだけ、だから。その相手が極端に虚弱であったり……もう、瀕死の状態だとしたら。体が、回復を諦めているのなら。治癒術は、効かない。
そんな説明がなくても、自分がもう助からないことを、ドア総督もわかっているのだろう。彼はロイドの名を呼ぶと、ほとんど息だけの弱々しい声で必死に言葉を紡いだ。
ロイドもそれを一つも聞き漏らすまいと必死に耳を傾ける。
「どうかショコラを救ってやってほしい……それから、妻を助ける方法を、見つけたら……助けてやってくれないか……娘が戻ってきたとき、一人では可愛そうだ……」
「ああ。わかった」
「ありがとう……」
「総督……総督っ!」
「……私の治癒術は……人一人救えないの……」
動かなくなった総督を囲んで、わたしたちはそれぞれが目を伏せた。
変わらないとわかっていても、どうしようもない現実を少しでも変えたくて。見たくなくて。どうにかしたくて。どうにかする方法なんて思い浮かばなくて……ただ、みんな、目を伏せる。
何故だろう。
わたしも、死にゆく感覚を知っているからだろうか。
なんだか無性に、マーテルさんとミトスくんに会いたかった。