ドワーフであるダイクおじさんの家にお世話になって、一年が過ぎた。
もう異世界生活も二年が終わる。なんと、わたしももう二十五歳だ。
こんんな異世界の土地で、二度目の誕生日が通り過ぎていくことになるとは思わなかった。もう二年も経てば残りの一生をこの世界で過ごすことになるのだろうな、という覚悟も出来てくるし、だんだんと薄れてきた元の世界での記憶や両親たちのことに、わたしって薄情だなあと気持ちが沈んでいた時期も終わってしまった。
実際、帰る方法なんて浮かばないし、わたしにはここで生きていく以外、どうすることも出来ない。
なんだかなあ、と思いつつ、すっかり上達した掃除と料理を終わらせる。夕飯の下拵えはこれで終了。慣れたものだ。もう今さら文明の利器なんて使えない気がする。
それでも人間、順応して生きていけるのだからしぶとい。ただ一つ気を付けることといえば、怒りすぎないように、だろうか。思えば怒って何かをしたとき、だいたい悪い方にばかり事態は転がっていくような気がする。
だから、この平和なイセリアで。少々生きるのが大変だけれど、それでも素敵な人たちと暮らすことのできるイセリアで。
わたしは、のどかに、穏やかに。今を、生きている。
「あ」
ふと何の前触れもなく、目の前が真っ白になった。
突然別の場所に移動してしまったわけでも、体調を崩して倒れてしまったわけでもない。物理的に、視界を真っ白に染めるほどの強い光が窓から差し込んできたのだ。
やがて静かに弱くなる光を追いかけて、窓の外を見る。その光は、イセリアよりもっと向こう……位置的に、マーテル教会聖堂の方から登っているのがわかった。
外から戻ってきたダイクさんを出迎えながら、今の光は、と問えば、彼は神妙な顔でうなずいた。
「おじさん。今の光……」
「ああ。コレット嬢ちゃんに神託が下ったんだ。たぶん、もうすぐしたら救いの塔も見えるだろう」
「今のが神託の光……これから、世界再生が始まる……」
コレットの、十六歳の誕生日。
その日、マナの神子である彼女はクルシスの天使から神託を受け、世界再生の旅に出る。
世界の中心で眠る女神マーテルを、目覚めさせる旅。
かつての戦乱の原因であり、勇者ミトスによって封印されたディザイアンを、もう一度封印する旅。
今年彼女に贈る誕生日プレゼントはいつもよりちょっとだけ特別な意味になると聞いていたけれど、実際にそれが目の前にわかる形で示されると、なんだか不思議な感じだ。
今日、学校が終わったら、用意したプレゼントを渡そう、と思っていたけれど。もしかして、このあといろんな準備とかあって、渡せなくなったりするのかな、と今さら焦ってくる。聞けば神託というのも、魔物が現れた聖堂の中を抜けて、天使から言葉を授かり、救いの塔を出現させなければ成功にならないらしいし……と、考えたところで、今日も彼女と一緒だろうロイドとジーニアスの顔が思い浮かんだ。
「……なんだろう。ロイドがそれにくっ付いて行ってしまっているような気がしてならない」
「はっはっは! 確かにな!」
大声で笑って椅子に座るダイクさんにお茶を淹れれば、ありがとうと言ってそれを飲む。どんどん茶を淹れるのがうまくなるな、という褒め言葉に素直に笑ってはにかんでから、わたしは再び窓の外へ目を向けた。
「ロイドは凄く真っ直ぐに育ったよね。なんだか眩しくって」
「そうか? まあ、いい男になったとは思うぜ。自慢の息子だ」
「ミトスくんに会わせたかったな。二人とも真っ直ぐだけど、ミトスくんはもうちょっと落ち着いてたから。ロイドの元気を分けてあげたい」
「んで、そいつの落ち着きをロイドに……ってか。確かに相性良さそうだな」
「でも、今のロイドだからいいんだーとも思うから困る」
「いい弟だろ?」
「良すぎて困っちゃう」
また大声で笑う。彼の笑い声は好きだ。なんだか、なんでも吹き飛ばしてくれるような気持ち良さがある。
わたしもつられて笑っていると、ふと、彼はコップの縁を指でなぞりながら目を細めた。どこか遠くを見るような、そんな目で、彼はゆっくりと口を開く。
「今朝、ロイドが言ってたんだよ。母親の墓の前でよ」
「何を?」
「今日、何かが起こるような気がするってよ。俺もそんな気がするんだ。ロイドの父親が生死不明なのは話したよな?」
「うん。遺体は見つからなかったって。ロイドが知らないお母さんのことも聞いちゃった」
「おう。その母親のことをちゃんと話す日が近いのかもしれねえな」
彼の、もういないお母さんのこと。名前はアンナさん。……ディザイアンに襲われて、まだ小さかったロイドを庇って、死んでしまった人。
お父さんもきっとその時一緒に死んでしまったのだろう、と彼は以前語ってくれた。ロイドにはそのうち折を見て話すから、聞いたり話題をふったりしないでほしいと言って、聞かせてくれた話。
それは、ダイクさんなりに息子を心配してのことだ。ロイドは本当にまっすぐな子で、きっとその話を聞いたら、お母さんの仇だと言って飛び出してしまいそうだから。そして、そうして怪我をしてしまうことを、絶対にアンナさんは望まないから。
でも……でも、きっと。大丈夫だと、思う。
たとえ飛び出してしまっても、彼のことを引き留めてくれる素敵な人たちが、彼の周りにはいるから。彼は一人ではないから。ちゃんと、自分の目で、なんの色眼鏡もなく、向き合っていける子だから。
だから本当に、ミトスくんと出会ってほしかった。なんて。叶わないことをこっそりと思う。
「……ロイドなら大丈夫ですよ。あの子はちゃんと、自分の目で見て考えることが出来る子です」
「ナギサにもそう言ってもらえるなら、安心だな」
よいしょと立ち上がって作業台に座ったダイクさんの表情はよく見えない。けれど、声はどこか、少しだけ寂しそうに聞こえた。
「俺は時々思うんだ。あいつの父親は今もどこかで生きていて……いつかはまた巡り会えるんじゃねえかってな。そん時は俺から離れる時かもしれねえが」
「……それでも、ロイドの親父さんはダイクさんだよ」
「……そうか!」
声は決して震えていなかったから、わたしもそれ以上何も言わない。寂しそうかどうかなんて、わたしの勝手な思い込みだし。ただ、彼らは間違いなく親子だから、何も言わなかった。
代わりに窓の外に目を向ければ、遠く山の向こうに、先ほどまではなかったものが見える。空を切り裂くように高く高くそびえ立つそれ。白く、どこまでもまっすぐに、天を貫くような、塔。
「あれが、救いの塔……」
それがあるということは、神託は成功したということだ。無事に彼女は、天使の声を聞いたのだ。
これから、コレットが世界再生を始める。
この村を出て……遠くへ。天使になる旅が始まる。
「おじさん、わたし、ロイドのこと迎えに行ってくる」
「そうだな。なんか無茶してるかもしれねえし……ナギサも気を付けて行ってくるんだぞ」
「りょーかい。行って来ます」
世界再生のはじまり。
それだけでも大きなイベントだけれど、わたしもダイクさんの言う通り、何かもっと、違うことが始まるような気がしていた。
たとえば、そう。
君ともう一度出会う為の旅が、始まる気がした。