「ナギサ」
夢を見た。
柔らかい風が吹いて、甘い香りがする。わたしがいるのは花畑の中だ。美しい色があたりに咲き乱れて、夕焼けに染まった風を浴びながら揺れている。
ああ、覚えている。この時のこと、まだちゃんと覚えている。
花畑の中で名前を呼ばれて振り返れば、そこにはほら、長くて綺麗な髪を揺らす、大好きな人。
「マーテルさん」
名前を呼び返せば、マーテルさんはふんわりと笑う。けれどその笑顔はすぐに不安そうに陰ってしまって、わたしの隣に来る頃には、その不安に押しつぶされてしまいそうなくらい、悲しそうなものに変わってしまっていた。
ああ、覚えている。これは、そう。あの大樹の前で、ミトスくんが戦争を止めるって、みんなが自分らしく生きられる世界を作ると宣言した、後のこと。
世界を救うような勇者になると宣言した彼に共感しながら、それでもまだ、不安があるのと、マーテルさんが零した時のこと。
「私、不安なの」
その記憶通りに、夢はマーテルさんの言葉を再生する。
ミトスくんがとてもしっかりとした、優しい子だということは、彼女が誰よりも一番よく知っている。いつだってまっすぐに世界を見つめる彼は、きっと自分たちとした約束の通り、最後まで頑張るだろうことも、彼女はわかっている。
わかっているからこそ、不安なのだ。だって、マーテルさんはお姉ちゃんだから。
「でも、あの子はまだ、あんなに小さくて、年の近い友達もいなくて……私やあなたがいなければ、一人になってしまう」
戦争を止めるために何をすればいいのか。この時はまだ、よくわかっていなかったけれど。戦争を起こす人たちに接触する以上、戦場の近くは必ず通ることになるし、きっと危険なこともたくさんある。その時に、怪我をしてしまわないとも限らない。
何より二人はハーフエルフで、どんな仕打ちを受けるかわからない。わたしかマーテルさんのどちらかがいなくなってしまわないなんて、断言できないのだ。
……実際、わたしはこの後しばらくして、死んでしまった、と言っていい。
そうして、もし、一人になってしまった時。ミトスくんは耐えられるのだろうかと、この選択をしたことを後悔してしまうのではないかと、心配しているのだ。
「……一人になったら、きっと誰も耐えられないよ」
だから、わたしは素直に言葉にする。
一人になってしまうことを、耐えられる人なんてそんなにいないと。ううん、耐えなくていいと思うって、素直に。
どうしても彼らを置いていなくなってしまうわたしだって、そのことは何度も考えた。ミトスくんの繊細さも、マーテルさんの脆さも、ちゃんと知っているから。
「未来のこと。まだ、わからないけど。でも、今頑張ろうって思った気持ちを、あの子の優しい決意を、わたしも大切にしたい。……だから、きっと。誰かもう一人くらいは、同じ世界を見てくれる人が、現れてくれるって、信じてる」
「ナギサ……」
「そうやって、少しでも。わたしたちの周りだけでも、みんなが肩の力を抜いて過ごすことができるようになってさ。それがいろんな人に少しずつ広がって行ったら……そうしたら、きっと夢も叶うよね」
わたしもずっと、二人と一緒にいたいけど、置いて逝くことは避けられない。だから……わたしは、願った。それまでの間に、誰かが現れてくれるようにって。二人のことを大切に思ってくれる人。寄り添ってくれる人。仲間になってくれる人。そういう人がいれば、一人にならない。たとえわたしたちがいなくなっても、その人たちが彼らを支えてくれる。
それは、とても難しいことかもしれないけれど……そんな夢を見て、歩くしかない。きっと、他にも二人の夢に共感してくれるはずなのだ。きっと、歩みを止めないでいれば、絶対に。
……そう願うしかできないなんて、ちょっと他人任せすぎるかもしれないけど。わたしたちはより良い未来のために頑張るんだから、そんな未来を夢見たって、いいはずだ。
「……それだけで、よかったの。私は、この世界が、好きだから」
ああ、まただ。
夢が、勝手に、わたしの記憶とは別の話を始める。
そんな人が現れてくれるかしらと、それならどんな人と仲良くなれるかしらと、まだ見ぬ誰かを思って笑いながら、やがて呼びに来てくれたミトスくんと一緒に帰るはずだったのに。
夢の中のマーテルさんはわたしの手をとって、そのままぎゅうと抱き着いてくる。ぴったりとわたしの頬に自分の頬をくっつけて、擦り寄って。そうして、彼女はささやいた。
「大好きな人たちが生きるこの世界が。……たとえどれだけ残酷だったとしても。あなたたちが生きているこの大地が。……私は、ずっと、大好きよ」