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「もしもしお嬢さん、お花はいかがですか〜?」

唐突に声をかけられて、アンジェリカはびくりと体を震わせた。
声の方向を振り返れば、そこにいるのは一人の可憐な少女だ。長い金の髪を空のような瞳は美しい輝きを持っているのに、どこか薄汚れた服を着る。かけてきた言葉からして花売りなのだろう。籠いっぱいに色とりどりの花を詰めて笑いかける彼女に、だがアンジェリカはなんと返せばいいのだろうと戸惑う。

「え、と、」
「ありがとう。受け取っておくよ。少し道を聞きたいんだが、いいかな?」

ひょいと隣から手を伸ばして、ジーンがそう笑いながら少女から花を受け取る。もちろんその分のお代をしっかり渡して。
少女はその金額をしっかり数えてから、またにっこりと笑ってどこかふわふわとした口調で返事をした。

「はい、買ってくれましたし構いませんよ〜…でも、この先は廃村しかありませんよ〜?」
「そうなのかい?おかしいな、地図にはちゃんとあるんだが…」
「ああ、最近つぶれたんですよ〜、なんでも、幽霊が出るとかで〜」
「幽霊?」

素直に疑問を口にしてしまえば、これは食いつきがいいと判断したのだろう。ここからは別料金ですとばかりに花をちらつかせる少女にジーンは苦笑して、またもう一輪花を買った。実に強かな少女である。
少女は満足そうに花を渡して、それからこの先にあったはずの村を思い出す。それが廃村になったのは本当につい最近のことで、まだ一カ月そこらなのだという。
アンジェリカがここに来たのと同時期だと気付いて彼女は一瞬表情を曇らせたが、すぐに何も無かったように会話に耳を向ける。

「ありがとうございます〜。ええとですね、子供の落書きみたいな、魔物でも人間でもない何かが夜な夜な村を徘徊し、出会った人全てを殺して回ったらしいですよ。じゃあこの目撃談はなんだとか、魔物がいるのに幽霊にビビる必要なんて、とも思いますけど〜」
「魔物じゃないって、どうしてわかるんだ…?」
「そりゃあ、狂気を見ても動じないからですよ〜」
「え…」
「なるほどね。ありがとうお嬢さん。」
「いえいえ〜、また縁があったら買ってくださいね〜」

ひらひらと手を振って見送る少女にジーンも手を振り返して、アンジェリカを連れて気持ち速足で歩く。
ジーンはアンジェリカが何かしら不思議そうな行動を示したら、その場ですぐに説明をしてくれる。歩調もいつも合わせてくれるから、困ることは何もなかった。だからこうして、すたすたと歩いて行ってしまう彼に少しだけ驚く。
聞かれたくない部分に反応してしまったのだろうか。ならば聞かない方がいいのかもしれない。そう思うも、それはなんだか不穏な空気を纏っていたのもあって非常に気になる。気になって、たまらない。

「…ジーン、その…狂気というのは?」

ついに耐えられなくてそう問いかければ、ジーンはやはり、困ったように笑った。
少女との会話を打ち切ったのは、その単語が出てしまったからのように見えたのだ。まるでそれの話を聞くこと自体が嫌だというように、そしてそれを少女もわかっているように、あっさり。
彼はなんと答えればいいのか迷うように顎に手を当てて、それでもやはり言いにくそうに答えてくれる。

「んん…なんていうのかな。俺たちが絶対に出会いたくない感情かな。その人を見てしまうと狂ってしまう…ほら、狂愛とかいうだろ?どんな感情も簡単に狂ってしまえるから。」
「ふうん…?」

狂気。アンジェリカから見ればこの世界そのものが狂って感じるのだが、そこに住まう者たちが嫌がるほどのそれには確かに自分も会いたくないと思った。

ふと、視線を感じてアンジェリカはそちらに目を向ける。もう無意味に怯えることはなくなった彼女は、こうして辺りを見るくらいの余裕なら持てるようになったのだ…先ほどのように唐突に、それも背後から話しかけられれば、体が震えてしまうくらいはまだ、仕方ないとしても。
視線の主は、一人の男だった。見覚えがある。が、どこで見たかは思い出せない。ただすれ違っただけかもしれない。それでも見覚えがあるような気がして、人ごみに紛れて今にも見失ってしまいそうな男を見た。
男もアンジェリカを見る。黙って。一言も発さず、身動きもせず、無表情に無感情に。ただただ、アンジェリカを見つめる。
怖い。
なんとなくそう思って、アンジェリカは身をひそめるように屈めて、ジーンの後を速足で歩く。
その後ろ姿を、男はやはり、無言で見詰めていた。






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