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気がつけば二人は多くの落書きと、寡黙な男とこの魔物によって囲まれていた。
魔物はアンジェリカをもう一度刺そうとして…だがすぐに目標を変え、ジーンに向かってその髪と鋭い爪を繰り出した。彼は器用にそれを避けてみせるが、その代わりにアンジェリカとの距離が開いてしまう。彼にとって魔物は大した敵ではないが、他のたくさんの落書きたちによって行動を制限されているために前回のように圧倒的にいなすことが出来ないようだ。

すっかりジーンと離れてしまったアンジェリカは、だがここで一つの違和感に気付く。
魔物や落書きたちは、ジーンを狙っているのだ。アリスであるアンジェリカではなく、ジーンを。アンジェリカを叩いた方が弱いし、何よりアリスなのだから理由もはっきりしている。だが、しつこいくらいに彼だけを狙い、アンジェリカには目もくれない。
一体どういうことだとジーンの助太刀に入ろうとすれば、彼との間に男が割り込んでくる。彼は相変わらず無表情にアンジェリカを見つめていて、ジーンに近づけさせないようにしているように思えた。
何もしない。何もしない。ただ見つめて、それだけ。
一人では何もできないアンジェリカを孤立させて、ただ、みつめる。

「守れない。」
「…え?」

唐突に。
唐突にそう呟いて、男はゆっくりと目を閉じる。
そっと。そっと。低く、よく通る声で。
男は呟く。語りかける。

「逃げてしまった。泣きたくない。どうして。認めたくない。恨みたい。大嫌い。消えてしまえばいい。すべてを否定してしまいたかった。恨んだ。身勝手にも。」

ゆっくりと言葉を続ける男に、アンジェリカは無意識に後退りをする。
気付いた。気付いたのだ。
この男に感じた既視感の意味。見覚えのある彼をどこで見て、いつから恐怖していたのか。
最初に見たのは、恐怖したのは、アンジェリカがこの世界に迷いこんですぐだ。
一番最初。初めて見る町で、ここは一体どこだろうかと首を傾げていた彼女の腕を掴んで、彼は言ったのだ。
…ようこそ、アリス。
そう言って、彼女がアリスとして自覚するための最初の死のきっかけを与えたのだ。そして先ほど、花売りの少女と別れた後に感じた視線の先にいたのも間違いなく、この男だ。
思い出した。思い出してしまった。
怖いと。一番最初に思い知った感情を隠しておいたのに、それ運んできた男が再びここにいる。
目の前に立って、静かにアンジェリカを見つめて。

「何故否定する、アリス。」
「…!」
「見ろ、俺がお前の結果だ。」
「なん…っ」

一方的に言い終わったかと思うと、素早い動きでアンジェリカに向かって突進してきた。
レイピアを持ったそれは完全に彼女を突き刺すつもりのもので、それを間一髪で避けたところで次々に攻撃が襲いかかってくる。
正直素早い動きは苦手だと、アンジェリカは自分が焦りだすのを感じる。避けるだけならまだ出来る。クイラの動きも速かったから、それを避けようと躍起になっていればいつの間にか目で追えるようにはなっていた。しかし、それに反撃できるかは別だ。さっぱり出来ない。
それに先ほどの言葉も気になって、アンジェリカはどんどん廃村の奥へと追い込まれていく。

「ちょっと待て!君は…!」
「目をそらすな。」
「だから…!」

なんでこう人の話を聞かない奴が多いんだと叫びたくなる。話し合いが通じた試しがない。それとも、自覚がないだけでアンジェリカが話を聞かないような奴だったのだろうか。

「ずいぶんとご立派な思想を持っているみたいだけど、全て受け止めることが強さじゃない、よ!」

そう言いながらアンジェリカの代わりにジーンが攻撃を受け止めた。もう他の魔物たちは片付いたらしい。ちらと見れば地面に転がるそれらが見える。
割り込んできたジーンに男がわずかに顔をしかめる。どうやら魔物たちがジーンを執拗に狙っていたのはこうして邪魔されないようにするためだったようだ。
それでも男は無表情を保ったままジーンの攻撃をいなし、その間もアンジェリカを見つめ続ける。

「どうせ俺達を殺すのだろう?」

そう呟いたのを聞いた瞬間、背後から鋭い衝撃が襲ってきた。





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