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暫く走って、ようやくアンジェリカは足を止めた。
少し息を整えてから、さして抵抗するでもなく自分に連れられてきたギョロを持ち上げて、しっかりと目を合わせる。
「…すまない。連れ出してしまった。」
『別に、クイラが困るだけだ。』
「君と話がしてみたかったんだ。ずっとクイラといたんだろう?君は。こうでもしないと二人になれなかったから。」
君はずっとクイラの頭の上にいるから、というアンジェリカに、ギョロはくてりと頷く。
だがすぐに、あのダルそうな声で彼女に問いかけた。
『…クイラかジーン、どっちか死ぬかもよ?』
「大丈夫だ。あの自己嫌悪のあまり何かを好きになることを拒むとか、その逆とか、そんなことは思わないから。」
ここはアンジェリカの世界なのだから、すべての決定権はアンジェリカにある。アンジェリカの願う形でしか存在できない…アンジェリカのための、世界。
だから二人だけでも問題ないだろう?と言えば、ギョロは一気に息を吐いて、そうして呟いた。
『…めんどい…』
「時間をとらせるつもりはないんだ。ただ一つだけ、聞きたかったから。」
一つ、深呼吸。
ずっと聞きたかったそれを聞くために深呼吸。

「クイラも、わたしが生きる事を願ってくれているのか?」

ぐっと力を込めた質問に、だがギョロは身動き一つしない。
それはアンジェリカの質問の真意を見極めたかったからなのかもしれないし、単純に答える事を面倒くさがったのかもしれない。もしくは、真面目にその答えを考えていたのかもしれない。理由がどうであれ、それを理解する事の出来ないアンジェリカはひたすらにギョロを見つめ続け、そうして彼は、やがてぽつりと言葉を紡いだ。
『…怠惰。アイツが人形に望んだ事は。『自分』に望んだのは。』
人形とは、もう一人の自分だ。
なれなかったもう一人の自分。
なりたかったもう一人の自分。
なれるはずだった、自分。
たとえばパトリシアなら、礼儀正しいチャックを連れていた。つまりは『礼儀正しい、勇者らしい自分』になりたかったという事になる、と、ジーンが話してくれた事を思い出す。
クイラがなりたかったのは、『怠惰な自分。』
アンジェリカの自己嫌悪が最後に辿り着きたかったのは、何も考えず何もせず、ただそこに在るだけの、怠惰な自分。
『ぐちゃぐちゃと考えるから自分が嫌いでたまらなくなる。だから一回リセットさせるために、やってんだ。アリスを帰したいんだ。』
珍しく饒舌に喋る彼に、思う事は沢山あった。沢山あるのに、それを上手く言葉にするにはアンジェリカはまだ足りなすぎて。
だから彼女は小さく、…そうか。とだけ、呟いた。


「裂震斬!」
「断風牙!」
強く振るった剣と、素早く薙いだ長斧とがぶつかり合い、耳をつんざくような音が響く。二度、三度、繰り返して、だがそれでも決定的なダメージを与える事は出来ない。
「お前、なんでアリスに味方すると、前から聞きたかった!抜砕牙!」
「真空裂斬!別に、そんな事をしなくても彼女なら自分で帰れると思ってるからさ!一閃!」
「約束ってやつか!相変わらずべったりじゃねえかと、言いたいオレだぁ!」
「相変わらずで、ごめんね!」
剣を振ればそれを避け長斧を突けばそれを受け流す。受け流した要領で攻撃に繋いで塞いで攻撃して、それでも掠り傷程度しか互いにつける事は出来ない。
魔術も治癒術も使う隙は、そこには無い。
元々二人の力は均衡しているのだ。それを普段、守りに使うか全て攻撃に使うかで勝敗が決まっていただけで。
ガキン、と得物を交差させて、そしてそれを間近でギリギリとせめぎ合わせる。
「お前だって、あの子の…アンジェリカが生きる事を願ってるくせに、どうしてそう…」
「願ってねぇよ。オレはいつだってなんだって大嫌いなんだ。それがオレだと、オレは声高に言える。」
強く。強い頑なな意志を持って言うクイラに、ジーンは唇を噛んだ。
…それが彼の誇りだと、改めて知ってしまったから。
二人は同時に後ろに大きく飛んで距離を取る。
互いに、次で決めると、低く構えた。
「ジーン!クイラ!」
「…アンジェリカ!」
だが相手を見ているうちに聞こえた声に、二人して緊張を緩める。
ギョロを抱えたアンジェリカが走って来たのだ。ジーンはクイラがそちらに向かわないように僅かに体を動かすが、アンジェリカはギョロを盾にしながら真っ直ぐにクイラのもとへ向かう。
そして。
「やる!」
とそれだけを言って、クイラに花を…明らかにそこら辺で摘んだのであろう野花を…差し出した。
「…は?」
ぽかん、という表現がぴったりだというくらいの表情を浮かべて、クイラは今し方アンジェリカが差し出した野花を凝視した。
話の繋がりがわからない。
何故、自分を殺そうと…実際何度も殺した相手に、野花といえど花を差し出されているのか。
そんな視線をヒシヒシと感じて、アンジェリカは少し困ったように頬を染めた。
「…これしか浮かばなかったんだ。ええとだから、つまりだな。」
ごにょごにょ、と呟いて、それからアンジェリカは真っ直ぐに顔を上げる。真っ直ぐにクイラを見る。
…始めて出会った時、あんなにも怯えていた少女の面影は、そこには無かった。
「わたしはずっと、君と話をしてみたかったんだ。」
話を。
ただ、それだけが、したかったんだ。

「…帰る。」
「クイラ。」
「気が逸れたやる気が出ない帰る。どうせいつだって殺しに来れるしな。」
少し目を見張りつつも無表情にアンジェリカを見つめていたクイラは、不意に思い出したようにそうギョロをひったくる。
あっさりと背中を向けた彼の名をジーンが呼べば、彼は不機嫌そうに振り向き、そしてアンジェリカに指を突きつけた。
「どうせなら両手いっぱいに花持って来るんだな!」
ふんっと鼻を鳴らした彼に、仄かに胸が熱くなるのを感じる。この行為を全て否定されたわけではないのだ。きっとまた、こうして会話することを許してもらえる…そんな気がして、アンジェリカが思わず彼の名を呼ぼうとした、その時だった。
ずるりと。漫画か何かのように綺麗に足を滑らせて、クイラが穴に落ちたのは。
「あ。」
聞こえた間抜けな声にジーンが駆け寄りその腕を掴むが、彼もそのまま一緒になって落ちて行く。
「…え?」
二人はあっさりと、アンジェリカの視界から消えた。




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