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教会は朝の空気に包まれて、穏やかな光の中に浮かび上がっていた。
朝の光が窓から差し込むのを眺めながら、アイシアとアンジェリカはカップを口に運んだ。朝一番に淹れたお茶は胸の中にすっとしみわたるようで美味しい。

「ふふ、朝一番にアリスとお茶することができるだなんて…これも全てはアリスのおかげですね。アイシアは今日も幸せに生きることができます。」
「はあ…」

一晩経ったが、アンジェリカはどうにもアイシアが苦手だった。今まで否定的な感情を多く見てきたし、彼女自身も自分を嫌っている自覚があるため、自己愛など現れてもどうしたらいいかわからないのだ。
無償で与えられる好意というものに慣れていない…といったら、誰もがそうだろう。居心地の悪さは明らかに自分の経験不足だ。
アンジェリカはひとつ息を吐いて、それからそっとアイシアに話しかけた。

「なあ、その、聞きたいことが、あるんだが。」
「私なんかでも答えられるものでしたら、なんでも。」
「ここは、わたしの夢、なんだよな?」

それともそう願っているだけなのだろうか。問い掛けたのはそんなことだ。
当然の質問をされて、アイシアはきょとんとアンジェリカを見て、続きを待つ。

「ここに来る途中でジーンとはぐれた時、どこに行けば必ず会えるかがすぐにわかった。そんなこと、確実なはずがないのに。それに…その時から、ジーンの様子が少し、おかしい。遠くを見てるようで…何か、わたしが知らない間に起こったりしてるのかなって。何も知らないままは、いやなんだ。」
「…知ろうとしてくださるのですね。私達のことなど知らなくてもいいのに。」
「向き合おうって、話し合ってみようって、決めたんだ。」

だから、知りたい。
今までなんとなく流されて殺されて逃げてただけのあれそれを、聞ける人ができた今、知りたかった。
アイシアは少し逡巡して、それから静かにカップを置いてにっこりとほほ笑んだ。

「…ジーンさんはどこまでお話しになったんですか?」

ジーンが話したのはこの世界がアリスの、アンジェリカの感情でできているということ。
10万の死をもって死ぬか、なんとかしてこの世界から脱しない限りは元の世界には帰れない。ずっとここに閉じこもることを選んでも死んでしまう、不思議の世界。
魔物はアリスがいらないと思った感情。人形はなれなかった憧れ。感情。
全てのように感じるのに、何故か。何故かそれを全てだなんて思えなかった。さっぱり。

「なるほど。確かに、それだけ知っていれば問題ないですよね。そうですか。」
「アイシア?」
「申し訳ありませんアリス。私はそれ以上をお話することはできません。」

そう首を振った彼女は、強くアンジェリカを見つめていた。

「私たちの願いはアリスが幸せになることです。現実を生きること。そのために、すべてを知る必要はありません。」
「だから、わたしは…」
「だから、きちんとした理由はお話できません。むしろ、それを知らずにここから帰ってくだされば、と思っています。」

そっと手を握ってきたアイシアに、それ以上の言葉をかけるのはなんだか躊躇われた。
知らないままで帰れたら。きっとそれは、ハッピーエンドなのかもしれない。何も知らないということは自分の世界が変わらない、平和なままで済む。
くるくるくるくる…メリーゴーランドみたいに楽しくずっと、回り続けて。回り続けて。
終わらない場所にいれば、だって、知らなければ、だって、ほら、ねえ、きっと、しあわせ。

「…でも。知りたいって、思ったんだ。わたしはちゃんと、わたしになりたいって、思ったんだ。」

じゃなきゃ帰れない。
帰るために死ぬなんてしたくはない。
誰も、殺したくない。

「…アリスは、誰も殺さない道を選ぶのですよね。私を含む、全てを。」

そっと囁いて、アイシアは目を閉じた。
それからぎゅっと彼女の手を握って、にっこり、笑った。

「次に会う時には、あなたに花束をささげましょう。…会うことがもう、ありませんように。」





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