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「き、みは…」

目の前の人物の名前を呼ぼうとして、アンジェリカは自分がそれを知らない事に気付く。
目の前で笑う少女。
それは、あの穴の中で戦った少女だ。
たくさんの魔物を従えそれを人形に変え、ジーンとクイラを追い詰めた少女。

「ふふ、どうしても待ちきれなかったから招待しちゃった。ずっとずっとずーっとあなたに会いたかったの。」

くすくす、くすくす、彼女が笑う度に彼女の周りを小さな光が瞬く。
それは色とりどりに輝いたかと思うと、ぽんっと可愛らしい音をたてて人形へと姿を変えた。
その様子に思わず目を見張る。
ジーンに聞いた話では、その光こそが妖精であるはずなのに。
妖精が人形に。
しかし前は魔物が人形になった。
意味がわからない。

「ああ、これ?みんな知らないのよ。人形だって『自分の在り方の一つ』でしょ?つまりこう在れたらっていう願望…願い。妖精は『願い』の部分だから。」
「でも、前は魔物に…」
「捨ててしまった感情。要らないと願った思い。その中に願い事くらいあるでしょ?」

混乱するアンジェリカに、一つ一つゆっくりと説明する少女。
涼やかな声はどこか狂気じみて、自分の体にふつふつと鳥肌が立ち、体が僅かに震えるのがわかる。

「あなたがそう願ったから。あなたはここでは創造主であり世界を滅ぼす魔王。あなたが願えばなんだって出来るの。凄いでしょう凄いでしょう、アリスは何時でも自分を虐めて殺して玩具に出来るの。ふふ、あはは、あっははははは!」
「…君は、どうしてわたしをここに呼んだんだ?」

努めて冷静に問いかける。
少女はそれにピタリと…まるでネジが切れたように笑うのを止めた。
その代わり、あの穴で見せたようなどこか幼い笑顔を浮かべる。

「あなたが来た日のことを、わたしはずーっと覚えてる。ここに来てしまったきっかけ、理由、全部。」

すとん、少女がアンジェリカの目の前に降り立った。

「違和感があるでしょう?知っているようなそんな気分。それはねそれはね、くすくす、ここは『アンジェリカ』の世界だから。アンジェリカの世界はいつだっていつだって、たった一人を見ていたから。」

ゆっくりゆっくり、一歩一歩、アンジェリカに近付いていく。
アンジェリカは思わず後退った。
怖い。
何故か怖くてたまらなかった。
彼女が、言葉が、思い出が。
それでも少女は近付いて近付いて…そして、互いの息さえ感じる場所まで近付いて、ニィと口元を歪めた。

「会いたいんでしょう?守れなかった、あの子に。」

もう遠い記憶の中で、あの子が笑った。
思い出の中で彼女が笑う。
思い出の中で彼女が言葉を紡ぐ。
ひとりぼっちだから終わらないお茶会、ドロシーに恋した三匹、ひたすらに色を塗り続けるトランプ。
彼女だけの物語を紡いだ彼女は、もういない。
バシッと、アンジェリカは少女を払うように押しのけた。
少し開いた彼女との距離にどこか安心しながら、無意識か桜月に手をかける。
彼女の目は見れないまま、声を絞り出す。

「君は…誰だ。」

笑みが、濃くなる。
どこか怯えを含んだアンジェリカの姿に、少女の笑みは一層濃くなる。

「愛しい愛しいアリス。臆病で脆弱なアンジェリカ。殺してあげる叶えてあげる。あなたが望む限りわたしがあなたをここに縛り付けてあげる。現実なんか捨ててしまうならずっと一緒に遊びましょう?死にたいのならこの世界で一緒に魔王ごっこでもやりましょうか!ずっとずっと一緒よアリス。ずっと、ずーっと…」
「誰なんだ君は…っ君は一体、わたしのなんなんだ!」

怖い。
目の前の少女が怖い。
自分であるはずのそれが怖い。恐い。こわい。
珍しいくらいに表情を出して泣きそうに叫べば、少女はまたピタリと表情を消した。
それから小さく笑いだして、そっとアンジェリカの頬を撫でる。

「わたしの名前はウェンディア。わたしの存在はあなたが捨てきれなかったもの。行き過ぎた自己嫌悪。魔物にも人形にも妖精にもなれなかった狂気のなれの果て…そうね、あえて名付けるならきっと、自殺願望。」
「捨て、きれなかった…?」
「みんな持ってるわこんなの。それでも必死に押し込めて、向き合わないようにそっと捨てたふりをして。ことあるごとに拾い上げては捨てて。だからね、アリス。」

彼女が笑う。
わたしが笑う。
人形が笑う。
世界が笑う。
ケタケタケタケタ、くすくすくす、ふふ、きゃははははは。
空が壁が人形が瓦礫が世界が赤く赤く赤く染まって笑って笑って笑って泣いて笑って…それでも。
彼女の声は。
ウェンディアの声は。
鮮明に聞こえた。

「生かしてなんか、あげないわ。」




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