33


少女はそこで、眠っていた。
ただただ、眠っていた。
考えることも、逃げることも、愛することも、嫌うことも、もう全てが嫌だったから。したくなかったから。閉じこもっていたかったから。
だからずっと眠っていたかった。眠っていた。
朝なんていらない。
ねえ、ほら、はやく。

「お願い!お願いアリス!アンジェリカを殺さないで!その子はわたしのものなの、とらないで!あなたのことはわたしが殺してあげるから、だからぁ!」

後ろでウェンディアが叫ぶのが聞こえる。
彼女にしてはびっくりするくらい泣きそうな声で、割れそうな声で必死に、必死に、必死に。ひたすらに叫ぶ声が聞こえる。
眠り続ける少女から。目の前にいるアンジェリカそっくりな少女から目が離せない。
視界の端に少年の姿が見えた気がした。ほほ笑んだ気がした。そっと。そっと。そっと。穏やかに。穏やかに。穏やかに。穏やかに。穏やかに。ほほ笑んだ。ほほ笑んだ。ほほ笑んだ。ほほ笑んだ。ほほ笑んだ。ほほ笑んだ。ほほ笑んだ。ほほ笑んだ。ほほ笑んだ。ほほ笑んだ。
狂気が、ほほ笑んだ。

「お願い!アリス!」

ぞわりと恐怖が背筋を走ったのを感じる。
恐怖と混乱と、疑問とが体の中を駆け巡る。

「な、んで、」

なんで。
“なんでこれを『アンジェリカ』と呼んで、わたしを『アリス』と呼ぶんだ。”
それではまるで、わたしはアリスでアンジェリカなんかじゃなくて。ここで眠っているのがアンジェリカでわたしはアンジェリカなんかじゃないみたいで。まるでまるで、まるで。
わたしは本当に、わたしなのかが、わからなくなるみたいで。わからなく、て。

「…また、ないてる。」

ぽつりと、呟いた声が聞こえる。
目の前にいるのは少女だけだ。
ウェンディアは今も泣いている。叫んでいる。アンジェリカを殺さないでとアリスに叫んでいる。

「いいのに。そんなの。だって、どうせころすんだって…あんじぇりかがいったのに。」
「な…んなんだ、君は。」

声が震える。
体が震える。
わたしと同じあなたは誰なの。

「なにもまなばなかったの。ずっとここにいて。わからなかったの。」
「だって、だって、どういう…」
「…あんじぇりか…」
「なんで…あの子は泣いているんだ。君にわたしが近付いただけで、どうして。」

だってわたしはアンジェリカなのに。

「相変わらず、わからない…」

知ろうと思って。向き合おうと思って。頑張りたくて。帰りたくて。知りたくて。なのに、なのに、なのに。何もわからない。わからない。わからない。

「…なけば、いいのに。」

そっと少女が囁く。
眠ったまま、囁く。
気づけば腕が桜月を握っていた。気づけば固いはずの鞘を引き抜いて、そっと高く掲げる。

「もう、いいよ。」
「い、嫌だ…」
「いいよ。」
「嫌だ、わたしは!」

勝手に腕が持ち上がって、勝手にそれを少女の胸に押しあてる。あと少し。あと少し。あと少しで、それは刺し貫いてしまう。
それなのに。それなのに。動かない。彼女は動かない。そっと囁いて、そっと…ほほ笑む。

「わたしをころして、しあわせになって。」

もう一度振り上げた腕を無理やりそらして、ぎりぎりのところでアンジェリカはそれを横にそらした。
本当にぎりぎりで、結局脇を刺してしまっていたのだけれど。

「嫌だ…殺したくない。誰も、殺したくない。誰にも、殺されたくない。」

呟く。そっと。だが願うように。すがるように。叫ぶように。泣きそうに。

「わたしは死にたくない!誰も殺したくなんかないんだ!」

叫ぶ。泣き叫ぶように。
それが本音だった。それが願いだった。それがずっとずっと思っていたことだった。ずっと吐きだしたいことだった。
気づくと、少女の傍らから蔓が伸びているのが見えた。それはアンジェリカを取り込もうとするかのように伸びて絡めて、動けないようにしてしまう。

「ふあん、なんだよね…もう、ておくれなんじゃないかって。」

囁く声が聞こえる。聞こえる。

「ここにきて、どれくらいたった…もう…しんじゃうんじゃないかって…ふあん…だから…」
「わたし…わたしは…」
「だから…いいよ…ころして…ころしていいよ。いっしょに、いこう。」
「一緒に…」

…アン。
少女が笑う。彼女が笑う。笑う。大好きな世界で。
一緒に行こうと笑う。

「嫌だ…」

こぼれた声はそれだった。
だって、嫌だったから。

「わたしはあの子を言い訳になんかしたくない…したくないんだ…わたしは、そんな弱さなんかいらないんだ!」
「どうして?」

延ばされた少女の腕が、生気を失った植物のように枯れ始める。アンジェリカを拘束していた蔓も黒く変色して、急速に急速に枯れていく。

「どうして…よわいと…だめなの…」

寂しそうに鳴いた少女は、寂しそうに腕を伸ばして。
そして…あっさりと、切られた。



- 33 -

*前次#


ページ: