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目の前であっさりと切られてしまった。黒い黒い変色した薄っぺら。簡単に飛んで消えてなくなってしまうようなそんな単純な光景を見て、アンジェリカはひゅ、と息をのんだ。

「…わたしだけがアリスを、アンジェリカを殺すの。」

そっと後ろから誰かに抱きしめられる。
暖かくて柔らかくて、冷たくて。
その腕はそっとアンジェリカの体を撫でて、なぞって。
羽音をかすかにさせて、彼女は。ウェンディアは。遠くから叫ぶだけだったはずの彼女はそっとそっと、囁いた。

「アリスが願うから。死にたいって。」

撫でるように腕を掴んで、その先に握られた刀を持ち上げる。
少女に向ける。今度こそ外したりしないように。

「や、やだ、はなし…っ!」
「待ってて。アンジェリカ。今わたしが殺してあげるから。」
「そんなこと願ってない…願ってなんかない!」
「あまりそんなこと言わないで。わたしだから何ともないだけで、簡単に魔物になっちゃう。」

ゆるゆると体を撫でながら吐息で笑う。
目の前では少女がどんどん変色していく。枯れていく。変わっていく。どんどん。どんどん。

「自殺願望だなんて、存在自体が魔物じみてるじゃない。だからわたしもこんな姿。」
「―――――――!」

声にならない悲鳴と一緒に、ずぶずぶと肉を貫く感触が刃を通して伝わってくる。
思わずぎゅっと目を閉じて、これ以上貫いてしまわないように必死に力を込める。
殺さないでって言ったくせに。
離してと叫んでも、もう彼女は聞かない。

「また見ないふり?また目をそらすの?こんな場所に逃げてきたくせに、ねえ。どうして?」

ぎゅ、と一度強く体を抱きしめて、それから力任せにアンジェリカを突き飛ばした。
あっさりと地面に転がれば、少女だったものが完全に霧散してしまったのが見えた。
そこに突き刺さっていた桜月をウェンディアが引き抜いて、それからアンジェリカに突き付けてくる。

「どうして他の奴らまであなたを殺すの…殺そうとするの。どうして他の奴らに殺されるの!あなたを殺すのはわたしだけのはずなのに!ねえ、あなたはどれだけ自分を傷つけたいの自分をなかったことにしたいの!」

乱暴に怒鳴りつけて、怒鳴って、憎むように睨んで、強く蹴り飛ばした。

「あなたを殺すのはわたしだけよ!あなたに刻むのはわたしだけよ!アンジェリカを殺すのは、アリスを殺すのは、みんなみんな殺すの!」

転がり落ちていくアンジェリカを追うように魔術を放つ。壊れたようにそれだけを繰り返して、繰り返して、壊れたように笑う。笑う。笑う。

「…ふ、ふふ、あはは、はははははははははははははははははははははははははははは!」
「わたしは…死にたくない。」

ぴたりと、笑い声が止まる。
こわい。
もういやだ。
逃げ出したい。
いろんなものに耐えられない。
地面に転がったまま呟いて、震えて。
アンジェリカはぼたりぼたりと泣くように呟いた。
吐きだした。言葉を。

「あの子みたいに、死にたくない。あの子のいる場所に行きたくない…行け、ない。嫌だ。いやだ…」

あの子が笑う場所にはもういけない。行きたくない。行きたいなんて願ったって、怖いんだ。怖いんだよ。
死にたくない。殺したくない。進みたくない。怖い。怖い。怖い。怖い。
嫌いだ、自分なんて。こんなことしか思えない自分なんて。これでもいいかな、なんて思ってしまった自分なんて。嫌いだ。大嫌いだよ。だから殺してよ。ううん、嫌だ、殺さないで。死にたくない。死にたくないんだよ。お願い放っておいて。見ないで。眠らせて。もう何も考えたくない。じゃないとアンジェリカは、アンジェリカは、アンジェリカは。
アンジェリカは、アンジェリカに殺されてしまう。

「…わたしが殺してあげるわ、アリス。それがわたしだから。」

刃が白く光るのが見えた。
彼女が初めて悲しそうに笑うのを見た。
大嫌いな自分を見て、大嫌いな自分のために大嫌いな自分を殺そうとして、いくつも自分をいらないと叫んだ大嫌いな自分のために、ほほ笑んだ。

「どうぞ、お幸せに。」

だからアンジェリカは、静かに。
静かに、彼女の持っていた、刃を。





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