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バチャリ、音を立てて倒れた。
雨の中に赤が滲んでいくのがわかる。
雨の中に、自分が落ちてしまったのが、わかる。

「アン、ジェリカ…」

倒れ込んだ少女が、彼女の名前を呼ぶ。
息も絶え絶えに掠れてしまった言葉は、今受けた攻撃がかなり深かった事を示している。
初めてだ。この夢に迷い込んでから、初めて。自分以外の血に濡れてしまった桜月を鞘に納めて、アンジェリカはただ無表情に少女を見下ろす。
彼女はやはり、どこか嬉しそうに恍惚とした表情でアンジェリカを見上げていた。

「ふ、ふふふ…これでやっと、あなたになれるのね…やっと、わたしに帰れるのね…」
「…」
「アンジェリ、カ。アンジェリカ…アンジェリカ。あなたはあなたを殺すの。殺せてしまうの。だから、ねぇ…」

笑った。
初めて会った時に見せたあの幼い少女の笑顔で。
彼女は笑った、笑った、笑った…笑った。
笑ったまま、終わった。
その続きを紡ぐことも何もせずに。

何の答えも出してくれないまま、終わった。

「…」

ガリ、自分の首を引っ掻いてみる。
特に意味はない。
ただ、ただただ、怖かったから。

自分は今、本当に『アリス』になってしまったから。

「…アンジェ?」

声がして、顔をあげる。
分厚い雨のカーテンの向こうに、見知った顔達がいた。
暗くてよく見えないが、ジーンとその隣にいる悲しそうに目を伏せるハインリヒと、茫然とこちらを見るパトリシア。その二人の表情はとてもよく見えた。

目の前の光景を、感じた物を。パトリシアは信じたくはなかった。
アリスはこの世界の創造主であり、同時に破壊者である。アリス以外の者に我々を殺す事は出来ず、アリスが我々を殺した際にはそれを感じる事が出来る…
幼い頃から何度も何度も見たアリスの話。
自分達が殺して殺して、帰してあげなければならない存在。
彼女は今、自分の背中に走った予感のような感覚を信じたくはなかった。
それを信じるというのは、つまり。

「アンジェが、アリス…?」

信じられない、と首を振る。
あんな少女がそうだなんて、信じたくないと。
けれど彼女の足下にいる少女が既に死んでいるなんて、遠目からでもわかってしまう。
そしてこの瞬間、『アリスが私達を殺した』と感じた。感じてしまった。ここに生きる者が誰もが持っているその感覚で。知って、しまった。
なら、本当に?
本当に、アンジェリカがアリス?

「アン、」
「アンジェリカ。」

思わず問いかけようとして、だがそれより先にジーンが彼女に駆け寄った。
彼は彼女に二、三言葉を紡いでからその手を引いて、そこから逃げるように駆けだした…実際、逃げたのだろう。
雨のせいですぐに見えなくなった二人に、パトリシアは無理やりな笑顔を浮かべた。

「…は、なにこれ、意味わかんない、かしら…」





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